もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
仏教学・禅学の批判

(この文献の中から、このテーマについて、まだ、全収録には至っていませんが、別の論考で触れているため、一応、一部を記載したものをアップロードしておきます。)
悟道の後
悟道の後
「正法眼蔵」
- 「自己をはこびて萬法を修證するを迷とす、萬法すすみて自己を修證するはさとりなり。迷を大悟するは諸佛なり、悟に大迷なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷の漢あり。諸佛のまさしく諸佛なるときは、自己は諸佛なりと覺知することをもちゐず。しかあれども證佛なり、佛を證しもてゆく。
身心を擧して色を見取し、身心を擧して聲を聽取するに、したしく會取すれども、かがみに影をやどすがごとくにあらず、水と月とのごとくにあらず。一方を證するときは一方はくらし。
佛道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、萬法に證せらるるなり。萬法に證せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ。」(1)
- 「人のさとりをうる、水に月のやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず。ひろくおほきなるひかりにてあれど、尺寸の水にやどり、全月も彌天も、くさの露にもやどり、一滴の水にもやどる。さとりの人をやぶらざる事、月の水をうがたざるがごとし。人のさとりを@(けい)礙せざること、滴露の天月を@(けい)礙せざるがごとし。ふかきことはたかき分量なるべし。時節の長短は、大水小水を&(けん)點し、天月の廣狹を辨取すべし。
身心に法いまだ參飽せざるには、法すでにたれりとおぼゆ。法もし身心に充足すれば、ひとかたはたらずとおぼゆるなり。たとへば、船にのりて山なき海中にいでて四方をみるに、ただまろにのみみゆ、さらにことなる相みゆることなし。しかあれど、この大海、まろなるにあらず、方なるにあらず、のこれる海徳つくすべからざるなり。宮殿のごとし、瓔珞のごとし。ただわがまなこのおよぶところ、しばらくまろにみゆるのみなり。かれがごとく、萬法またしかあり。塵中格外、おほく樣子を帶せりといへども、參學眼力のおよぶばかりを見取會取するなり。萬法の家風をきかんには、方圓とみゆるほかに、のこりの海徳山徳おほくきはまりなく、よもの世界あることをしるべし。かたはらのみかくのごとくあるにあらず、直下も一滴もしかあるとしるべし。」(2)
-
「おほよそ徳山それよりのちも、させる發明ありともみえず、ただあらあらしき造次のみなり。ひさしく龍潭にとぶらひせば、頭角觸折することもあらまし、頷珠を正傳する時節にもあはまし。わづかに吹滅紙燭をみる、傳燈に不足なり。
しかあれば、參學の雲水、かならず勤學なるべし、容易にせしは不是なり、勤學なりしは佛祖なり。おほよそ心不可得とは、畫餠一枚を買弄して、一口に咬著嚼著するをいふ。」(3)
- 「佛佛の大道、つたはれて綿密なり。祖祖の功業、あらはれて平展なり。このゆゑに大悟現成し、不悟至道し、省悟弄悟し、失悟放行す。これ佛祖家常なり。擧拈する使得十二時あり、抛却する被使十二時あり。さらにこの關@(れい)子を跳出する弄泥團もあり、弄精魂もあり。大悟より佛祖かならず恁麼現成する參學を究竟すといへども、大悟の渾悟を佛祖とせるにはあらず、佛祖の渾佛祖を渾大悟なりとにはあらざるなり。佛祖は大悟の邊際を跳出し、大悟は佛祖より向上に跳出する面目なり。」(4)
(注)
- (1)「現成公案」、「道元禅師全集」第1巻、春秋社、1991年、3頁。
- (2)同上、4頁。
- (3)「心不可得」、「道元禅師全集」第1巻、春秋社、1991年、86頁。
- (4)「大悟」、「道元禅師全集」第1巻、春秋社、1991年、92頁。@=木偏に戻(れい)
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