もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
仏教学・禅学の批判

(この文献の中から、このテーマについて、まだ、全収録には至っていませんが、別の論考で触れているため、一応、一部を記載したものをアップロードしておきます。)
坐禅の重視=七十五巻「正法眼蔵」ー越前下向後
(a)坐禅の重視
「正法眼蔵」
- 「四祖かつて三祖に參學すること九載せし、すなはち遍參なり。南泉願禪師、そのかみ池陽に一住してやや三十年やまをいでざる、遍參なり。雲巖道吾等、在藥山四十年のあひだ功夫參學する、これ遍參なり。二祖そのかみ嵩山に參學すること八載なり。皮肉骨髓を遍參しつくす。
遍參はただ祗管打坐、身心脱落なり。而今の去那邊去、來遮裏來、その間隙あらざるがごとくなる、渾體遍參なり、大道の渾體なり。毘盧頂上行は、無諍三昧なり。決得恁麼は毘盧行なり。跳出の遍參を參徹する、これ葫蘆の葫蘆を跳出する、葫蘆頂上を選佛道場とせることひさし。命如絲なり。葫蘆遍參葫蘆なり。一莖草を建立するを遍參とせるのみなり。」(1)
- 「」(2)
(注)
- (1)「遍參」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、117頁。
- (2)同上、xx頁。
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