もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
仏教学・禅学の批判

(この文献の中から、このテーマについて、まだ、全収録には至っていませんが、別の論考で触れているため、一応、一部を記載したものをアップロードしておきます。)
坐のみではないー「正法眼蔵」(越前下向後)
(A)悟道の強調
「正法眼蔵」
- (仏道は禅のみではない、また、禅から離れるのでもない)
「石門林間録云、菩提達磨、初自梁之魏。經行於嵩山之下、倚杖於少林。面壁燕坐而已、非習禪也。久之人莫測其故。因以達磨爲習禪。夫禪那諸行之一耳。何足以盡聖人。而當時之人、以之、爲史者、又從而傳於習禪之列、使與枯木死灰之徒爲伍。雖然聖人非止於禪那、而亦不違禪那。如易出于陰陽、而亦不違乎陰陽
(石門の林間録に云く、菩提達磨、初め梁より魏に之く。嵩山の下に經行し、少林に倚杖す。面壁燕坐するのみなり、習禪には非ず。久しくなりて人其の故を測ること莫し。因て達磨を以て習禪とす。夫れ禪那は、諸行の一つならくのみ。何ぞ以て聖人を盡すに足らん。而も當時の人、之を以てし、爲史の者、又從へて習禪の列に傳ね、枯木死灰の徒と伍ならしむ。然りと雖も、聖人は禪那のみに非ず、而も亦た禪那に違せず。易の陰陽より出でて、而も亦た陰陽に違せざるが如し)。
第二十八祖と稱ずるは、迦葉大士を初祖として稱ずるなり。毘婆尸佛よりは第三十五祖なり。七佛および二十八代、かならずしも禪那をもて證道をつくすべからず。このゆゑに古先いはく、禪那は諸行のひとつならくのみ。なんぞもて聖人をつくすにたらん。
この古先、いささか人をみきたれり、祖宗の堂奥にいれり、このゆゑにこの道あり。近日は大宋國の天下に難得なるべし、ありがたかるべし。たとひ禪那なりとも、禪宗と稱ずべからず、いはんや禪那いまだ佛法のハ要にあらず。
しかあるを、佛佛正傳の大道を、ことさら禪宗と稱ずるともがら、佛道は未夢見在、未夢聞在なり、未夢傳在なり。禪宗を自號するともがらにも佛法あるらんと聽許することなかれ。禪宗の稱、たれか稱じきたる。諸佛祖師の禪宗と稱ずる、いまだあらず。しるべし、禪宗の稱は、魔波旬の稱ずるなり。魔波旬の稱を稱じきたらんは魔儻なるべし、佛祖の兒孫にあらず。」(1)
- 「いま波斯匿王の問取する宗旨は、尊者すでに見佛なりや、作佛なりやと問取するなり。尊者あきらかに眉毛を策起せり、見佛の證驗なり、相瞞すべからず。至今していまだ休罷せず。應供あらはれてかくるることなし。親曾の見佛たどるべからず。かの三億家の見佛といふは、この見佛なり。見三十二相にはあらず。見三十二相は、たれか境界をへだてん。この見佛の道理をしらざる人天聲聞縁覺の類おほかるべし。たとへば、拂子を豎起するおほしといへども、拂子を豎起するはおほきにあらずといふがごとし。見佛は被佛見成なり。たとひ自己は覆藏せんことをおもふとも、見佛さきだちて漏泄せしむるなり。これ見佛の道理なり。如恆河沙數量の身心を功夫して、審細にこの策起眉毛の面目を參究すべし。たとひ百千萬劫の晝夜、つねに釋迦牟尼佛に共住せりとも、いまだ策起眉毛の力量なくは、見佛にあらず。たとひ二千餘載よりこのかた、十萬餘里の遠方にありとも、策起眉毛の力量したしく見成せば、空王以前より見釋迦牟尼佛なり。見一枝梅なり、見梅梢春なり。しかあれば、親曾見佛は禮三拜なり、合掌問訊なり。破顔微笑なり、拳頭飛霹靂なり、跏趺坐蒲團なり。」(2)
- 「 趙州眞際大師、因僧問、承聞和尚、親見南泉、是否(承聞すらくは和尚、親り南泉を見ると、是なりや否や)。
師曰、鎭州出大蘿蔔頭(鎭州に大蘿蔔頭を出す)。
いまの道現成は、親見南泉の證驗なり。有語にあらず、無語にあらず。下語にあらず、通語にあらず。策起眉毛にあらず、撥開眉毛にあらず、親見眉毛なり。たとひ軼才の獨歩なりとも、親見にあらずよりは、かくのごとくなるべからず。
この鎭州出大蘿蔔頭の語は、眞際大師の鎭州竇家園眞際院に住持なりしときの道なり。のちに眞際大師の號をたてまつれり。
かくのごとくなるがゆゑに、見佛眼を參開するよりこのかた、佛祖正法眼藏を正傳せり。正法眼藏の正傳あるとき、佛見雍容の威儀現成し、見佛ここに巍巍堂堂なり。」(3)
(注)
- (1)「仏道」、「道元禅師全集」第1巻、春秋社、1991年、472頁。
- (2)「見仏」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、108頁。
- (3)「見仏」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、110頁。
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