もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
仏教学・禅学の批判

(この文献の中から、このテーマについて、まだ、全収録には至っていませんが、別の論考で触れているため、一応、一部を記載したものをアップロードしておきます。)
新しい仏道ではないー「正法眼蔵」(越前下向後)
新しくない
「正法眼蔵」
- 「しかあれば、はかりしりぬ、西天二十八代、東地二十二祖、いまだ五宗の家門を開演せざるなり。祖師とある祖師は、みなかくのごとし。五宗を立して各各の宗旨ありと稱ずるは、誑惑世間人のともがら、少聞薄解のたぐひなり。佛道におきて、各各の道を自立せば、佛道いかでか今日にいたらん。迦葉も自立すべし、阿難も自立すべし。もし自立する道理を正道とせば、佛法はやく西天に滅しなまし。各各自立せん宗旨、たれかこれ慕古せん。各各に自立せん宗旨、たれか正邪を決擇せん。正邪いまだ決擇せずは、たれかこれを佛法なりとし、佛法にあらずとせん。この道理あきらめずは、佛道と稱じがたし。五宗の稱は、各各祖師の現在に立せるにあらず。五宗の祖師と稱ずる祖師、すでに圓寂ののち、あるいは門下の庸流、まなこいまだあきらかならず、あしいまだあゆまざるもの、父にとはず、祖に違して、立稱じきたるなり。そのむねあきらかなり、たれ人もしりぬべし。」(1)
(注)
- (1)「仏道」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1991年、480頁。
- (2)同上、x頁。
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