もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
仏教学・禅学の批判

(この文献の中から、このテーマについて、まだ、全収録には至っていませんが、別の論考で触れているため、一応、一部を記載したものをアップロードしておきます。)
悟道の後
悟道の後
「正法眼蔵」
- 「釋迦牟尼佛、告大衆言、若見諸相非相、即見如來。
いまの見諸相と見非相と、透脱せる體達なり。ゆゑに見如來なり。この見佛眼すでに參開なる現成を見佛とす。見佛眼の活路、これ參佛眼なり。自佛を他方にみ、佛外に自佛をみるとき、條條の蔓枝なりといへども、見佛を參學せると、見佛を辨肯すると、見佛を脱落すると、見佛を得活すると、見佛を使得すると、日面佛見なり、月面佛見なり。恁麼の見佛、ともに無盡面、無盡身、無盡心、無盡手眼の見佛なり。而今脚尖に行履する發心發足よりこのかた、辨道功夫、および證契究徹、みな見佛裏に走入する活眼睛なり、活骨髓なり。しかあれば、自盡界他盡方、遮箇頭那箇頭、おなじく見佛功夫なり。」(1)
- 「洞山いはく、非眼睛。
これ眼睛の自擧唱なり。非眼睛の身心慮知、形段あらんところをば、自擧の活眼睛なりと相見すべきなり。三世諸佛は、眼睛の轉大法輪、説大法輪を立地聽しきたれり。畢竟じて參究する堂奥には、眼睛裏に跳入して、發心修行、證大菩提するなり。この眼睛、もとよりこのかた、自己にあらず、他己にあらず。もろもろの@礙なきがゆゑに、かくのごとくの大事も@礙あらざるなり。このゆゑに、
古先いはく、奇哉十方佛、元是眼中花(奇なる哉十方佛、元より是れ眼中花なり)。」(2)
(注)
- (1)「見仏」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、98頁。
- (2)「眼睛」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、120頁。
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