もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
仏教学・禅学の批判
悟りの智慧=十二巻「正法眼蔵」
悟りの智慧
「正法眼蔵」
- 「復次佛法中出家人、雖破戒墮罪、罪畢得解脱、如優鉢羅華比丘尼本生經中説
(復た次に佛法の中の出家人は、破戒して墮罪すと雖も、罪畢りぬれば解脱を得ること、優鉢羅華比丘尼本生經の中に説くが如し)。
佛在世時、此比丘尼、得六神通阿羅漢。入貴人舍、常讃出家法、語諸貴人婦女言、姉妹、可出家(佛在世の時、此の比丘尼、六神通阿羅漢を得たり。貴人の舍に入りて、常に出家の法を讃めて、諸の貴人婦女に語りて言く、姉妹、出家すべし)。
諸貴婦女言、我等少壯、容色盛美、持戒爲難、或當破戒
(諸の貴婦女言く、我等少壯して、容色盛美なり、持戒を難しと爲す、或いは當に破戒すべし)。
比丘尼言、破戒便破、但出家
(戒を破らば便ち破すべし、但だ出家すべし)。
問言、破戒當墮地獄、云何可破
(戒を破らば當に地獄に墮すべし、云何が破すべき)。
答言、墮地獄便墮(地獄に墮さば便ち墮すべし)。
諸貴婦女笑之言、地獄受罪、云何可墮
(諸貴婦女、之を笑つて言く、地獄にては罪を受く、云何が墮すべき)。
比丘尼言、我自憶念本宿命時、作戲女、著種種衣服而説舊語。或時著比丘尼衣、以爲戲笑。以是因縁故、迦葉佛時、作比丘尼。自恃貴姓端正、心生&慢、而破禁戒。破禁戒罪故、墮地獄受種種罪。受畢竟値釋迦牟尼佛出家、得六神通阿羅漢道
(比丘尼言く、我れ自ら本宿命の時を憶念するに、戲女と作り、種種の衣服を著して舊語を説きき。或る時比丘尼衣を著して、以て戲笑を爲しき。是の因縁を以ての故に、迦葉佛の時、比丘尼と作りぬ。自ら貴姓端正なるを恃んで、心に&(きょう)慢を生じ、而も禁戒を破りつ。禁戒を破りし罪の故に、地獄に墮して種種の罪を受けき。受け畢竟りて釋迦牟尼佛に値ひたてまつりて出家し、六神通阿羅漢道を得たり)。
以是故知、出家受戒、雖復破戒、以戒因縁故、得阿羅漢道。若但作惡無戒因縁、不得道也。我乃昔時、世世墮地獄、從地獄出爲惡人。惡人死還入地獄、都無所得。今以此證知、出家受戒、雖復破戒、以是因縁、可得道果
(是れを以ての故に知りぬ、出家受戒せば、復た破戒すと雖も、戒の因縁を以ての故に、阿羅漢道を得。若し但だ惡を作して戒の因縁無からんには、道を得ざるなり。我れ乃ち昔時、世世に地獄に墮し、地獄より出でては惡人爲り。惡人死して還た地獄に入りて、都て所得無かりき。今此れを以て證知す、出家受戒せば、復た破戒すと雖も、是の因縁を以て、道果を得べしといふことを)。
この蓮花色阿羅漢得道の初因、さらに他の功にあらず。ただこれ袈裟を戲笑のためにその身に著せし功徳によりて、いま得道せり。二生に迦葉佛の法にあふたてまつりて比丘尼となり、三生に釋迦牟尼佛にあふたてまつりて大阿羅漢となり、三明六通を具足せり。三明とは、天眼宿命漏盡なり。六通とは、神境通、他心通、天眼通、天耳通、宿命通、漏盡通なり。まことにそれただ作惡人とありしときは、むなしく死して地獄にいる。地獄よりいでてまた作惡人となる。戒の因縁あるときは、禁戒を破して地獄におちたりといへども、つひに得道の因縁なり。いま戲笑のため袈裟を著せる、なほこれ三生に得道す。いはんや無上菩提のために清淨の信心をおこして袈裟を著せん、その功徳、成就せざらめやは。いかにいはんや一生のあひだ受持したてまつり、頂戴したてまつらん功徳、まさに廣大無量なるべし。」(1)
- 「戲女のむかしは信心にあらず、戲笑のために比丘尼の衣を著せり。おそらくは輕法の罪あるべしといへども、この衣をそのみに著せしちから、二世に佛法にあふ。比丘尼衣とは袈裟なり。戲笑著袈裟のちからによりて、第二生迦葉佛のときにあふたてまつる。出家受戒し、比丘尼となれり。破戒によりて墮獄受罪すといへども、功徳くちずしてつひに釋迦牟尼佛にあひたてまつり、見佛聞法、發心修習して、ながく三界をはなれて大阿羅漢となれり、六通三明を具足せり、かならず無上道なるべし。
しかあればすなはち、はじめより一向無上菩提のために、清淨の信心をこらして袈裟を信受せん。その功徳の増長、かの戲女の功徳よりもすみやかならん。いはんやまた、無上菩提のために菩提心をおこし出家受戒せん、その功徳無量なるべし。人身にあらざればこの功徳を成就することまれなり、西天東土、出家在家の菩薩、祖師おほしといふとも、龍樹祖師におよばず。醉婆羅門、戲女等の因縁、もはら龍樹祖師これを擧して衆生の出家受戒をすすむ、龍樹祖師すなはち世尊金口の所記なり。」(2)
- 「しるべし、世尊の所説、はかるべからざるを。世尊および五百大阿羅漢、ひろくあつめたり。まことにしりぬ、佛法におきて道理あきらかなるべしといふこと。一聖、三明、六通の智慧、なほ近代の凡師のはかるべきにあらず、いはんや五百の聖者をや。近代の凡師らがしらざるところをしり、みざるところをみ、きはめざるところをきはめたりといへども、凡師らがしれるところ、しらざるにあらず。しかあれば、凡師の黒闇愚鈍の説をもて、聖者三明の言に比類することなかれ。」(3)
- 「龍樹祖師曰、復次佛法中出家人、雖破戒墮罪、罪畢得解脱、如優鉢羅華比丘尼本生經中説
(復た次に佛法中の出家人は、破戒して墮罪すと雖も、罪畢りぬれば解脱を得ること、優鉢羅華比丘尼本生經の中に説くが如し)。
佛在世時、此比丘尼、得六神通阿羅漢。入貴人舍、常讃出家法、語諸貴人婦女言、姉妹可出家
(佛在世の時、此の比丘尼、六神通阿羅漢を得たり。貴人の舍に入りて、常に出家の法を讃めて、諸の貴人婦女に語りて言く、姉妹、出家すべし)。
諸貴婦女言、我等少壯容色盛美、持戒爲難、或當破戒
(我等少壯くして容色盛美なり、持戒を難しと爲す、或いは當に破戒すべし)。
比丘尼言、破戒便破、但出家
(戒を破らば便ち破すべし、但だ出家すべし)。
問言、破戒當墮地獄、云何可破
(戒を破らば當に地獄に墮すべし、云何が破すべき)。
答曰、墮地獄便墮(地獄に墮さば便ち墮すべし)。
諸貴婦女笑之言、地獄受罪、云何可墮(地獄にては罪を受く、云何が墮すべき)。
比丘尼言、我自憶念本宿命時、作戲女、著種種衣服而説舊語。或時著比丘尼衣、以爲戲笑。以是因縁故、迦葉佛時、作比丘尼。時自恃貴姓端正生&(きょう)。&(きょう)慢、而破禁戒。破禁戒罪故、墮地獄受種種罪。受畢竟價釋迦牟尼佛出家、得六神通阿羅漢道
(比丘尼言く、我れ自ら本宿命の時を憶念するに、戲女と作り、種種の衣服を著して舊語を説きき。或る時比丘尼衣を著して、以て戲笑と爲しき。是の因縁を以ての故に、迦葉佛の時、比丘尼と作りぬ。時に自ら貴姓端正なるを恃んで&(きょう)慢を生じ、而も禁戒を破りつ。禁戒を破りし罪の故に、地獄に墮して種種の罪を受けき。受け畢竟りて釋迦牟尼佛に値ひたてまつりて出家し、六神通阿羅漢道を得たり)。
以是故知。出家受戒、雖復破戒、以戒因縁故、得阿羅漢道。若但作惡無戒因縁、不得道也。我乃昔時世世墮地獄、從地獄出爲惡人。惡人死還入地獄、都無所得。今以證知、出家受戒、雖復破戒、以是因縁可得道果
(是れを以ての故に知りぬ。出家受戒せば、復た破戒すと雖も、戒の因縁を以ての故に、阿羅漢道を得。若し但だ惡を作して戒の因縁無からんには、道を得ざるなり。我れ乃ち昔時、世世に地獄に墮し、地獄より出でては惡人爲り。惡人死しては還た地獄に入りて、都て所得無かりき。今以て證知す、出家受戒せば、復た破戒すと雖も、是の因縁を以て道果を得べしといふことを)。
この蓮花色阿羅漢得道の初因、さらに他の功にあらず。ただこれ袈裟を戲笑のためにその身に著せし功徳によりて、いま得道せり。二生に迦葉佛の法にあふたてまつりて比丘尼となり、三生に釋迦牟尼佛にあふたてまつりて大阿羅漢となり、三明六通を具足せり。三明とは、天眼宿命漏盡なり。六通とは、神境通、他心通、天眼通、天耳通、宿命通、漏盡通なり。まことにそれただ作惡人とありしときは、むなしく死して地獄にいる。地獄よりいでてまた作惡人となる。戒の因縁あるときは、禁戒を破して地獄におちたりといへども、つひに得道の因縁なり。いま戲笑のため袈裟を著せる、なほこれ三生に得道す。いはんや無上菩提のために清淨の信心をおこして袈裟を著せん、その功徳、成就せざらめやは。いかにいはんや一生のあひだ受持したてまつり、頂戴したてまつらん功徳、まさに廣大無量なるべし。」(4)
- 「これすなはち一百八法明門なり。一切の一生所繋の菩薩、都史多天より閻浮提に下生せんとするとき、かならずこの一百八法明門を、都史多天の衆のために敷揚して、諸天を化するは、諸佛の常法なり。
護明菩薩とは、釋迦牟尼佛、一生補處として第四天にましますときの名なり。李附馬、天聖廣燈録を撰するに、この一百八法明門の名字をのせたり。參學のともがら、あきらめしれるはすくなく、しらざるは稻麻竹葦のごとし。いま初心晩學のともがらのためにこれを撰す。師子の座にのぼり、人天の師となれらんともがら、審細參學すべし。この都史多天に一生所繋として住せざれば、さらに諸佛にあらざるなり。行者みだりに我慢することなかれ、一生所繋の菩薩は中有なし。」(5)
- 「諸佛是大人也、大人之所覺知、所以稱八大人覺也。覺知此法、爲涅槃因
(諸佛は是れ大人也。大人の覺知する所、所以に八大人覺と稱ず。此の法を覺知するを、涅槃の因と爲)。
我本師釋迦牟尼佛、入般涅槃夜、最後之所説也
(我が本師釋迦牟尼佛、入般涅槃したまひし夜の、最後の所説也)。
一者少欲。於彼未得五欲法中、不廣追求、名爲少欲
(一つには少欲。彼の未得の五欲の法の中に於て、廣く追求せざるを、名づけて少欲と爲す)。
佛言、汝等比丘、當知、多欲之人、多求利故、苦惱亦多。少欲之人、無求無欲、則無此患。直爾少欲尚應修習、何況少欲能生諸功徳。少欲之人、則無諂曲以求人意、亦復不爲諸根所牽。行少欲者、心則坦然、無所憂畏、觸事有餘、常無不足。有少欲者、則有涅槃、是名少欲
(佛言はく、汝等比丘、當に知るべし、多欲の人は、多く利を求むるが故に苦惱も亦た多し。少欲の人は、求むること無く欲無ければ則ち此の患ひ無し。直爾の少欲なるすら尚ほ應に修習すべし、何に況んや少欲の能く諸の功徳を生ずるをや。少欲の人は、則ち諂曲して以て人の意を求むること無く、亦復諸根に牽かれず。少欲を行ずる者は、心則ち坦然として、憂畏する所無し、事に觸れて餘あり、常に足らざること無し。少欲有る者は則ち涅槃有り。是れを少欲と名づく)。
二者知足。已得法中、受取以限、稱曰知足
(二つには知足。已得の法の中に、受取するに限りを以てするを、稱じて知足と曰ふ)。
佛言、汝等比丘、若欲脱諸苦惱、當觀知足。知足之法、即是富樂安穩之處。知足之人、雖臥地上猶爲安樂。不知足者、雖處天堂亦不稱意。不知足者、雖富而貧。知足之人、雖貧而富。不知足者、常爲五欲所牽、爲知足者之所憐愍。是名知足
(佛言はく、汝等比丘、若し諸の苦惱を脱れんと欲はば、當に知足を觀ずべし。知足の法は、即ち是れ富樂安穩の處なり。知足の人は、地上に臥すと雖も猶ほ安樂なりと爲す。不知足の者は、天堂に處すと雖も亦た意に稱はず。不知足の者は、富めりと雖も而も貧し。知足の人は、貧しと雖も而も富めり。不知足の者は、常に五欲に牽かれて、知足の者に憐愍せらる。是れを知足と名づく)。
三者樂寂靜。離諸&(かい) 鬧、獨處空閑、名樂寂靜
(三つには樂寂靜。諸の&(かい) 鬧を離れ、空閑に獨處するを、樂寂靜と名づく)。
佛言、汝等比丘、欲求寂靜無爲安樂、當離A鬧獨處閑居。靜處之人、帝釋諸天、所共敬重。是故當捨己衆他衆、空閑獨處、思滅苦本。若樂衆者、則受衆惱。譬如大樹衆鳥集之、則有枯折之患。世間縛著沒於衆苦、辟如老象溺泥、不能自出。是名遠離(佛言はく、汝等比丘、寂靜無爲の安樂を求めんと欲はば、當に&(かい)鬧を離れて獨り閑居に處すべし。靜處の人は、帝釋諸天、共に敬重する所なり。是の故に當に己衆他衆を捨して、空閑に獨處し、苦本を滅せんことを思ふべし。若し衆を樂はん者は、則ち衆惱を受く。譬へば、大樹の、衆鳥之に集まれば、則ち枯折の患有るが如し。世間の縛著は衆苦に沒す、辟へば老象の泥に溺れて、自ら出ること能はざるが如し。是れを遠離と名づく)。
四者懃精進。於諸善法、懃修無間、故云精進。精而不雜、進而不退
(四つには懃精進。諸の善法に於て、懃修すること無間なり、故に精進と云ふ。精にして雜ならず、進んで退かず)。
佛言、汝等比丘、若勤精進、則事無難者。是故汝等當勤精進。辟如小水常流、則能穿石。若行者之心數數懈癈、譬如鑽火未熱而息、雖欲得火、火難可得。是名精進
(佛言はく、汝等比丘、若し勤精進すれば、則ち事として難き者無し。是の故に汝等當に勤精進すべし。辟へば小水の常に流るれば、則ち能く石を穿つが如し。若し行者の心數數懈癈せんには、譬へば火を鑽るに未だ熱からざるに而も息めば、火を得んと欲ふと雖も、火を得べきこと難きが如し。是れを精進と名づく)。
五者不忘念。亦名守正念。守法不失、名爲正念。亦名不忘念
(五つには不忘念。亦た守正念と名づく。法を守つて失せざるを、名づけて正念と爲。亦た不忘念と名づく)。
佛言、汝等比丘、求善知識、求善護助、無如不忘念。若有不忘念者、諸煩惱賊則不能入。是故汝等、常當攝念在心。若失念者則失諸功徳。若念力堅強、雖入五欲賊中、不爲所害。譬如著鎧入陣、則無所畏。是名不忘念
(佛言はく、汝等比丘、善知識を求め、善護助を求むるは、不忘念に如くは無し。若し不忘念有る者は、諸の煩惱の賊則ち入ること能はず。是の故に汝等、常に念を攝めて心に在らしむべし。若し念を失せば則ち諸の功徳を失す。若し念力堅強なれば、五欲の賊の中に入ると雖も爲に害せられず。譬へば鎧を著て陣に入れば、則ち畏るる所無きが如し。是れを不忘念と名づく)。
六者修禪定。住法不亂、名曰禪定
(六つには修禪定。法に住して亂れず、名づけて禪定と曰ふ)。
佛言、汝等比丘、若攝心者、心則在定。心在定故、能知世間生滅法相。是故汝等、常當精勤修習諸定。若得定者、心則不散。譬如惜水之家、善治堤塘。行者亦爾、爲智惠水故、善修禪定、令不漏失。是名爲定
(佛言はく、汝等比丘、若し心を攝むれば、心則ち定に在り。心、定に在るが故に、能く世間生滅の法相を知る。是の故に汝等、常に當に精勤して諸の定を修習すべし。若し定を得ば、心則ち散ぜず。譬へば水を惜しむ家の、善く堤塘を治むるが如し。行者も亦た爾り、智惠の水の爲の故に、善く禪定を修して漏失せざらしむ。是れを名づけて定と爲す)。
七者修智惠。起聞思修證爲智惠
(七つには修智惠。聞思修證を起すを智惠と爲す)。
佛言、汝等比丘、若有智惠則無貪著、常自省察不令有失。是則於我法中能得解脱。若不爾者、既非道人、又非白衣、無所名也。實智惠者則是度老病死海堅牢船也、亦是無明黒暗大明燈也、一切病者之良藥也、伐煩惱樹之利斧也。是故汝等當以聞思修慧、而自増益。若人有智惠之照、雖是肉眼、而是明眼人也。是爲智惠
(佛言はく、汝等比丘、若し智惠有れば則ち貪著無し、常に自ら省察して失有らしめず。是れ則ち我が法の中に於て能く解脱を得。若し爾らずは、既に道人に非ず、又白衣に非ず、名づくる所なし。實智惠は則ち是れ老病死海を度る堅牢の船なり、亦た是れ無明黒暗の大明燈なり、一切病者の良藥なり、煩惱の樹を伐る利斧なり。是の故に汝等當に聞思修慧を以て而も自ら増益すべし。若し人智惠の照あらば、是れ肉眼なりと雖も、而も是れ明眼の人なり。是れを智惠と爲す)。
八者不戲論。證離分別、名不戲論。究盡實相、乃不戲論
(八つには不戲論。證して分別を離るるを、不戲論と名づく。實相を究盡す、乃ち不戲論なり)。
佛言、汝等比丘、若種種戲論、其心則亂。雖復出家猶未得脱。是故比丘、當急捨離亂心戲論。汝等若欲得寂滅樂者、唯當善滅戲論之患。是名不戲論
(佛言はく、汝等比丘、若し種種の戲論あらば、其の心則ち亂る。復た出家すと雖も猶ほ未だ得脱せず。是の故に比丘、當に急ぎて亂心と戲論とを捨離すべし。汝等若し寂滅の樂を得んと欲はば、唯當に善く戲論の患を滅すべし。是れを不戲論と名づく)。
これ八大人覺なり。一一各具八、すなはち六十四あるべし。ひろくするときは無量なるべし、略すれば六十四なり。
大師釋尊、最後之説、大乘之所教誨。二月十五日夜半の極唱、これよりのち、さらに説法しましまさず、つひに般涅槃しまします。
佛言、汝等比丘、常當一心勤求出道。一切世間動不動法、皆是敗壞不安之相。汝等且止、勿得復語。時將欲過、我欲滅度、是我最後之所教誨
(佛言はく、汝等比丘、常に當に一心に勤めて出道を求むべし。一切世間の動不動の法は、皆な是れ敗壞不安の相なり。汝等且く止みね、復た語ふこと得ること勿れ。時將に過ぎなんとす、我れ滅度せんとす。是れ我が最後の教誨する所なり)。
このゆゑに、如來の弟子は、かならずこれを習學したてまつる。これを修習せず、しらざらんは佛弟子にあらず。これ如來の正法眼藏涅槃妙心なり。しかあるに、いましらざるものはおほく、見聞せることあるものはすくなきは、魔@(にょう)によりてしらざるなり。また宿殖善根すくなきもの、きかず、みず。むかし正法、像法のあひだは、佛弟子みなこれをしれり、修習し參學しき。いまは千比丘のなかに、一兩この八大人覺しれる者なし。あはれむべし、澆季の陵夷、たとふるにものなし。如來の正法、いま大千に流布して、白法いまだ滅せざらんとき、いそぎ習學すべきなり、緩怠なることなかれ。
佛法にあふたてまつること、無量劫にかたし。人身をうること、またかたし。たとひ人身をうくといへども、三洲の人身よし。そのなかに、南洲の人身すぐれたり。見佛聞法、出家得道するゆゑなり。如來の般涅槃よりさきに涅槃にいり、さきだちて死せるともがらは、この八大人覺をきかず、ならはず。いまわれら見聞したてまつり、習學したてまつる、宿殖善根のちからなり。いま習學して生生に増長し、かならず無上菩提にいたり、衆生のためにこれをとかんこと、釋迦牟尼佛にひとしくしてことなることなからん。」(6)
(注)
- (1)「出家功徳」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、267頁。
&=心偏の橋(きょう)。
- (2)同上、272頁。
- (3)同上、276頁。
- (4)「袈裟功徳」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、315頁。
&=心偏の橋(きょう)。
- (5)「一百八法明門」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、450頁。
- (6)「八大人覚」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、451頁-457頁。
@=@ 女偏に尭(にょう)、&=心偏に貴(かい)
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