もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
仏教学・禅学の批判
名聞利養を追わない=十二巻「正法眼蔵」
名聞利養を追わない
「正法眼蔵」
- 「釋迦牟尼佛、十二年中頂戴してさしおきましまさざりき。すでに遠孫なり、これを學すべし。いたづらに名利のために天を拜し神を拜し、王を拜し臣を拜する頂門をめぐらして、佛衣頂戴に廻向せん、よろこぶべきなり。
ときに仁治元年庚子開冬日在觀音導利興聖寶林寺示衆
建長乙卯夏安居日令義演書記書寫畢
同七月初五日一校了 以御草案爲本
建治元年丙子五月廿五日書寫了」(1)
- 「夾山圜悟禪師克勤和尚、頌古に云く、
魚行水濁、鳥飛毛落(魚行けば水濁り、鳥飛べば毛落つ)
、
至鑑難逃、太虚寥廓(至鑑逃れ難く、太虚寥廓たり)。
一往迢迢五百生(一往迢迢たり五百生)、
只縁因果大修行(只因果に縁つて大修行す)。
疾雷破山風震海(疾雷、山を破り、風、海を震はす)、
百錬精金色不改(百錬の精金、色改まらず)。
この頌なほ撥無因果のおもむきあり、さらに常見のおもむきあり。
杭州徑山大慧禪師宗杲和尚、頌に云、
不落不昧、石頭土塊(不落不昧、石頭土塊)、
陌路相逢、銀山粉碎(陌路に相逢ふて、銀山粉碎す)。
拍手呵呵笑一場(拍手呵呵笑ひ一場)。
明州有箇&(かん) 布袋(明州に箇の&(かん) 布袋有り)。
これらをいまの宋朝のともがら、作家の祖師とおもへり。しかあれども、宗杲が見解、いまだ佛法の施權のむねにおよばず、ややもすれば自然見解のおもむきあり。
おほよそこの因縁に、頌古、拈古のともがら三十餘人あり。一人としても、不落因果是れ撥無因果なりと疑ふものなし。あはれむべし。このともがら、因果をあきらめず、いたづらに紛紜のなかに一生をむなしくせり。佛法參學には、第一因果をあきらむるなり。因果を撥無するがごときは、おそらくは猛利の邪見をおこして、斷善根とならんことを。
おほよそ因果の道理、歴然としてわたくしなし。造惡のものは墮し、修善のものはのぼる、毫釐もたがはざるなり。もし因果亡じ、むなしからんがごときは、諸佛の出世あるべからず、祖師の西來あるべからず、おほよそ衆生の見佛聞法あるべからざるなり。因果の道理は、孔子、老子等のあきらむるところにあらず。ただ佛佛祖祖、あきらめつたへましますところなり。澆季の學者、薄福にして正師にあはず、正法をきかず、このゆゑに因果をあきらめざるなり。撥無因果すれば、このとがによりて、@@(もうもう)蕩蕩として殃禍をうくるなり。撥無因果のほかに餘惡いまだつくらずといふとも、まづこの見毒はなはだしきなり。
しかあればすなはち、參學のともがら、菩提心をさきとして、佛祖の洪恩を報ずべくは、すみやかに諸因諸果をあきらむべし。」(2)
- 「四禪比丘、みづからが僻見をまこととして、如來の欺誑しましますと思ふ、ながく佛道を違背したてまつるなり。愚癡のはなはだしき、六師等にひとしかるべし。
古徳云、大師在世、尚有僻計生見之人、況滅後無師、不得禪者(大師在世すら、尚ほ僻計生見の人有り、況んや滅後師無く、禪を得ざる者をや)。
いま大師とは佛世尊なり。まことに世尊在世、出家受具せる、なほ無聞によりては僻計生見の誤りのがれがたし。いはんや如來滅後、後五百歳、邊地下賎の時處、誤りなからんや。四禪を發せるもの、なほかくのごとし。いはんや四禪を發するに及ばず、いたづらに貪名愛利にしづめらんもの、官途世路を貪るともがら、不足言なるべし。いま大宋國に寡聞愚鈍のともがら多し、かれらがいはく、佛法と老子、孔子の法と、一致にして異轍あらず。」(3)
(注)
- (1)「袈裟功徳」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、331頁。
- (2)「深信因果」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、393頁。
- (3)「四禅比丘」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、425頁。
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