もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
仏教学・禅学の批判
経典の肯定=十二巻「正法眼蔵」
(a)経典の肯定
十二巻本「正法眼蔵」
- 「おほよそ速證法王身のとき、かならず袈裟を著せり。袈裟を著せざるものの法王身を證せること、むかしよりいまだあらざるところなり。その最第一清淨の衣財は、これ糞掃衣なり。その功徳、あまねく大乘・小乘の經・律・論のなかにあきらかなり。廣學諮問すべし。その餘の衣財、またかねあきらむべし。佛佛祖祖、かならずあきらめ、正傳しましますところなり、餘類のおよぶべきにあらず。」(1)
- 「復次、有小因大果、小縁大報。如求佛道、讃一偈、一稱南無佛、燒一捻香、必得作佛。何況聞知諸法實相、不生不滅、不不生不不滅、而行因縁業、亦不失
(復た次に、小因大果、小縁大報といふこと有り。佛道を求むるが如き、一偈を讃め、一たび南無佛を稱じ、一捻香を燒く、必ず作佛することを得ん。何に況んや諸法實相、不生不滅、不不生不不滅を聞知して、而も因縁の業を行ぜん、また失せじ)。
世尊の所説、かくのごとくあきらかなるを、龍樹祖師したしく正傳しましますなり。誠諦の金言、正傳の相承あり。たとひ龍樹祖師の所説なりとも、餘師の説に比すべからず。世尊の所示を正傳流布しましますにあふことをえたり、もともよろこぶべし。これらの聖教を、みだりに東土の凡師の虚説に比量することなかれ。」(2)
- (大智度論、三宝の肯定)
「この因縁、むかしは先師の室にして夜話をきく、のちには智論の文にむかうてこれを檢校す。傳法祖師の示誨、あきらかにして遺落せず。この文、智度論第十にあり。諸佛かならず諸法實相を大師としましますこと、あきらけし。釋尊また諸佛の常法を證しまします。
いはゆる諸法實相を大師とするといふは、佛法僧三寶を供養恭敬したてまつるなり。諸佛は無量阿僧祇劫そこばくの功徳善根を積集して、さらにその報をもとめず。ただ功徳を恭敬して供養しましますなり。佛果菩提のくらゐにいたりてなほ小功徳を愛し、盲比丘のために衽針しまします。佛果の功徳をあきらめんとおもはば、いまの因縁、まさしく消息なり。
しかあればすなはち、佛果菩提の功徳、諸法實相の道理、いまのよにある凡夫のおもふがごとくにはあらざるなり。いまの凡夫のおもふところは、造惡の諸法實相ならんとおもふ、有所得のみ佛果菩提ならんとおもふ。かくのごとくの邪見は、たとひ八萬劫をしるといふとも、いまだ本劫、本見、末劫、末見をのがれず。いかでか唯佛與佛の究盡しましますところの諸法實相を究盡することあらん。ゆゑいかんとなれば、唯佛與佛の究盡しましますところ、これ諸法實相なるがゆゑなり。」(3)
- 「あきらかにしりぬ、佛果菩提のうへに、古佛のために塔をたて、これを禮拜供養したてまつる、これ諸佛の常法なり。かくのごとくの事おほけれど、しばらくこれを擧揚す。
佛法は有部すぐれたり、そのなか、僧祇律もとも根本なり。僧祇律は、法顯はじめて荊棘をひらきて西天にいたり、靈山にのぼれりしついでに將來するところなり。祖祖正傳しきたれる法、まさしく有部に相應せり。」(4)
- 「第十至處道供養。謂供養順果、名至處道供養。佛果是其所至之處、供養之行、能至彼處、名至處道。至處道供養、或名法供養。或名行供養。就中有三。一者財物供養爲至處道供養。二隨喜供養、爲至處道供養。三修行供養、爲至處道供養
(第十に至處道供養。謂ゆる供養、果に順ふを至處道供養と名づく。佛果は是れ其の所至の處、供養の行、能く彼處に至るを、至處道と名づく。至處道供養、或いは法供養と名づけ、或いは行供養と名づく。中に就きて三有り、一には財物供養を至處道供養と爲。二には隨喜供養を至處道供養と爲。三には修行供養を至處道供養と爲)。
供養於佛、既有此十供養。於法於僧、類亦同然
(佛に供養すること、既に此の十供養有り。法に於ても僧に於ても、類するに亦た同然なり)。
謂供養法者、供養佛所説理教行法、并供養經卷。供養僧者、謂供養一切三乘聖衆及其支提、并其形像、塔廟及凡夫僧
(謂ゆる供養法とは、佛所説の理教行法に供養し、并びに經卷に供養す。供養僧とは、謂ゆる一切三乘の聖衆及び其の支提、并びに其の形像、塔廟及び凡夫僧に供養す)。
次供養心有六種(次に供養の心に六種有り)。
一、福田無上心。生福田中最勝(福田中の最勝を生ず)。
二、恩徳無上心。一切善樂、依三寶出生(一切の善樂は、三寶に依つて出生す)。
三、生一切衆生最勝心。
四、如優曇鉢華難遇心。
五、三千大千世界殊獨一心。
六、一切世間出世間、具足依義心。謂如來具足世間出世間法、能與衆生爲依止處、名具足依義
(謂ゆる如來は、世間、出世間の法を具足したまひて、能く衆生の與に依止處と爲りたまふを、具足依義と名づく)。
以此六心、雖是少物、供養三寶、能獲無量無邊功徳。何況其多
(此の六心を以て、是れ少物なりと雖も、三寶に供養ずれば、能く無量無邊の功徳を獲しむ。何に況んや其の多からんをや)。
かくのごとくの供養、かならず誠心に修設すべし。諸佛かならず修しきたりましますところなり。その因縁、あまねく經・律にあきらかなれども、なほ佛祖まのあたり正傳しきたりまします。執事服勞の日月、すなはち供養の時節なり。形像舍利を安置し、供養禮拜し、塔廟をたて、支提をたつる儀則、ひとり佛祖の屋裏に正傳せり、佛祖の兒孫にあらざれば正傳せず。またもし如法に正傳せざれば法儀相違す、法儀相違するがごときは供養まことならず、供養まことならざれば功徳おろそかなり。かならず如法供養の法、ならひ正傳すべし。令韜禪師は曹溪の塔頭に陪侍して年月をおくり、盧行者は晝夜にやすまず碓米供衆する、みな供養の如法なり。これその少分なり、しげくあぐるにいとまあらず。かくのごとく供養すべきなり。」(5)
- 「法華經曰、
是諸罪衆生(是の諸の罪の衆生は)、
以惡業因縁(惡業の因縁を以て)、
過阿僧祇劫(阿僧祇劫を過ぐとも)、
不聞三寶名(三寶の名を聞かず)。
法華經は、諸佛如來一大事の因縁なり。大師釋尊所説の諸經のなかには、法華經これ大王なり、大師なり。餘經、餘法は、みなこれ法華經の臣民なり、眷屬なり。法華經中の所説これまことなり、餘經中の所説みな方便を帶せり、ほとけの本意にあらず。餘經中の説をきたして法華に比校したてまつらん、これ逆なるべし。法華の功徳力をかうぶらざれば餘經あるべからず、餘經はみな法華に歸投したてまつらんことをまつなり。この法華經のなかに、いまの説まします。しるべし、三寶の功徳、まさに最尊なり、最上なりといふこと。」(6)
- (生不生の法、三乘一乘の法を鞭影として聞く場合は肯定)
「龍樹祖師曰、爲人説句、如快馬見鞭影、即入正路(人の爲に句を説くに、快馬の鞭影を見て、即ち正路に入るが如し)。
あらゆる機縁、あるいは生不生の法をきき、三乘一乘の法をきく、しばしば邪路におもむかんとすれども、鞭影しきりにみゆるがごときは、すなはち正路にいるなり。もし師にしたがひ、人にあひぬるがごときは、ところとして説句にあらざることなし、ときとして鞭影をみずといふことなきなり。即坐に鞭影をみるもの、三阿僧祇をへて鞭影をみるものあり、無量劫を經て鞭影をみ、正路にいることをうるなり。」(7)
- (涅槃経、「諸經かくのごときのところおほし」と経典を肯定)
「いま生厭といふは、
佛以一音演説法(佛、一音を以て法を演説したまふに)、
衆生隨類各得解(衆生、類に隨つて各解を得)。
或有恐怖或歡喜(或いは恐怖する有り、或いは歡喜し)、
或生厭離或斷疑(或いは厭離を生じ、或いは疑ひを斷ず)。
なり。
大經曰、佛言、復次善男子、如調馬者、凡有四種。一者觸毛、二者觸皮、三者觸肉、四者觸骨。隨其所觸、稱御者意。如來亦爾、以四種法、調伏衆生。一爲説生、便受佛語。如觸其毛隨御者意。二説生老、便受佛語。如觸毛皮、隨御者意。三者説生及以老病、便受佛語。如觸毛皮肉隨御者意。四者説生及老病死、便受佛語。如觸毛皮肉骨、隨御者意。
(大經に曰く、佛言はく、復た次に善男子、調馬者の如き、凡さ四種有り。一つには觸毛、二つには觸皮、三つには觸肉、四つには觸骨なり。其の觸るる所に隨つて、御者の意に稱ふ。如來も亦た爾なり、四種の法を以て、衆生を調伏したまふ。一つには爲に生を説きたまふに、便ち佛語を受く。其の毛に觸るれば御者の意に隨ふが如し。二つには生、老を説きたまふに、便ち佛語を受く。毛、皮に觸るれば御者の意に隨ふが如し。三つには生及以び老、病を説きたまふに便ち佛語を受く。毛、皮、肉に觸るれば御者の意に隨ふが如し。四つには生及び老、病、死を説きたまふに、便ち佛語を受く。毛、皮、肉、骨に觸るれば御者の意に隨ふが如し)。
善男子、御者調馬、無有決定。如來世尊、調伏衆生、必定不虚。是故號佛調御丈夫(善男子、御者の馬を調ふること、決定有ること無し。如來世尊、衆生を調伏したまふこと、必定して虚しからず。是の故に佛を調御丈夫と號く)。
これを涅槃經の四馬となづく。學者ならはざるなし、諸佛ときたまはざるおはしまさず。ほとけにしたがひたてまつりてこれをきく、ほとけをみたてまつり、供養したてまつるごとには、かならず聽聞し、佛法を傳授するごとには、衆生のためにこれをとくこと、歴劫におこたらず。つひに佛果にいたりて、はじめ初發心のときのごとく、菩薩聲聞、人天大會のためにこれをとく。このゆゑに、佛法僧寶種不斷なり。
かくのごとくなるがゆゑに、諸佛の所説と菩薩の所説と、はるかにことなり。しるべし、調馬師の法におほよそ四種あり。いはゆる觸毛、觸皮、觸肉、觸骨なり。これなにものを觸毛せしむるとみえざれども、傳法の大士おもはくは、鞭なるべしと解す。しかあれども、かならずしも調馬の法に鞭をもちゐるもあり、鞭をもちゐざるもあり。調馬かならず鞭のみにはかぎるべからず。たてるたけ八尺なる、これを龍馬とす。このむまととのふること、人間にすくなし。また千里馬といふむまあり、一日のうちに千里をゆく。このむま五百里をゆくあひだ、血汗をながす、五百里すぎぬれば、清涼にしてはやし、このむまにのる人すくなし。ととのふる法、しれるものすくなし。このむま、神丹國にはなし、外國にあり。このむま、おのおのしきりに鞭を加すとみえず。
しかあれども、古徳いはく、調馬かならず鞭を加す。鞭にあらざればむまととのほらず。これ調馬の法なり。いま觸毛皮肉骨の四法あり、毛をのぞきて皮に觸することあるべからず。毛、皮をのぞきて肉、骨に觸すべからず。かるがゆゑにしりぬ、これ鞭を加すべきなり。いまここにとかざるは文の不足なり。
諸經かくのごときのところおほし、如來世尊調御丈夫またしかあり。四種の法をもて、一切衆生を調伏して、必定不虚なり。いはゆる生を爲説するにすなはち佛語をうくるあり、生、老を爲説するに佛語をうくるあり、生、老、病を爲説するに佛語をうくるあり、生、老、病、死を爲説するに佛語をうくるあり。のちの三をきくもの、いまだはじめの一をはなれず。世間の調馬の、觸毛をはなれて觸皮肉骨あらざるがごとし。生老病死を爲説すといふは、如來世尊の生老病死を爲説しまします、衆生をして生老病死をはなれしめんがためにあらず。生老病死すなはち道ととかず、生老病死すなはち道なりと解せしめんがためにとくにあらず。この生老病死を爲説するによりて、一切衆生をして阿耨多羅三藐三菩提の法をえしめんがためなり。これ如來世尊、調伏衆生、必定不虚、是故號佛調御丈夫なり。」(8)
- (聖教を肯定)
「この比丘、はじめ生見のあやまりあれど、殺害の狼藉をみるにおそりを生ず。ときにわれ羅漢にあらずとおもふ、なほ第三果なるべしとおもふあやまりあり。のちに細滑の想によりて愛欲心を生ずるに、阿那含にあらずとしる、さらに謗佛のおもひを生ぜず、謗法のおもひなし、聖教にそむくおもひあらず。四禪比丘にはひとしからず。この比丘は、聖教を習學せるちからあるによりて、みづから阿羅漢にあらず、阿那含にあらずとしるなり。いまの無聞のともがらは、阿羅漢はいかなりともしらず、佛はいかなりともしらざるがゆゑに、みづから阿羅漢にあらず、佛にあらずともしらず、みだりにわれは佛なりとのみおもひいふは、おほきなるあやまりなり、ふかきとがあるべし。學者まづすべからく佛はいかなるべしとならふべきなり。
古徳云、習聖教者、薄知次位、縱生逾濫、亦易開解(聖教を習ふ者、薄次位を知るは、縱逾濫を生ずれども、亦た開解し易し)。
まことなるかな、古徳の言。たとひ生見のあやまりありとも、すこしきも佛法を習學せらんともがらは、みづからに欺誑せられじ、他人にも欺誑せられじ。」(9)
- (大小兩乘を肯定)
「いまこの説によらば、いよいよ佛法と孔老とことなるべし。すでにこれ菩薩なり、佛果にひとしかるべからず。また和光應迹の功徳は、ひとり三世諸佛菩薩の法なり。俗人凡夫の所能にあらず、實業の凡夫、いかでか應迹に自在あらん。孔老いまだ應迹の説なし、いはんや孔老は、先因をしらず、當果をとかず。わづかに一世の忠をもて、君につかへ家ををさむる術をむねとせり、さらに後世の説なし。すでにこれ斷見の流類なるべし。莊老をきらふに、小乘なほしらず、いはんや大乘をやといふは上古の明師なり。三教一致といふは智圓、正受なり、後代澆季愚闇の凡夫なり。なんぢなんの勝出あればか、上古の先徳の所説をさみして、みだりに孔老と佛法とひとしかるべしといふ。なんだちが所見、すべて佛法の通塞を論ずるにたらず。負笈して明師に參學すべし、智圓、正受、なんぢら大小兩乘すべていまだしらざるなり。四禪をえて四果とおもふよりもくらし。悲しむべし、澆風のあふぐところ、かくのごとくの魔子おほかることを。」(10)
- (一百八法明門を肯定。この中に、戒・禅定・慧・四諦、八正道、無生法忍、慈悲などの実践が含まれている)
「(前略)
知時是れ法明門なり、言説を輕んぜざるが故に。(108のうち33番目、中略)
これすなはち一百八法明門なり。一切の一生所繋の菩薩、都史多天より閻浮提に下生せんとするとき、かならずこの一百八法明門を、都史多天の衆のために敷揚して、諸天を化するは、諸佛の常法なり。
護明菩薩とは、釋迦牟尼佛、一生補處として第四天にましますときの名なり。李附馬、天聖廣燈録を撰するに、この一百八法明門の名字をのせたり。參學のともがら、あきらめしれるはすくなく、しらざるは稻麻竹葦のごとし。いま初心晩學のともがらのためにこれを撰す。師子の座にのぼり、人天の師となれらんともがら、審細參學すべし。この都史多天に一生所繋として住せざれば、さらに諸佛にあらざるなり。行者みだりに我慢することなかれ、一生所繋の菩薩は中有なし。」(11)
(注)
- (1)「袈裟功徳」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、327頁。
- (2)「供養諸仏」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、358頁。
- (3)「供養諸仏」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、360頁。
- (4)「供養諸仏」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、367頁。
- (5)同上、369頁。
- (6)「帰依仏法僧宝」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、374頁。
- (7)「四馬」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、414頁。
- (8)「四馬」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、415頁。
- (9)「四禅比丘」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、422頁。
- (10)「四禅比丘」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、428頁。
- (11)「一百八法明門」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、450頁。
(b)経典を肯定的に引用
十二巻本「正法眼蔵」
- (初期仏教の四聖諦、八正道を肯定)
「世尊言、
衆人怖所逼、多歸依諸山(衆人所逼を怖れて、多く諸山)、
園苑及叢林、孤樹制多等(園苑及び叢林、孤樹制多等に歸依す)、
此歸依非勝、此歸依非尊(此の歸依は勝に非ず、此の歸依は尊に非ず)、
不因此歸依、能解脱衆苦(此の歸依に因りては、能く衆苦を解脱せず)。
諸有歸依佛、及歸依法僧(諸の佛に歸依し、及び法僧に歸依すること有るは)、
於四聖諦中、恆以慧觀察(四聖諦の中に於て、恆に慧を以て觀察し)、
知苦知苦集、知永超衆苦(苦を知り苦の集を知り、永く衆苦を超えんことを知り)、
知八支聖道、趣安穩涅槃(八支の聖道を知り、安穩涅槃に趣く)。
此歸依最勝、此歸依最尊(此の歸依は最勝なり、此の歸依は最尊なり)、
必因此歸依、能解脱衆苦(必ず此の歸依に因つて、能く衆苦を解脱す)。
世尊あきらかに一切衆生のためにしめしまします。衆生いたづらに所逼をおそれて、山神、鬼神等に歸依し、あるいは外道の制多に歸依することなかれ。かれはその歸依によりて衆苦を解脱することなし。おほよそ外道の邪教にしたがうて、
牛戒、鹿戒、羅刹戒、鬼戒、@(あ)戒、聾戒、狗戒、鷄戒、雉戒。以灰塗身、長髪爲相、以羊祠時、先呪後殺、四月事火、七日服風。百千億華供養諸天、諸所欲願、因此成就。如是等法、能爲解脱因者、無有是處。智者處不讃、唐苦無善報
(牛戒、鹿戒、羅刹戒、鬼戒、@(あ)戒、聾戒、狗戒、鷄戒、雉戒あり。灰を以て身に塗り、長髪もて相を爲し、羊を以て時を祠り、先に呪して後に殺す。四月火に事へ、七日風に服し、百千億の華もて諸天に供養し、諸の欲ふ所の願、此れに因りて成就すといふ。是の如き等の法、能く解脱の因なりと爲さば、是の處有ること無けん。智者の讃めざる所なり、唐しく苦しんで善報無し)。
かくのごとくなるがゆゑに、いたづらに邪道に歸せざらんこと、あきらかに甄究すべし。たとひこれらの戒にことなる法なりとも、その道理、もし孤樹、制多等の道理に符合せらば、歸依することなかれ。人身うることかたし、佛法あふことまれなり。いたづらに鬼神の眷屬として一生をわたり、むなしく邪見の流類として多生をすごさん、かなしむべし。はやく佛法僧三寶に歸依したてまつりて、衆苦を解脱するのみにあらず、菩提を成就すべし。
希有經云、教化四天下及六欲天、皆得四果、不如一人受三歸功徳
(四天下及び六欲天を教化して、皆な四果を得しむとも、一人の三歸を受くる功徳には如かじ)。」(1)
- (初期仏教経典で最も重視された四聖諦などを龍樹が説くのを引用)
「龍樹祖師云、如外道人、破世間因果、則無今世後世。破出世因果、則無三寶、四諦、四沙門果
(龍樹祖師云く、外道の人の如く、世間の因果を破せば、則ち今世後世無けん。出世の因果を破せば、則ち三寶、四諦、四沙門果無けん)。
あきらかにしるべし、世間出世の因果を破するは外道なるべし。今世なしといふは、かたちはこのところにあれども、性はひさしくさとりに歸せり、性すなはち心なり、心は身とひとしからざるゆゑに。かくのごとく解する、すなはち外道なり。あるいはいはく、人死するとき、かならず性海に歸す、佛法を修習せざれども、自然に覺海に歸すれば、さらに生死の輪轉なし。このゆゑに後世なしといふ。これ斷見の外道なり。かたちたとひ比丘にあひにたりとも、かくのごとくの邪解あらんともがら、さらに佛弟子にあらず。まさしくこれ外道なり。おほよそ因果を撥無するより、今世後世なしとはあやまるなり。因果を撥無することは、眞の知識に參學せざるによりてなり。眞知識に久參するがごときは、撥無因果等の邪解あるべからず。龍樹祖師の慈誨、深く信仰したてまつり、頂戴したてまつるべし。」(2)
- (雜阿含經の「四馬」を肯定)
「雜阿含經曰、佛告比丘、有四種馬、一者見鞭影、即便驚悚隨御者意。二者觸毛、便驚悚隨御者意。三者觸肉、然後乃驚。四者徹骨、然後方覺。初馬如聞他聚落無常、即能生厭。次馬如聞己聚落無常、即能生厭。三馬如聞己親無常、即能生厭。四馬猶如己身病苦、方能生厭
(雜阿含經に曰く、佛、比丘に告ぐ、四種の馬有り、一には鞭影を見て、即便ち驚悚して御者の意に隨ふ。二には毛に觸るるに、便ち驚悚して、御者の意に隨ふ。三には肉に觸れて、然して後に乃ち驚く。四には骨に徹して、然る後に方に覺る。初めの馬は、他の聚落の無常を聞きて、即ち能く厭を生ずるが如し。次の馬は、己が聚落の無常を聞きて、即ち能く厭を生ずるが如し。三の馬は、己が親の無常を聞きて、即ち能く厭を生ずるが如し。四の馬は、猶ほ己が身の病苦によりて、方に能く厭を生ずるが如し)。
これ阿含の四馬なり。佛法を參學するとき、かならず學するところなり。眞善知識として人中天上に出現し、ほとけのつかひとして祖師なるは、かならずこれを參學しきたりて、學者のために傳授するなり。しらざるは人天の善知識にあらず。學者もし厚殖善根の衆生にして、佛道ちかきものは、かならずこれをきくことをうるなり。佛道とほきものは、きかず、しらず。
しかあればすなはち、師匠いそぎとかんことをおもふべし、弟子いそぎきかんとこひねがふべし。」(3)
- (三寶、四諦、四沙門の説を肯定)
「大宋嘉泰中、有僧正受。撰進普燈録三十卷云、臣聞孤山智圓之言曰、吾道如鼎也、三教如足也。足一虧而鼎覆焉。臣甞慕其人稽其説。乃知、儒之爲教、其要在誠意。道之爲教、其要在虚心。釋之爲教、其要在見性。誠意也虚心也見性也、異名躰同。究厥攸歸、無適而不與此道會云云
(大宋嘉泰中に僧正受といふもの有り。普燈録三十卷を撰進するに云く、臣、孤山智圓の言ふを聞くに曰く、吾が道は鼎の如し、三教は足の如し。足一も虧くれば鼎覆へると。臣、甞て其の人を慕ひ其の説を稽ふ。乃ち知りぬ、儒の教たること、其の要は誠意に在り。道の教たること、其の要は虚心に在り、釋の教たること、其の要は見性に在ることを。誠意と虚心と見性と、名を異にして躰同じ。厥の歸する攸を究むるに、適として此の道と會せずといふこと無し云云)。
かくのごとく僻計生見のともがらのみ多し、ただ智圓、正受のみにはあらず。このともがらは、四禪を得て四果と思はんよりも、その誤りふかし。謗佛、謗法、謗僧なるべし。すでに撥無解脱なり、撥無三世なり、撥無因果なり。莽莽蕩蕩招殃禍、疑ひなし。三寶、四諦、四沙門なしとおもふしともがらにひとし。佛法いまだその要見性にあらず、西天二十八祖、七佛、いづれのところにか佛法のただ見性のみなりとある。六祖壇經に見性の言あり、かの書これ僞書なり、附法藏の書にあらず、曹溪の言句にあらず、佛祖の兒孫またく依用せざる書なり。正受、智圓いまだ佛法の一隅をしらざるによりて、一鼎三足の邪計をなす。」(4)
(注)
- (1)「帰依仏法僧宝」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、375頁。 @=病垂に亞(あ)。
- (2)「深信因果」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、391頁。
- (3)「四馬」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、414頁。
- (4)「四禅比丘」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、426頁。
(c)経典の否定のごとし
十二巻本「正法眼蔵」
- (華厳経などの「三界唯心」に似た思想を否定しているかのよう)
「莊子云、貴賎苦樂、是非得失、皆是自然。
この見、すでに西國の自然見の外道の流類なり、貴賎苦樂、是非得失、みなこれ善惡業の感ずるところなり。滿業、引業をしらず、過世、未世をあきらめざるがゆゑに現在にくらし、いかでか佛法にひとしからん。
あるがいはく、諸佛如來ひろく法界を證するゆゑに、微塵法界、みな諸佛如來の所證なり。しかあれば、依正二報ともに如來の所證となりぬるがゆゑに、山河大地、日月星辰、四倒三毒、みな如來の所證なり。山河をみるは如來をみるなり、三毒四倒佛法にあらずといふことなし。微塵をみるは法界をみるにひとし。造次顛沛、みな三菩提なり。これを大解脱といふ。これを單傳直指の祖道となづく。
かくのごとくいふともがら、大宋國に稻麻竹葦のごとく、朝野に遍滿せり。しかあれども、このともがら、たれ人の兒孫といふことあきらかならず、おほよそ佛祖の道をしらざるなり。たとひ諸佛の所證となるとも、山河大地たちまちに凡夫の所見なかるべきにあらず、諸佛の所證となる道理をならはず、きかざるなり。なんぢ微塵をみるは法界をみるにひとしといふ、民の王にひとしといはんがごとし。またなんぞ法界をみて微塵にひとしといはざる。もしこのともがらの所見を佛祖の大道とせば、諸佛出世すべからず、祖師出現すべからず、衆生得道すべからざるなり。たとひ生即無生と體達すとも、この道理にあらず。」(1)
(注)
- (1)「四禅比丘」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、430頁。
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