もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
仏教学・禅学の批判
公案=十二巻「正法眼蔵」
十二巻本「正法眼蔵」
百丈野狐
- 「百丈山大智禪師懷海和尚、凡參次、有一老人、常隨衆聽法。衆人退老人亦退。忽一日不退(百丈山大智禪師懷海和尚、凡そ參次に一りの老人有つて、常に衆に隨つて聽法す。衆人退すれば老人もまた退す。忽ちに一日退せず)。
師遂問、面前立者、復是何人(師、遂に問ふ、面前に立せるは、復た是れ何人ぞ)。
老人對曰、某甲是非人也。於過去迦葉佛時、曾住此山。因學人問、大修行底人、還落因果也無。某甲答曰、不落因果。後五百生、墮野狐身。今請和尚代一轉語、貴脱野狐身(老人對して曰く、某甲は是れ非人なり。過去迦葉佛の時に、曾て此の山に住せり。因みに學人問ふ、大修行底の人、還た因果に落つや無や。某甲答へて曰く、因果に落ちず。後五百生まで、野狐の身に墮す。今請すらくは和尚、一轉語を代すべし。貴すらくは野狐の身を脱れんことを)。
遂問曰、大修行底人、還落因果也無(大修行底の人、還た因果に落つや無や)。
師曰、不昧因果(因果に昧からず)。
老人於言下大悟、作禮曰、某甲已脱野狐身、住在山後。敢告和尚、乞依亡僧事例(老人言下に大悟し、禮を作して云く、某甲已に野狐身を脱かれぬ、山後に住在せらん。敢告すらくは和尚、乞ふ亡僧の事例に依らんことを)。
師令維那白槌告衆曰、食後送亡僧(師、維那に令して白槌して衆に告して曰く、食後に亡僧を送るべし)。
大衆言議、一衆皆安、涅槃堂又無病人、何故如是(大衆言議すらく、一衆皆安なり、涅槃堂にまた病人無し、何が故ぞ是の如くなる)。
食後只見、師領衆、至山後岩下、以杖指出一死野狐。乃依法火葬(食後に只見る、師、衆を領して、山後の岩下に至り、杖を以て一つの死野狐を指出するを。乃ち法に依つて火葬せり)。
師至晩上堂、擧前因縁(師、至晩に上堂して、前の因縁を擧す)。
黄檗便問、古人錯祗對一轉語、墮五百生野狐身。轉轉不錯、合作箇什麼(黄檗便ち問ふ、古人錯つて一轉語を祗對し、五百生野狐身に墮す。轉轉錯らざらん、箇の什麼にか作る合き)。
師曰、近前來、與@(なんじ)道(近前來、@(なんじ)が與に道はん)。
檗遂近前、與師一掌(檗、遂に近前して、師に一掌を與ふ)。
師拍手笑云、將謂胡鬚赤、更有赤鬚胡在(師、拍手して笑つて云く、將に胡の鬚の赤きかと謂へば、更に赤き鬚の胡在ること有り)。
この一段の因縁、天聖廣燈録にあり。しかあるに、參學のともがら、因果の道理をあきらめず、いたづらに撥無因果のあやまりあり。あはれむべし、澆風一扇して祖道陵替せり。不落因果はまさしくこれ撥無因果なり、これによりて惡趣に墮す。不昧因果はあきらかにこれ深信因果なり、これによりて聞くもの惡趣を脱す。あやしむべきにあらず、疑ふべきにあらず。近代參禪學道と稱ずるともがら、おほく因果を撥無せり。なにによりてか因果を撥無せりと知る、いはゆる不落と不昧と一等にしてことならずとおもへり、これによりて因果を撥無せりと知るなり。」(1)
(注)
- (1)「深信因果」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、387頁。
@=人偏に爾(なんじ)
外道問佛
- 「世尊一日、外道來詣佛所問佛、不問有言、不問無言(世尊一日、外道、佛の所に來詣りて佛に問ひたてまつらく、有言を問はず、無言を問はず)。
世尊據坐良久(世尊、據坐良久したまふ)。
外道禮拜讃歎云、善哉世尊、大慈大悲、開我迷雲、令我得入(外道、禮拜し讃歎して云く、善哉世尊、大慈大悲、我が迷雲を開き、我れをして得入せしめたまへり)。
乃作禮而去(乃ち作禮して去りぬ)。
外道去了、阿難尋白佛言、外道以何所得、而言得入、稱讃而去(外道去り了りて、阿難、尋いで佛に白して言さく、外道何の所得を以てか、而も得入すと言ひ、稱讃して去るや)。
世尊云、如世間良馬、見鞭影而行(世間の良馬の、鞭影を見て行くが如し)。
祖師西來よりのち、いまにいたるまで、諸善知識おほくこの因縁を擧して參學のともがらにしめすに、あるいは年載をかさね、あるいは日月をかさねて、ままに開明し、佛法に信入するものあり。これを外道問佛話と稱ず。しるべし、世尊に聖默聖説の二種の施設まします。これによりて得入するもの、みな如世間良馬見鞭影而行なり。聖默聖説にあらざる施設によりて得入するも、またかくのごとし。」(1)
(注)
- (1)「四馬」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、413頁。
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