もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
仏教学・禅学の批判
慈悲・衆生をおもう=十二巻本「正法眼蔵」
自分の涅槃だけに満足しない。他の苦悩する人を教え導くことによって、仏道を断絶しないようにしなければならない。その慈悲行の中で、自己の向上(見性しても、大悟しても、仏ではない。自分に苦はなくとも向上すべきことがある)に努めなければならない。
(関連事項)
自未得度先度他=12巻正法眼蔵
(A)慈悲・衆生をおもう
十二巻本「正法眼蔵」
- 「佛言、夫出家者、不應起惡。若起惡者、則非出家。出家之人、身口相應。若不相應、則非出家。我棄父母、兄弟、妻子、眷屬、知識、出家修道。正是修集諸善覺時、非是修集不善覺時。善覺者、憐愍一切衆生、猶如赤子。不善覺者、與此相違
(佛言はく、夫れ出家は、應に惡を起すべからず。若し惡を起さば、則ち出家に非ず。出家の人は、身口相應すべし。若し相應せざれば、則ち出家に非ず。我れ父母、兄弟、妻子、眷屬、知識を棄てて、出家修道す。正に是れ諸の善覺を修集すべき時なり、是れ不善覺を修集すべき時に非ず。善覺とは、一切衆生を憐愍すること、猶ほ赤子の如し。不善覺とは、此と相違す)。
それ出家の自性は、憐愍一切衆生、猶如赤子なり。これすなはち不起惡なり、身口相應なり。その儀すでに出家なるがごときは、その徳いまかくのごとし。」(1)
- 「佛言、復次舍利弗、菩薩摩訶薩、若欲出家日、即成阿耨多羅三藐三菩提、即是日轉法輪、轉法輪時、無量阿僧祇衆生、遠塵離垢、於諸法中、得法眼淨、無量阿僧祇衆生、得一切法不受故、諸漏心得解脱、無量阿僧祇衆生、於阿耨多羅三藐三菩提、得不退轉、當學般若波羅蜜
(佛言はく、復た次に舍利弗、菩薩摩訶薩、若し出家の日に、即ち阿耨多羅三藐三菩提を成じ、即ち是の日に轉法輪し、轉法輪の時、無量阿僧祇の衆生、遠塵離垢し、諸法の中に於て、法眼淨を得、無量阿僧祇の衆生、一切法不受を得るが故に、諸漏の心、解脱を得、無量阿僧祇の衆生、阿耨多羅三藐三菩提に於て、不退轉を得んと欲はば、當に般若波羅蜜を學すべし)。
いはゆる學般若菩薩とは祖祖なり。しかあるに、阿耨多羅三藐三菩提は、かならず出家即日に成熟するなり。しかあれども、三阿僧祇劫に修證し、無量阿僧祇に修證するに、有邊無邊に染汚するにあらず。學人しるべし。
佛言、若菩薩摩訶薩、作是思惟、我於何時、當捨國位、出家之日、即成無上正等菩提、還於是日、轉妙法輪、即令無量無數有情、遠塵離垢、生淨法眼。復令無量無數有情、永盡諸漏、心慧解脱、亦令無量無數有情、皆於無上正等菩提、得不退轉。是菩薩摩訶薩、欲成斯事、應學般若波羅蜜
(佛言はく、若し菩薩摩訶薩、是の思惟を作さく、我れ何れの時に於てか、當に國位を捨て、出家の日、即ち無上正等菩提を成じ、還た是の日に於て妙法輪を轉じ、即ち無量無數の有情をして遠塵離垢し、淨法眼を生ぜしむべき。復た無量無數の有情をして永く諸漏を盡くし、心慧解脱せしめん。亦た無量無數の有情をして、皆な無上正等菩提に於て不退轉を得せしめん。是の菩薩摩訶薩、斯の事を成らんと欲はば、應に般若波羅蜜を學すべし)。
これすなはち最後身の菩薩として、王宮に降生し、捨國位、成正覺、轉法輪、度衆生の功徳を宣説しましますなり。」(2)
- 「如來般涅槃時、迦葉菩薩、白佛言、世尊、如來具足知諸根力、定知善星當斷善根。以何因縁、聽其出家
(如來般涅槃したまひし時、迦葉菩薩、佛に白して言さく、世尊、如來は諸の根を知る力を具足したまふ、定んで善星當に善根を斷ずべきを知りたまひしならん。何の因縁を以てか、其の出家を聽したまひしや)。
佛言、善男子、我於往昔、初出家時、吾弟難陀、從弟阿難、調達多、子羅@羅、如是等輩、皆悉隨我出家修道。我若不聽善星出家、其人次當王得紹王位、其力自在、當壞佛法。以是因縁、我便聽其出家修道
(佛言はく、善男子、我れ往昔に於て、初めて出家せし時、吾が弟難陀、從弟阿難、調達多、子羅@羅、是の如き等の輩、皆な悉く我に隨つて出家修道せり。我れ若し善星が出家を聽さずは、其の人次に當に王として王位を紹ぐことを得て、其の力自在にして、當に佛法を壞るべし。是の因縁を以て、我れ便ち其の出家修道を聽しき)。
善男子、善星比丘、若不出家、亦斷善根、於無量世、都無利益。令出家已、雖斷善根、能受持戒、供養恭敬耆舊、長宿、有徳之人、修習初禪乃至四禪。是名善因。如是善因、能生善法。善法既生、能修習道。既修習道、當得阿耨多羅三藐三菩提。是故我聽善星出家。善男子、若我不聽善星比丘出家受戒、則不得稱我爲如來具足十力
(善男子、善星比丘若し出家せざるも、亦た善根を斷じ、無量世に於て都て利益無けん。出家せしめ已りぬれば、善根を斷ずと雖も、能く戒を受持し、耆舊、長宿、有徳の人を供養し恭敬し、初禪乃至四禪を修習す。是れを善因と名づく。是の如くの善因は、能く善法を生ず。善法既に生じぬれば、能く道を修習す。既に道を修習しぬれば、當に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。是の故に我れ善星が出家を聽しき。善男子、若し我れ善星比丘が出家受戒を聽さずは、則ち我れを稱して如來具足十力と爲すこと得じ)。
善男子、佛觀衆生、具足善法及不善法。是人雖具如是二法、不久能斷一切善根、具不善根。何以故、如是衆生、不親善友、不聽正法、不善思惟、不如法行。以是因縁、能斷善根、具不善根
(善男子、佛、衆生を觀じたまふに、善法と及び不善法とを具足す。是の人是の如くの二法を具すと雖も、久しからずして能く一切善根を斷じて不善根を具せん。何を以ての故に、是の如くの衆生は、善友に親しまず、正法を聽かず、善思惟せず、如法に行せず。是の因縁を以て、能く善根を斷じて不善根を具す)。
しるべし、如來世尊、あきらかに衆生の斷善根となるべきをしらせたまふといへども、善因をさづくるとして出家をゆるさせたまふ、大慈大悲なり。斷善根となること、善友にちかづかず、正法をきかず、善思惟せず、如法に行ぜざるによれり。いま學者、かならず善友に親近すべし、善友とは、諸佛ましますととくなり、罪福ありとをしふるなり。因果を撥無せざるを善友とし、善知識とす。この人の所説、これ正法なり。この道理を思惟する、善思惟なり。かくのごとく行ずる、如法行なるべし。
しかあればすなはち、衆生は親疎をえらばず、ただ出家受戒をすすむべし。のちの退不退をかへりみざれ、修不修をおそるることなかれ。これまさに釋尊の正法なるべし。」(3)
- 「羅@羅尊者は菩薩の子なり、淨飯王のむまごなり。帝位をゆづらんとす。しかあれども、世尊あながちに出家せしめまします。しるべし、出家の法最尊なりと。密行第一の弟子として、いまにいたりていまだ涅槃にいりましまさず、衆生の福田として世間に現住しまします。
西天傳佛正法眼藏の祖師のなかに、王子の出家せるしげし。いま震旦の初祖、これ香至王第三皇子なり。王位をおもくせず、正法を傳持せり。出家の最尊なる、あきらかにしりぬべし。これらにならぶるにおよばざる身をもちながら、出家しつべきにおきていそがざらん、いかならん明日をかまつべき。出息、入息をまたず。いそぎ出家せん、それかしこかるべし。またしるべし、出家受戒の師、その恩徳、すなはち父母にひとしかるべし。」(4)
- 「菩提心をおこすといふは、おのれいまだわたらざるさきに、一切衆生をわたさんと發願しいとなむなり。そのかたちいやしといふとも、この心をおこせば、すでに、一切衆生の導師なり。」(5)
- 「この發菩提心、おほくは南閻浮の人身に發心すべきなり。八難處等にもすこしきはあり、おほからず。菩提心をおこしてのち、三阿僧祇劫、一百大劫修行す。あるいは無量劫おこなひてほとけになる。あるいは無量劫おこなひて、衆生をさきにわたして、みづからはつひにほとけにならず、ただし衆生をわたし、衆生を利益するもあり。菩薩の意樂にしたがふ。
おほよそ菩提心は、いかがして一切衆生をして菩提心をおこさしめ、佛道に引導せましと、ひまなく三業にいとなむなり。いたづらに世間の欲樂をあたふるを、利益衆生とするにはあらず。この發心、この修證、はるかに迷悟の邊表を超越せり。三界に勝出し、一切に拔群せり。なほ聲聞辟支佛のおよぶところにあらず。」(6)
- 「衆生を利益すといふは、衆生をして自未得度先度他のこころをおこさしむるなり。自未得度先度他の心をおこせるちからによりて、われほとけにならんとおもふべからず。たとひほとけになるべき功徳熟して圓滿すべしといふとも、なほめぐらして衆生の成佛得道に囘向するなり。」(7)
- 「われらが壽行生滅、刹那流轉捷疾なること、かくのごとし。念念のあひだ、行者この道理をわするることなかれ。この刹那生滅、流轉捷疾にありながら、もし自未得度先度他の一念をおこすごときは、久遠の壽量、たちまちに現在前するなり。三世十方の諸佛、ならびに七佛世尊、および西天二十八祖、東地六祖、乃至傳佛正法眼藏涅槃妙心の祖師、みなともに菩提心を保任せり、いまだ菩提心をおこさざるは祖師にあらず。」(8)
- 「おほよそ供佛は、諸佛の要樞にましますべきを供養したてまつるにあらず。いそぎわがいのちの存ぜる光陰をむなしくすごさず、供養したてまつるなり。たとひ金銀なりとも、ほとけの御ため、なにの益かあらん。たとひ香花なりとも、またほとけの御ため、なにの益かあらん。しかあれども、納受せさせたまふは、衆生をして功徳を増長せしめんための大慈大悲なり。」(9)
- 「この因縁、むかしは先師の室にして夜話をきく、のちには智論の文にむかうてこれを檢校す。傳法祖師の示誨、あきらかにして遺落せず。この文、智度論第十にあり。諸佛かならず諸法實相を大師としましますこと、あきらけし。釋尊また諸佛の常法を證しまします。
いはゆる諸法實相を大師とするといふは、佛法僧三寶を供養恭敬したてまつるなり。諸佛は無量阿僧祇劫そこばくの功徳善根を積集して、さらにその報をもとめず、ただ功徳を恭敬して供養しましますなり。佛果菩提のくらゐにいたりてなほ小功徳を愛し、盲比丘のために衽針しまします。佛果の功徳をあきらめんとおもはば、いまの因縁、まさしく消息なり。
しかあればすなはち、佛果菩提の功徳、諸法實相の道理、いまのよにある凡夫のおもふがごとくにはあらざるなり。いまの凡夫のおもふところは、造惡の諸法實相ならんとおもふ、有所得のみ佛果菩提ならんとおもふ。かくのごとくの邪見は、たとひ八萬劫をしるといふとも、いまだ本劫本見、末劫末見をのがれず、いかでか唯佛與佛の究盡しましますところの諸法實相を究盡することあらん。ゆえいかむ、となれば、唯佛與佛の究盡しましますところ、これ諸法實相なるがゆゑなり。」(10)
- 「いはゆる歸依とは、歸は歸投なり、依は依伏なり。このゆゑに歸依といふ。歸依の相は、たとへば子の父に歸するがごとし。依伏は、たとへば民の王に依するがごとし。いはゆる救濟の言なり。佛はこれ大師なるがゆゑに歸依す、法は良藥なるがゆゑに歸依す、僧は勝友なるがゆゑに歸依す。
問、何故、偏歸此三(何が故にか偏に此の三に歸するや)。
答、以此三種畢竟歸處、能令衆生出離生死、證大菩提故歸
(此の三種は畢竟歸處にして、能く衆生をして生死を出離し、大菩提を證せしむるを以ての故に歸す)。」(11)
- 「おほよそ世間の苦厄をすくふこと、佛世尊にはしかず。このゆゑに、天帝いそぎ世尊のみもとに詣す。伏地のあひだに命終し、驢胎に生ず。歸佛の功徳により、驢母の*(くつわ)やぶれて陶家の坏器を踏破す。器主これをうつ、驢母の身いたみて託胎の驢やぶれぬ。すなはち天帝の身にかへりいる。佛説をききて初果をうる、歸依三寶の功徳力なり。
しかあればすなはち、世間の苦厄すみやかにはなれて、無上菩提を證得せしむること、かならず歸依三寶のちからなるべし。おほよそ三歸のちから、三惡道をはなるるのみにあらず、天帝釋の身に還入す。天上の果報をうるのみにあらず、須陀@(おん)の聖者となる。まことに三寶の功徳海、無量無邊にましますなり。世尊在世は人天この慶幸あり、いま如來滅後、後五百歳のとき、人天いかがせん。しかあれども、如來形像舍利等、なほ世間に現住しまします。これに歸依したてまつるに、またかみのごとくの功徳をうるなり。」(12)
- 「これを涅槃經の四馬となづく。學者ならはざるなし、諸佛ときたまはざるおはしまさず。ほとけにしたがひたてまつりてこれをきく、ほとけをみたてまつり、供養したてまつるごとには、かならず聽聞し、佛法を傳授するごとには、衆生のためにこれをとくこと、歴劫におこたらず。つひに佛果にいたりて、はじめ初發心のときのごとく、菩薩聲聞、人天大會のためにこれをとく。このゆゑに、佛法僧寶種不斷なり。」(13)
- 「(一百八法明門のうち92番目から)
- 方便是れ法明門なり、衆生所見の威儀に隨つて、教化を示現し、一切諸佛の法を成就するが故に。
- 四攝法是れ法明門なり、一切衆生を攝受し、菩提を得已つて、一切衆生に法を施すが故に。
- 教化衆生是れ法明門なり、自ら樂を受けず、疲倦せざるが故に。
- 攝受正法是れ法明門なり、一切衆生の諸の煩惱を斷ずるが故に。
- 福聚是れ法明門なり、一切諸の衆生を利益するが故に。
- 修禪定是れ法明門なり、十力を滿足するが故に。
- 寂定是れ法明門なり、如來の三昧を成就して具足するが故に。
- 慧見是れ法明門なり、智惠成就して滿足するが故に。
- 入無礙辯是れ法明門なり、法眼を得て成就するが故に。
- 入一切行是れ法明門なり、佛眼を得て成就するが故に。
- 成就陀羅尼是れ法明門なり、一切諸佛の法を聞いて能く受持するが故に。
- 得無礙辯是れ法明門なり、一切衆生をして皆な歡喜せしむるが故に。
- 順忍是れ法明門なり、一切諸佛の法に順ふが故に。
- 得無生法忍是れ法明門なり、受記を得るが故に。
- 不退轉地是れ法明門なり、往昔の諸佛の法を具足するが故に。
- 從一地至一地智是れ法明門なり、潅頂して一切智を成就するが故に。
- 潅頂地是れ法明門なり、生れて出家するより、乃至阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得るが故に。
爾の時に護明菩薩、是の語を説き已りて、彼の一切の諸の天衆に告げて言く、諸天、當に知るべし、此れは是れ一百八法明門なり、諸天に留與す。汝等受持し、心に常に憶念して、忘失せしむることなかるべし。(以上は、仏本行集経の引用)
これすなはち一百八法明門なり。一切の一生所繋の菩薩、都史多天より閻浮提に下生せんとするとき、かならずこの一百八法明門を、都史多天の衆のために敷揚して、諸天を化するは、諸佛の常法なり。
護明菩薩とは、釋迦牟尼佛、一生補處として第四天にましますときの名なり。李附馬、天聖廣燈録を撰するに、この一百八法明門の名字をのせたり。參學のともがら、あきらめしれるはすくなく、しらざるは稻麻竹葦のごとし。いま初心晩學のともがらのためにこれを撰す。師子の座にのぼり、人天の師となれらんともがら、審細參學すべし。この都史多天に一生所繋として住せざれば、さらに諸佛にあらざるなり。行者みだりに我慢することなかれ、一生所繋の菩薩は中有なし。」(14)
(注)
- (1)「出家功徳」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、280頁。
- (2)同上、281頁。
- (3)同上、287頁。 @=目偏に侯(ご)
- (4)同上、291頁。@=目偏に侯(ご)
- (5)「発菩提心」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、332頁。
- (6)同上、333頁。
- (7)同上、335頁。
- (8)同上、337頁。
- (9)「供養諸仏」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、352頁。
- (10)同上、361頁。
- (11)「帰依仏法僧宝」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、373頁。
- (12)同上、383頁。@=さんずいに亘(おん)、*=革偏に空(くつわ)。
- (13)「四馬」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、416頁。
- (14)「一百八法明門」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、445頁。
(原文は、漢文であるが、読み下しにした。また、原文には、92から108までの、番号はないが、便宜上加えた。)
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