もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
仏教学・禅学の批判
邪師・凡師・経論師=十二巻「正法眼蔵」
(A)邪師・凡師・経論師
「正法眼蔵」
- 「しるべし、世尊の所説、はかるべからざるを。世尊および五百大阿羅漢、ひろくあつめたり。まことにしりぬ、佛法におきて道理あきらかなるべしといふこと。一聖、三明、六通の智慧、なほ近代の凡師のはかるべきにあらず、いはんや五百の聖者をや。近代の凡師らがしらざるところをしり、みざるところをみ、きはめざるところをきはめたりといへども、凡師らがしれるところ、しらざるにあらず。しかあれば、凡師の黒闇愚鈍の説をもて、聖者三明の言に比類することなかれ。」(1)
- 「この佛衣佛法の功徳、その傳佛正法の祖師にあらざれば、餘輩いまだあきらめず、しらず。諸佛のあとを欣求すべくは、まさにこれを欣樂すべし。たとひ百千萬代ののちも、この正傳を正傳とすべし。これ佛法なるべし、證驗まさにあらたならん。水を乳に入るるに相似すべからず。皇太子の帝位に即位するがごとし。かの合水の乳なりとも、乳をもちゐん時は、この乳のほかにさらに乳なからんには、これをもちゐるべし。たとひ水と合せずとも、あぶらをもちゐるべからず、うるしをもちゐるべからず、さけをもちゐるべからず。この正傳もまたかくのごとくならん。たとひ凡師の庸流なりとも、正傳あらんは用乳のよろしきときなるべし。いはんや佛佛祖祖の正傳は、皇太子の即位のごとくなるなり。俗なほいはく、先王の法服にあらざれば服せず。佛子いづくんぞ佛衣にあらざらんを著せん。後漢孝明皇帝、永平十年よりのち、西天東地に往還する出家在家、くびすをつぎてたえずといへども、西天にして佛佛祖祖正傳の祖師にあふといはず。如來より面授相承の系譜なし。ただ經論師にしたがうて、梵本の經教を傳來せるなり。佛法正嫡の祖師にあふといはず、佛袈裟相傳の祖師ありとかたらず。あきらかにしりぬ、佛法の@奥にいらざりけりといふことを。かくのごときのひと、佛祖正傳のむね、あきらめざるなり。」(2)
- 「いま末法惡時世は、おのれが正傳なきをはぢず、他の正傳あるをそねむ、おもはくは魔黨ならん。おのれがいまの所有所住は、前業にひかれて眞實にあらず。ただ正傳佛法に歸敬せん、すなはちおのれが學佛の實歸なるべし。」(3)
- 「かくのごとくの道理、あきらかに功夫參學すべし。善來得戒の披體の袈裟、かならずしも布にあらず、絹にあらず。佛化難思なり、衣裏の寶珠は算沙の所能にあらず。」(4)
- 「大宋嘉定十七年癸未十月中に、高麗僧二人ありて、慶元府にきたれり。一人は智玄となづけ、一人は景雲といふ。この二人、しきりに佛經の義を談ずといへども、さらに文學士なり。しかあれども、袈裟なし、鉢盂なし、俗人のごとし。あはれむべし、比丘形なりといへども比丘法なし、小國邊地のしかあらしむるならん。日本國の比丘形のともがら、他國にゆかんとき、またかの智玄等にひとしからん。
釋迦牟尼佛、十二年中頂戴してさしおきましまさざりき。すでに遠孫なり、これを學すべし。いたづらに名利のために天を拜し神を拜し、王を拜し臣を拜する頂門をめぐらして、佛衣頂戴に廻向せん、よろこぶべきなり。」(5)
- 「一生補處菩薩、まさに閻浮提にくだらんとするとき、覩史多天の諸天のために、最後の教をほどこすにいはく、菩提心是法明門、不斷三寶故
(菩提心は是れ法明門なり、三寶を斷ぜざるが故に)。
あきらかにしりぬ、三寶の不斷は菩提心のちからなりといふことを。菩提心をおこしてのち、かたく守護し、退轉なかるべし。
佛言、云何菩薩守護一事。謂、菩提心。菩薩摩訶薩、常勤守護是菩提心、猶如世人守護一子。亦如瞎者護餘一目。如行曠野守護導者。菩薩守護菩提心、亦復如是。因護如是菩提心故、得阿耨多羅三藐三菩提。因得阿耨多羅三藐三菩提故、常樂我淨具足而有。即是無上大般涅槃。是故菩薩守護一法
(佛言はく、云何が菩薩一事を守護せん。謂く、菩提心なり。菩薩摩訶薩、常に勤めて是の菩提心を守護すること、猶ほ世人の一子を守護するが如し。亦た瞎者の餘の一目を護るが如し。曠野を行くに、導者を守護するが如し。菩薩の菩提心を守護することも、亦た復た是の如し。是の如くの菩提心を護るに因るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得。阿耨多羅三藐三菩提を得るに因るが故に、常樂我淨具足して有り。即ち是れ無上大般涅槃なり。是の故に菩薩は一法を守護すべし)。
菩提心をまぼらんこと、佛語あきらかにかくのごとし。守護して退轉なからしむるゆゑは、世間の常法にいはく、たとひ生ずれども熟せざるもの三種あり。いはく、魚子、菴羅果、發心菩薩なり。おほよそ退大のものおほきがゆゑに、われも退大とならんことを、かねてよりおそるるなり。このゆゑに菩提心を守護するなり。
菩薩の初心のとき、菩提心を退轉すること、おほくは正師にあはざるによる。正師にあはざれば正法をきかず、正法をきかざればおそらくは因果を撥無し、解脱を撥無し、三寶を撥無し、三世等の諸法を撥無す。いたづらに現在の五欲に貪著して、前途菩提の功徳を失す。
あるいは天魔波旬等、行者をさまたげんがために、佛形に化し、父母師匠、乃至親族諸天等のかたちを現じて、きたりちかづきて、菩薩にむかひてこしらへすすめていはく、佛道長遠、久受諸苦、もともうれふべし。しかじ、まづわれ生死を解脱し、のちに衆生をわたさんには。行者このかたらひをききて、提心を退し、菩薩の行を退す。まさにしるべし、かくのごとくの説すなはちこれ魔説なり、菩薩しりてしたがふことなかれ。もはら自未得度先度他の行願を退轉せざるべし。
自未得度先度他の行願にそむかんがごときは、これ魔説としるべし、外道説としるべし、惡友説としるべし。さらにしたがふことなかれ。
魔有四種。一煩惱魔、二五衆魔、三死魔、四天子魔(魔に四種有り。一には煩惱魔、二には五衆魔、三には死魔、四には天子魔)。
煩惱魔者、所謂百八煩惱等、分別八萬四千諸煩惱(煩惱魔とは、所謂る百八煩惱等、分別するに八萬四千の諸の煩惱なり)。
五衆魔者、是煩惱和合因縁、得是身。四大及四大造色、眼根等色、是名色衆。百八煩惱等諸受和合、名爲受衆。大小無量所有想、分別和合、名爲想衆。因好醜心發、能起貪欲瞋恚等心、相應不相應法、名爲行衆。六情六塵和合故生六識、是六識分別和合無量無邊心、是名識衆
(五衆魔とは、是れ煩惱和合の因縁にして、是の身を得。四大及び四大の造色、眼根等の色、是れを色衆と名づく。百八煩惱等の諸受和合せるを、名づけて受衆と爲す。大小無量の所有の想、分別和合せるを、名づけて想衆と爲す。好醜の心發るに因つて、能く貪欲瞋恚等の心、相應不相應の法を起すを、名づけて行衆と爲す。六情六塵和合するが故に六識を生ず、是の六識分別和合すれば無量無邊の心あり、是れを識衆と名づく)。
死魔者、無常因縁故、破相續五衆壽命、盡離三法識熱壽故、名爲死魔
(死魔とは、無常因縁の故に、相續せる五衆の壽命を破り、三法なる識熱壽を盡離するが故に、名づけて死魔と爲す)。
天子魔者、欲界主、深著世樂、用有所得故生邪見、憎嫉一切賢聖、涅槃道法。是名天子魔
(天子魔とは、欲界の主として、深く世樂に著し、有所得を用ての故に邪見を生じ、一切賢聖、涅槃の道法を憎嫉す。是れを天子魔と名づく)。
魔是天竺語、秦言能奪命者。雖死魔實能奪命、餘者亦能作奪命因縁、亦奪智惠命。是故名殺者
(魔は是れ天竺の語、秦には能奪命者と言ふ。死魔は實に能く命を奪ふと雖も、餘の者も亦た能く奪命の因縁を作し、亦た智惠の命を奪ふ。是の故に殺者と名づく)。
問曰、一五衆魔接三種魔、何以故別説四
(一の五衆魔に三種の魔を接す、何を以ての故に別にして四と説くや)。
答曰、實是一魔、分別其義故有四
(實に是れ一魔なり、其の義を分別するが故に四有り)。
上來これ龍樹祖師の施設なり、行者しりて勤學すべし。いたづらに魔@(にょう)をかうぶりて、菩提心を退轉せざれ、これ守護菩提心なり。」(6)
- 「第十九祖鳩摩羅多尊者曰、且善惡之報、有三時焉。凡人但見仁夭暴壽、逆吉義凶、便謂亡因果虚罪福。殊不知、影響相隨、毫釐靡@(たがう)。縱經百千萬劫、亦不磨滅(第十九祖鳩摩羅多尊者曰く、且く善惡の報に三時有り。凡そ人、但だ仁は夭に暴は壽く、逆は吉く義は凶なりとのみ見て、便ち因果を亡じ、罪福虚しと謂へり。殊に知らず、影響相隨ひて毫釐も@(たがう)ふこと靡きを。縱ひ百千萬劫を經とも、亦た磨滅せず)。
あきらかにしりぬ、曩祖いまだ因果を撥無せずといふことを。いまの晩進、いまだ祖宗の慈誨をあきらめざるは稽古のおろそかなるなり。稽古おろそかにしてみだりに人天の善知識と自稱するは、人天の大賊なり、學者の怨家なり。汝ち前後のともがら、亡因果のおもむきを以て、後學晩進のために語ることなかれ。これは邪説なり、さらに佛祖の法にあらず。汝等が疎學によりて、この邪見に墮せり。」(7)
- 「しるべし、佛法と莊老と、いづれか正、いづれか邪をしらず、混雜するは初心のともがらなり、いまの知圓、正受等これなり。ただ愚昧のはなはだしきのみにあらず、稽古なきいたり、顯然なり、炳焉なり。近日宋朝の僧徒、ひとりとしても、孔老は佛法に及ばずとしれるともがらなし。名を佛祖の兒孫にかれるともがら、稻麻竹葦のごとく、九州の山野にみてりといふとも、孔老のほかに佛法すぐれいでたりと曉了せる一人半人あるべからず。ひとり先師天童古佛のみ、佛法と孔老とひとつにあらずと曉了せり。晝夜に施設せり。經論師、また講者の名あれども、佛法はるかに孔老の邊を勝出せりと曉了せるなし。近代一百年來の講者、おほく參禪學道のともがらの儀をまなび、その解會をぬすまんとす、もともあやまれりといふべし。」(8)
- 「これすなはち一百八法明門なり。一切の一生所繋の菩薩、都史多天より閻浮提に下生せんとするとき、かならずこの一百八法明門を、都史多天の衆のために敷揚して、諸天を化するは、諸佛の常法なり。
護明菩薩とは、釋迦牟尼佛、一生補處として第四天にましますときの名なり。李附馬、天聖廣燈録を撰するに、この一百八法明門の名字をのせたり。參學のともがら、あきらめしれるはすくなく、しらざるは稻麻竹葦のごとし。いま初心晩學のともがらのためにこれを撰す。師子の座にのぼり、人天の師となれらんともがら、審細參學すべし。この都史多天に一生所繋として住せざれば、さらに諸佛にあらざるなり。行者みだりに我慢することなかれ、一生所繋の菩薩は中有なし。」(9)
(注)
- (1)「出家功徳」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、276頁。
- (2)「袈裟功徳」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、303頁。@= 門構に困(こん)
- (3)同上、308頁。
- (4)同上、310頁。
- (5)「袈裟功徳」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、330頁。
- (6)「発菩提心」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、339頁。@=女偏に尭(にょう)
- (7)「深信因果」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、389頁。
- (8)「四禅比丘」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、432頁。
- (9)「一百八法明門」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、450頁。
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