もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
仏教学・禅学の批判
「因果同時」「因中果を説く」など=十二巻「正法眼蔵」
「因果同時」など
十二巻本「正法眼蔵」
- 「佛言、復次舍利弗、菩薩摩訶薩、若欲出家日、即成阿耨多羅三藐三菩提、即是日轉法輪、轉法輪時、無量阿僧祇衆生、遠塵離垢、於諸法中、得法眼淨、無量阿僧祇衆生、得一切法不受故、諸漏心得解脱、無量阿僧祇衆生、於阿耨多羅三藐三菩提、得不退轉、當學般若波羅蜜
(佛言はく、復た次に舍利弗、菩薩摩訶薩、若し出家の日に、即ち阿耨多羅三藐三菩提を成じ、即ち是の日に轉法輪し、轉法輪の時、無量阿僧祇の衆生、遠塵離垢し、諸法の中に於て、法眼淨を得、無量阿僧祇の衆生、一切法不受を得るが故に、諸漏の心、解脱を得、無量阿僧祇の衆生、阿耨多羅三藐三菩提に於て、不退轉を得んと欲はば、當に般若波羅蜜を學すべし)。
いはゆる學般若菩薩とは祖祖なり。しかあるに、阿耨多羅三藐三菩提は、かならず出家即日に成熟するなり。しかあれども、三阿僧祇劫に修證し、無量阿僧祇に修證するに、有邊無邊に染汚するにあらず。學人しるべし。
佛言、若菩薩摩訶薩、作是思惟、我於何時、當捨國位、出家之日、即成無上正等菩提、還於是日、轉妙法輪、即令無量無數有情、遠塵離垢、生淨法眼。復令無量無數有情、永盡諸漏、心慧解脱、亦令無量無數有情、皆於無上正等菩提、得不退轉。是菩薩摩訶薩、欲成斯事、應學般若波羅蜜
(佛言はく、若し菩薩摩訶薩、是の思惟を作さく、我れ何れの時に於てか、當に國位を捨て、出家の日、即ち無上正等菩提を成じ、還た是の日に於て妙法輪を轉じ、即ち無量無數の有情をして遠塵離垢し、淨法眼を生ぜしむべき。復た無量無數の有情をして永く諸漏を盡くし、心慧解脱せしめん。亦た無量無數の有情をして、皆な無上正等菩提に於て不退轉を得せしめん。是の菩薩摩訶薩、斯の事を成らんと欲はば、應に般若波羅蜜を學すべし)。
これすなはち最後身の菩薩として、王宮に降生し、捨國位、成正覺、轉法輪、度衆生の功徳を宣説しましますなり。」(1)
- 「鎭州臨濟院義玄禪師曰、夫出家者、須辨得平常眞正見解、辨佛辨魔、辨眞辨僞、辨凡辨聖。若如是辨得、名眞出家。若魔佛不辨、正是出一家入一家、喚作造業衆生。未得名爲眞正出家
(鎭州臨濟院義玄禪師曰く、夫れ出家は、須らく平常眞正の見解を辨得し、辨佛辨魔、辨眞辨僞、辨凡辨聖すべし。若し是の如く辨得せば、眞の出家と名づく。若し魔佛辨ぜざれば、正に是れ一家を出でて一家に入るなり、喚んで造業の衆生と作す。未だ名づけて眞正の出家と爲すこと得ず)。
いはゆる平常眞正見解といふは、深信因果、深信三寶等なり。辨佛といふは、ほとけの因中果上の功徳を念ずることあきらかなるなり。眞僞凡聖をあきらかに辨肯するなり。もし魔佛をあきらめざれば、學道を沮壞し、學道を退轉するなり。魔事を覺知してその事にしたがはざれば、辨道不退なり。これを眞正出家の法とす。いたづらに魔事を佛法とおもふものおほし、近世の非なり。學者、はやく魔をしり佛をあきらめ、修證すべし。」(2)
- 「迦葉菩薩、偈をもて釋迦牟尼佛をほめたてまつるにいはく、
發心畢竟二無別(發心と畢竟と二、別無し)、
如是二心先心難(是の如くの二心は先の心難し)。
自未得度先度他(自れ未だ度ることを得ざるに先づ他を度す)、
是故我禮初發心(是の故に我れは初發心を禮す)。
初發已爲天人師(初發已に天人師たり)、
勝出聲聞及縁覺(聲聞及び縁覺に勝出す)。
如是發心過三界(是の如くの發心は三界に過えたり)、
是故得名最無上(是の故に最無上と名づくることを得)。
發心とは、はじめて自未得度先度他の心をおこすなり、これを初發菩提心といふ。この心をおこすよりのち、さらにそこばくの諸佛にあふたてまつり、供養したてまつるに、見佛聞法し、さらに菩提心をおこす、霜上加霜なり。
いはゆる畢竟とは、佛果菩提なり。阿耨多羅三藐三菩提と初發菩提心と、格量せば劫火、螢火のごとくなるべしといへども、自未得度先度他のこころをおこせば、二無別なり。
毎自作是念(毎に自ら是の念を作さく)、
以何令衆生(何を以てか衆生をして)。
得入無上道(無上道に入り)、
速成就佛身(速やかに佛身を成就することを得しめん)。
これすなはち如來の壽量なり。ほとけは發心、修行、證果、みなかくのごとし。」(4)
- 「衆生の壽行生滅してとどまらず、すみやかなること、
世尊在世に一比丘有り、佛の所に來詣りて、雙足を頂禮し、却つて一面に住して、世尊に白して言さく、衆生の壽行、云何が速疾に生滅する。
仏言く、我れ能く宣説するも、汝知ること能はじ。
比丘言く、頗る譬喩の能く顯示しつべき有りや不や。
佛言く、有り、今汝が爲に説かん。譬へば四の善射夫、各弓箭を執り、相背きて攅り立ちて、四方を射んと欲んに、一の捷夫有りて、來りて之に語げて、汝等今一時に箭を放つべし、我れ能く遍く接りて、倶に墮せざらしめんと曰はんが如し。意に於て云何、此れは捷疾なりや不や。
比丘、佛に白さく、其だ疾し、世尊。
佛言く、彼の人の捷疾なること、地行夜叉に及ばず。地行夜叉の捷疾なること、空行夜叉に及ばず。空行夜叉の捷疾なること、四天王天の捷疾なるに及ばず。彼の天の捷疾なること、日月二輪の捷疾なるに及ばず。日月二輪の捷疾なること、堅行天子の捷疾なるに及ばず。此れは是れ日月の輪車を導引する者なり。此等の諸天、展轉して捷疾なり。壽行の生滅は、彼よりも捷疾なり。刹那に流轉し、暫くも停ること有ること無し。
われらが壽行生滅、刹那流轉捷疾なること、かくのごとし。念念のあひだ、行者この道理をわするることなかれ。この刹那生滅、流轉捷疾にありながら、もし自未得度先度他の一念をおこすごときは、久遠の壽量、たちまちに現在前するなり。三世十方の諸佛、ならびに七佛世尊、および西天二十八祖、東地六祖、乃至傳佛正法眼藏涅槃妙心の祖師、みなともに菩提心を保任せり、いまだ菩提心をおこさざるは祖師にあらず。」(5)
- 「法華經云、
若人於塔廟、寶像及畫像(若し人、塔廟、寶像及び畫像に)、
以華香幡蓋、敬心而供養(華香幡蓋を以て、敬心に而も供養せん)、
若使人作樂、撃鼓吹角唄(若しは人をして樂を作さしめ、鼓を撃ち角唄を吹き)、
簫笛琴箜篌、琵琶鐃銅&(簫笛琴箜篌、琵琶鐃銅&(はつ))、
如是衆妙音、盡持以供養(是の如くの衆妙の音、盡く持以て供養せん)、
或以歡喜心、歌唄頌佛徳(或いは歡喜心を以て、歌唄して佛徳を頌せん)、
乃至一少音、皆已成佛道(乃至一少音せんすら、皆な已に佛道を成ぜり)。
若人散亂心、乃至以一華(若し人、散亂の心もて、乃至一華を以て)、
供養於畫像、漸見無數佛(畫像に供養せん、漸くに無數の佛を見たてまつらん)。
或有人禮拜、或復但合掌(或いは人有りて禮拜し、或いは復た但だ合掌し)、
乃至擧一手、或復少低頭(乃至一手を擧げ、或いは復た少しく低頭せん)、
以此供養像、漸見無量佛(此れを以て像を供養せしもの、漸くに無量佛を見たてまつり)、
自成無上道、廣度無數衆(自ら無上道を成じて、廣く無數の衆を度せん)。
これすなはち、三世諸佛の頂@(ねい)なり、眼睛なり。見賢思齊の猛利精進すべし。いたづらに光陰をわたることなかれ。
石頭無際大師云、光陰莫虚度(光陰虚しく度ること莫れ)。
かくのごときの功徳、みな成佛す。過去、現在、未來おなじかるべし。さらに二あり、三あるべからず。供養佛の因によりて、作佛の果を成ずること、かくのごとし。
龍樹祖師曰、如求佛果、讃歎一偈、稱一南謨、燒一捻香、奉獻一華、如是小行、必得作佛
(龍樹祖師曰く、佛果を求むるが如きは、一偈を讃歎し、一南謨を稱じ、一捻香を燒き、一華を奉獻せん、是の如くの小行も、必ず作佛することを得ん)。
これひとり龍樹祖師菩薩の所説といふとも、歸命したてまつるべし。いかにいはんや大師釋迦牟尼佛説を、龍樹祖師、正傳擧揚しましますところなり。われらいま佛道の寶山にのぼり、佛道の寶海にいりて、さいはひにたからをとれる、もともよろこぶべし。曠劫の供佛のちからなるべし。必得作佛うたがふべからず、決定せるものなり。
釋迦牟尼佛の所説、かくのごとし。」(6)
- 「禪苑清規曰、敬佛法僧否(佛法僧を敬ふや否や)。一百二十門第一
あきらかにしりぬ、西天東土、佛祖正傳するところは、恭敬佛法僧なり。歸依せざれば恭敬せず、恭敬せざれば歸依すべからず。この歸依佛法僧の功徳、かならず感應道交するとき成就するなり。たとひ天上人間、地獄鬼畜なりといへども、感應道交すれば、かならず歸依したてまつるなり。すでに歸依したてまつるがごときは、世世生生、在在處處に増長し、かならず積功累徳し、阿耨多羅三藐三菩提を成就するなり。おのづから惡友にひかれ、魔障にあふて、しばらく斷善根となり、一闡提となれども、つひには續善根し、その功徳増長するなり。歸依三寶の功徳、つひに不朽なり。
その歸依三寶とは、まさに淨信をもはらにして、あるいは如來現在世にもあれ、あるいは如來滅後にもあれ、合掌し低頭して、口にとなへていはく、
我某甲、今身より佛身にいたるまで、
歸依佛、歸依法、歸依僧。
歸依佛兩足尊、歸依法離欲尊、歸依僧衆中尊。
歸依佛竟、歸依法竟、歸依僧竟。
はるかに佛果菩提をこころざして、かくのごとく僧那を始發するなり。しかあればすなはち、身心いまも刹那刹那に生滅すといへども、法身かならず長養して、菩提を成就するなり。
」(7)
- 「法句經云、昔有天帝、自知命終生於驢中、愁憂不已曰、救苦厄者、唯佛世尊(法句經云く、昔天帝有り、自ら、命終して驢中に生ぜんことを知り、愁憂已まずして曰く、苦厄を救はん者は、唯佛世尊のみなり)。
便至佛所、稽首伏地、歸依於佛。未起之間、其命便終生於驢胎。母驢@(くつわ)斷、破陶家坏器。器主打之、遂傷其胎、還入天帝身中(便ち佛の所に至り、稽首伏地し、佛に歸依したてまつる。未だ起たざる間に、其の命便ち終りて驢胎に生ぜり。母の驢、@(くつわ)斷たれて、陶家の坏器を破りつ。器主之を打つに、遂に其の胎を傷り、天帝の身中に還り入れり)。
佛言、殞命之際、歸依三寶、罪對已畢(佛言はく、殞命の際、三寶に歸依したれば、罪對已に畢りぬ)。
天帝聞之得初果(天帝、之を聞きて初果を得たり)。
おほよそ世間の苦厄をすくふこと、佛世尊にはしかず。このゆゑに、天帝いそぎ世尊のみもとに詣す。伏地のあひだに命終し、驢胎に生ず。歸佛の功徳により、驢母の@(くつわ)やぶれて陶家の坏器を踏破す。器主これをうつ、驢母の身いたみて託胎の驢やぶれぬ。すなはち天帝の身にかへりいる。佛説をききて初果をうる、歸依三寶の功徳力なり。
しかあればすなはち、世間の苦厄すみやかにはなれて、無上菩提を證得せしむること、かならず歸依三寶のちからなるべし。おほよそ三歸のちから、三惡道をはなるるのみにあらず、天帝釋の身に還入す。天上の果報をうるのみにあらず、須陀&(おん)の聖者となる。まことに三寶の功徳海、無量無邊にましますなり。世尊在世は人天この慶幸あり、いま如來滅後、後五百歳のとき、人天いかがせん。しかあれども、如來形像舍利等、なほ世間に現住しまします。これに歸依したてまつるに、またかみのごとくの功徳をうるなり。」(8)
(注)
- (1)「出家功徳」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、280頁。
- (2)同上、286頁。
- (3)「袈裟功徳」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、315頁。
- (4)「発菩提心」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、332頁。
- (5)「発菩提心」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、337頁。
- (6)「供養諸仏」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、356頁。@=へんが寧で、つくりが頁、(ねい)。&=金偏の拔(はつ)
- (7)「帰依仏法僧宝」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、372頁。
- (8)「帰依仏法僧宝」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、382頁。
&=さんずいに亘(おん)、 @=革偏に空(くつわ)
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