もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
[捨てられた言葉]目次
仏教学・禅学の批判
悟道の否定の根拠とされる文ー十二巻「正法眼蔵」
道元禅師は悟道(体験)を否定したという学説に引用される文を集める。だが、悟道の否定とは限らない。その定義は何か。
(A)見性の否定
「正法眼蔵」
- 「大宋嘉泰中、有僧正受。撰進普燈録三十卷云、臣聞孤山智圓之言曰、吾道如鼎也、三教如足也。足一虧而鼎覆焉。臣甞慕其人稽其説。乃知、儒之爲教、其要在誠意。道之爲教、其要在虚心。釋之爲教、其要在見性。誠意也虚心也見性也、異名躰同。究厥攸歸、無適而不與此道會云云(大宋嘉泰中に僧正受といふもの有り。普燈録三十卷を撰進するに云く、臣、孤山智圓の言ふを聞くに曰く、吾が道は鼎の如し、三教は足の如し。足一も虧くれば鼎覆へると。臣、甞て其の人を慕ひ其の説を稽ふ。乃ち知りぬ、儒の教たること、其の要は誠意に在り。道の教たること、其の要は虚心に在り、釋の教たること、其の要は見性に在ることを。誠意と虚心と見性と、名を異にして躰同じ。厥の歸する攸を究むるに、適として此の道と會せずといふこと無し云云)。
かくのごとく僻計生見のともがらのみ多し、ただ智圓、正受のみにはあらず。このともがらは、四禪を得て四果と思はんよりも、その誤りふかし。謗佛、謗法、謗僧なるべし。すでに撥無解脱なり、撥無三世なり、撥無因果なり。莽莽蕩蕩招殃禍、疑ひなし。三寶、四諦、四沙門なしとおもふしともがらにひとし。佛法いまだその要見性にあらず、西天二十八祖、七佛、いづれのところにか佛法のただ見性のみなりとある。六祖壇經に見性の言あり、かの書これ僞書なり、附法藏の書にあらず、曹溪の言句にあらず、佛祖の兒孫またく依用せざる書なり。正受、智圓いまだ佛法の一隅をしらざるによりて、一鼎三足の邪計をなす。」(1)
(注)
- (1)「四禅比丘」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、426頁。
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