もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
仏教学・禅学の批判
悟道の例=十二巻「正法眼蔵」
悟道の例
十二巻本「正法眼蔵」
- 「永嘉眞覺大師玄覺和尚は、曹谿の上足なり。もとはこれ天台の法華宗を習學せり。左谿玄朗大師と同室なり。涅槃經を披閲せるところに、金光その室にみつ。ふかく無生の悟を得たり。すすみて曹谿に詣し、證をもて六祖に告す。六祖つひに印可す。のちに證道歌をつくるにいはく、
豁達空、撥因果(空に豁達し、因果を撥へば)、
@@(もうもう)蕩蕩招殃禍(@@(もうもう)蕩蕩として殃禍を招く)。
あきらかにしるべし、撥無因果は招殃禍なるべし。往代は古徳ともに因果をあきらめたり、近世には晩進みな因果にまどへり。いまのよなりといふとも、菩提心いさぎよくして、佛法のために佛法を習學せんともがらは、古徳のごとく因果をあきらむべきなり。因なし、果なしといふは、すなはちこれ外道なり。」(1)
- 「世尊一日、外道來詣佛所問佛、不問有言、不問無言(世尊一日、外道、佛の所に來詣りて佛に問ひたてまつらく、有言を問はず、無言を問はず)。
世尊據坐良久(世尊、據坐良久したまふ)。
外道禮拜讃歎云、善哉世尊、大慈大悲、開我迷雲、令我得入(外道、禮拜し讃歎して云く、善哉世尊、大慈大悲、我が迷雲を開き、我れをして得入せしめたまへり)。
乃作禮而去(乃ち作禮して去りぬ)。
外道去了、阿難尋白佛言、外道以何所得、而言得入、稱讃而去(外道去り了りて、阿難、尋いで佛に白して言さく、外道何の所得を以てか、而も得入すと言ひ、稱讃して去るや)。
世尊云、如世間良馬、見鞭影而行(世間の良馬の、鞭影を見て行くが如し)。
祖師西來よりのち、いまにいたるまで、諸善知識おほくこの因縁を擧して參學のともがらにしめすに、あるいは年載をかさね、あるいは日月をかさねて、ままに開明し、佛法に信入するものあり。これを外道問佛話と稱ず。しるべし、世尊に聖默聖説の二種の施設まします。これによりて得入するもの、みな如世間良馬見鞭影而行なり。聖默聖説にあらざる施設によりて得入するも、またかくのごとし。」(2)
(注)
- (1)「深信因果」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、391頁。
@=さんずいに莽(もう)
- (2)「四馬」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、413頁。
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