もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
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[捨てられた言葉]目次
仏教学・禅学の批判
悟りにもとどまらない=十二巻本「正法眼蔵」
悟りを得て、自己、仏をあきらめても、終わりではない。さらに修証すべし。
学解にも、面授にも、坐禅にも、悟りにも、とどまらない。
たとい、悟道すとも、慈悲行の中で、誤った道得(言説)をしてはならない。それがある限り、諸法実相を究尽していない。
(a)無所得・有所得
十二巻本「正法眼蔵」
- 「しかあればすなはち、佛果菩提の功徳、諸法實相の道理、いまのよにある凡夫のおもふがごとくにはあらざるなり。いまの凡夫のおもふところは、造惡の諸法實相ならんとおもふ、有所得のみ佛果菩提ならんとおもふ。かくのごとくの邪見は、たとひ八萬劫をしるといふとも、いまだ本劫、本見、末劫、末見をのがれず。いかでか唯佛與佛の究盡しましますところの諸法實相を究盡することあらん。ゆゑいかんとなれば、唯佛與佛の究盡しましますところ、これ諸法實相なるがゆゑなり。」(1)
- 「自未得度先度他の行願にそむかんがごときは、これ魔説としるべし、外道説としるべし、惡友説としるべし。さらにしたがふことなかれ。
魔有四種。一煩惱魔、二五衆魔、三死魔、四天子魔
(魔に四種有り。一には煩惱魔、二には五衆魔、三には死魔、四には天子魔)。
煩惱魔者、所謂百八煩惱等、分別八萬四千諸煩惱
(煩惱魔とは、所謂る百八煩惱等、分別するに八萬四千の諸の煩惱なり)。
五衆魔者、是煩惱和合因縁、得是身。四大及四大造色、眼根等色、是名色衆。百八煩惱等諸受和合、名爲受衆。大小無量所有想、分別和合、名爲想衆。因好醜心發、能起貪欲瞋恚等心、相應不相應法、名爲行衆。六情六塵和合故生六識、是六識分別和合無量無邊心、是名識衆
(五衆魔とは、是れ煩惱和合の因縁にして、是の身を得。四大及び四大の造色、眼根等の色、是れを色衆と名づく。百八煩惱等の諸受和合せるを、名づけて受衆と爲す。大小無量の所有の想、分別和合せるを、名づけて想衆と爲す。好醜の心發るに因つて、能く貪欲瞋恚等の心、相應不相應の法を起すを、名づけて行衆と爲す。六情六塵和合するが故に六識を生ず、是の六識分別和合すれば無量無邊の心あり、是れを識衆と名づく)。
死魔者、無常因縁故、破相續五衆壽命、盡離三法識熱壽故、名爲死魔
(死魔とは、無常因縁の故に、相續せる五衆の壽命を破り、三法なる識熱壽を盡離するが故に、名づけて死魔と爲す)。
天子魔者、欲界主、深著世樂、用有所得故生邪見、憎嫉一切賢聖、涅槃道法。是名天子魔
(天子魔とは、欲界の主として、深く世樂に著し、有所得を用ての故に邪見を生じ、一切賢聖、涅槃の道法を憎嫉す。是れを天子魔と名づく)。
魔是天竺語、秦言能奪命者。雖死魔實能奪命、餘者亦能作奪命因縁、亦奪智惠命。是故名殺者
(魔は是れ天竺の語、秦には能奪命者と言ふ。死魔は實に能く命を奪ふと雖も、餘の者も亦た能く奪命の因縁を作し、亦た智惠の命を奪ふ。是の故に殺者と名づく)。
問曰、一五衆魔接三種魔、何以故別説四
(一の五衆魔に三種の魔を接す、何を以ての故に別にして四と説くや)。
答曰、實是一魔、分別其義故有四(實に是れ一魔なり、其の義を分別するが故に四有り)。
上來これ龍樹祖師の施設なり、行者しりて勤學すべし。いたづらに魔@(にょう)をかうぶりて、菩提心を退轉せざれ、これ守護菩提心なり。」(2)
- 「諸經かくのごときのところおほし、如來世尊調御丈夫またしかあり。四種の法をもて、一切衆生を調伏して、必定不虚なり。いはゆる生を爲説するにすなはち佛語をうくるあり、生、老を爲説するに佛語をうくるあり、生、老、病を爲説するに佛語をうくるあり、生、老、病、死を爲説するに佛語をうくるあり。のちの三をきくもの、いまだはじめの一をはなれず。世間の調馬の、觸毛をはなれて觸皮肉骨あらざるがごとし。生老病死を爲説すといふは、如來世尊の生老病死を爲説しまします、衆生をして生老病死をはなれしめんがためにあらず。生老病死すなはち道ととかず、生老病死すなはち道なりと解せしめんがためにとくにあらず。この生老病死を爲説するによりて、一切衆生をして阿耨多羅三藐三菩提の法をえしめんがためなり。これ如來世尊、調伏衆生、必定不虚、是故號佛調御丈夫なり。」(3)
(注)
- (1)「供養諸仏」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、361頁。
- (2)「発菩提心」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、341頁。@=女偏に尭(にょう)。
- (3)「四馬」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、418頁。
(b)悟りにもとどまらない
十二巻本「正法眼蔵」
- 「佛言、復次舍利弗、菩薩摩訶薩、若欲出家日、即成阿耨多羅三藐三菩提、即是日轉法輪、轉法輪時、無量阿僧祇衆生、遠塵離垢、於諸法中、得法眼淨、無量阿僧祇衆生、得一切法不受故、諸漏心得解脱、無量阿僧祇衆生、於阿耨多羅三藐三菩提、得不退轉、當學般若波羅蜜
(佛言はく、復た次に舍利弗、菩薩摩訶薩、若し出家の日に、即ち阿耨多羅三藐三菩提を成じ、即ち是の日に轉法輪し、轉法輪の時、無量阿僧祇の衆生、遠塵離垢し、諸法の中に於て、法眼淨を得、無量阿僧祇の衆生、一切法不受を得るが故に、諸漏の心、解脱を得、無量阿僧祇の衆生、阿耨多羅三藐三菩提に於て、不退轉を得んと欲はば、當に般若波羅蜜を學すべし)。
いはゆる學般若菩薩とは祖祖なり。しかあるに、阿耨多羅三藐三菩提は、かならず出家即日に成熟するなり。しかあれども、三阿僧祇劫に修證し、無量阿僧祇に修證するに、有邊無邊に染汚するにあらず。學人しるべし。
佛言、若菩薩摩訶薩、作是思惟、我於何時、當捨國位、出家之日、即成無上正等菩提、還於是日、轉妙法輪、即令無量無數有情、遠塵離垢、生淨法眼。復令無量無數有情、永盡諸漏、心慧解脱、亦令無量無數有情、皆於無上正等菩提、得不退轉。是菩薩摩訶薩、欲成斯事、應學般若波羅蜜
(佛言はく、若し菩薩摩訶薩、是の思惟を作さく、我れ何れの時に於てか、當に國位を捨て、出家の日、即ち無上正等菩提を成じ、還た是の日に於て妙法輪を轉じ、即ち無量無數の有情をして遠塵離垢し、淨法眼を生ぜしむべき。復た無量無數の有情をして永く諸漏を盡くし、心慧解脱せしめん。亦た無量無數の有情をして、皆な無上正等菩提に於て不退轉を得せしめん。是の菩薩摩訶薩、斯の事を成らんと欲はば、應に般若波羅蜜を學すべし)。
これすなはち最後身の菩薩として、王宮に降生し、捨國位、成正覺、轉法輪、度衆生の功徳を宣説しましますなり。」(1)
- 「鎭州臨濟院義玄禪師曰、夫出家者、須辨得平常眞正見解、辨佛辨魔、辨眞辨僞、辨凡辨聖。若如是辨得、名眞出家。若魔佛不辨、正是出一家入一家、喚作造業衆生。未得名爲眞正出家(鎭州臨濟院義玄禪師曰く、夫れ出家は、須らく平常眞正の見解を辨得し、辨佛辨魔、辨眞辨僞、辨凡辨聖すべし。若し是の如く辨得せば、眞の出家と名づく。若し魔佛辨ぜざれば、正に是れ一家を出でて一家に入るなり、喚んで造業の衆生と作す。未だ名づけて眞正の出家と爲すこと得ず)。
いはゆる平常眞正見解といふは、深信因果、深信三寶等なり。辨佛といふは、ほとけの因中果上の功徳を念ずることあきらかなるなり。眞僞凡聖をあきらかに辨肯するなり。もし魔佛をあきらめざれば、學道を沮壞し、學道を退轉するなり。魔事を覺知してその事にしたがはざれば、辨道不退なり。これを眞正出家の法とす。いたづらに魔事を佛法とおもふものおほし、近世の非なり。學者、はやく魔をしり佛をあきらめ、修證すべし。」(2)
- 「心および諸法、ともに自・他・共・無因にあらざるがゆゑに、もし一刹那この菩提心をおこすより、萬法みな増上縁となる。おほよそ發心、得道、みな刹那生滅するによるものなり。もし刹那生滅せずは、前刹那の惡さるべからず。前刹那の惡いまださらざれば、後刹那の善いま現生すべからず。この刹那の量は、ただ如來ひとりあきらかにしらせたまふ。一刹那心、能起一語、一刹那語、能説一字(一刹那の心、能く一語を起し、一刹那の語、能く一字を説く)も、ひとり如來のみなり。餘聖不能なり。」(3)
- 「この因縁、むかしは先師の室にして夜話をきく、のちには智論の文にむかうてこれを檢校す。傳法祖師の示誨、あきらかにして遺落せず。この文、智度論第十にあり。諸佛かならず諸法實相を大師としましますこと、あきらけし。釋尊また諸佛の常法を證しまします。
いはゆる諸法實相を大師とするといふは、佛法僧三寶を供養恭敬したてまつるなり。諸佛は無量阿僧祇劫そこばくの功徳善根を積集して、さらにその報をもとめず。ただ功徳を恭敬して供養しましますなり。佛果菩提のくらゐにいたりてなほ小功徳を愛し、盲比丘のために衽針しまします。佛果の功徳をあきらめんとおもはば、いまの因縁、まさしく消息なり。
しかあればすなはち、佛果菩提の功徳、諸法實相の道理、いまのよにある凡夫のおもふがごとくにはあらざるなり。いまの凡夫のおもふところは、造惡の諸法實相ならんとおもふ、有所得のみ佛果菩提ならんとおもふ。かくのごとくの邪見は、たとひ八萬劫をしるといふとも、いまだ本劫、本見、末劫、末見をのがれず。いかでか唯佛與佛の究盡しましますところの諸法實相を究盡することあらん。ゆゑいかんとなれば、唯佛與佛の究盡しましますところ、これ諸法實相なるがゆゑなり。」(4)
- 「長沙景岑は南泉の願禪師の上足なり。久しく參學のほまれあり。ままに道得是あれども、いまの因縁は渾無理會得なり。ちかくは永嘉の語を會せず、つぎに鳩摩羅多の慈誨をあきらめず。はるかに世尊の所説、ゆめにもいまだみざるがごとし。佛祖の道處すべてつたはれずは、たれかなんぢを尊崇せん。
業障とは三障のなかの一障なり。いはゆる三障とは、業障、報障、煩惱障なり。業障とは五無間業をなづく。皓月が問、このこころなしといふとも、先來いひきたること、かくのごとし。皓月が問は、業不亡の道理によりて順後業のきたれるにむかふてとふところなり。長沙のあやまりは、如何是本來空と問するとき、業障是とこたふる、おほきなる僻見なり。業障なにとしてか本來空ならん。つくらずは業障ならじ。つくられば本來空にあらず。つくるはこれつくらぬなり。業障の當躰をうごさかずながら空なりといふは、すでにこれ外道の見なり。業障本來空なりとして放逸に造業せん、衆生さらに解脱の期あるべからず。解脱のひなくは、諸佛の出世あるべからず。諸佛の出世なくは、祖師西來すべからず。祖師西來せずは、南泉あるべからず。南泉なくは、たれかなんぢが參學眼を換却せん。また如何是業障と問するとき、さらに本來空是と答する、ふるくの縛馬答に相似なりといふとも、おもはくはなんぢ未了得の短才をもて久學の供奉に相對するがゆゑに、かくのごとくの狂言を發するなるべし。
のち偈にいはく、涅槃償債義、一性更無殊。
なんぢがいふ一性は什麼性なるぞ。三性のなかにいづれなりとかせん。おもふらくは、なんぢ性をしらず。涅槃償債義とはいかに。なんじがいふ涅槃はいづれの涅槃なりとかせん。聲聞の涅槃なりとやせん、支佛の涅槃なりとやせん、諸佛の涅槃なりとやせん。たとひいづれなりとも、償債義にひとしかるべからず。なんぢが道處さらに佛祖の道處にあらず。更買草鞋行脚(更に草鞋を買ひて行脚)すべし。師子尊者、二祖大師等、惡人のために害せられん、なんぞうたがふにたらん。最後身にあらず、無中有の身にあらず、なんぞ順後次受業のうくべきなからん。すでに後報のうくべきが熟するあらば、いまのうたがふところにあらざらん。あきらかにしりぬ、長沙いまだ三時業をあきらめずといふこと。參學のともがら、この三時業をあきらめんこと、鳩摩羅多尊者のごとくなるべし。すでにこれ祖宗の業なり、癈怠すべからず。」(5)
- 「大宋嘉泰中、有僧正受。撰進普燈録三十卷云、臣聞孤山智圓之言曰、吾道如鼎也、三教如足也。足一虧而鼎覆焉。臣甞慕其人稽其説。乃知、儒之爲教、其要在誠意。道之爲教、其要在虚心。釋之爲教、其要在見性。誠意也虚心也見性也、異名躰同。究厥攸歸、無適而不與此道會云云
(大宋嘉泰中に僧正受といふもの有り。普燈録三十卷を撰進するに云く、臣、孤山智圓の言ふを聞くに曰く、吾が道は鼎の如し、三教は足の如し。足一も虧くれば鼎覆へると。臣、甞て其の人を慕ひ其の説を稽ふ。乃ち知りぬ、儒の教たること、其の要は誠意に在り。道の教たること、其の要は虚心に在り、釋の教たること、其の要は見性に在ることを。誠意と虚心と見性と、名を異にして躰同じ。厥の歸する攸を究むるに、適として此の道と會せずといふこと無し云云)。
かくのごとく僻計生見のともがらのみ多し、ただ智圓、正受のみにはあらず。このともがらは、四禪を得て四果と思はんよりも、その誤りふかし。謗佛、謗法、謗僧なるべし。すでに撥無解脱なり、撥無三世なり、撥無因果なり。莽莽蕩蕩招殃禍、疑ひなし。三寶、四諦、四沙門なしとおもふしともがらにひとし。佛法いまだその要見性にあらず、西天二十八祖、七佛、いづれのところにか佛法のただ見性のみなりとある。六祖壇經に見性の言あり、かの書これ僞書なり、附法藏の書にあらず、曹溪の言句にあらず、佛祖の兒孫またく依用せざる書なり。正受、智圓いまだ佛法の一隅をしらざるによりて、一鼎三足の邪計をなす。」(6)
- 「これすなはち一百八法明門なり。一切の一生所繋の菩薩、都史多天より閻浮提に下生せんとするとき、かならずこの一百八法明門を、都史多天の衆のために敷揚して、諸天を化するは、諸佛の常法なり。
護明菩薩とは、釋迦牟尼佛、一生補處として第四天にましますときの名なり。李附馬、天聖廣燈録を撰するに、この一百八法明門の名字をのせたり。參學のともがら、あきらめしれるはすくなく、しらざるは稻麻竹葦のごとし。いま初心晩學のともがらのためにこれを撰す。師子の座にのぼり、人天の師となれらんともがら、審細參學すべし。この都史多天に一生所繋として住せざれば、さらに諸佛にあらざるなり。行者みだりに我慢することなかれ、一生所繋の菩薩は中有なし。」(7)
(注)
- (1)「出家功徳」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、281頁。
- (2)同上、286頁。
- (3)「発菩提心」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、335頁。
- (4)「供養諸仏」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、360頁。
- (5)「三時業」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、409頁。
- (6)「四禅比丘」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、426頁。
- (7)「一百八法明門」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、450頁。
(c)悟後になすべきこと
十二巻本「正法眼蔵」
- (涅槃に入らず、世間に住む)
「羅@羅尊者は菩薩の子なり、淨飯王のむまごなり。帝位をゆづらんとす。しかあれども、世尊あながちに出家せしめまします。しるべし、出家の法最尊なりと。密行第一の弟子として、いまにいたりていまだ涅槃にいりましまさず、衆生の福田として世間に現住しまします。」(1)
- (佛果菩提のくらゐにいたりてなほ小功徳を愛す)
「この因縁、むかしは先師の室にして夜話をきく、のちには智論の文にむかうてこれを檢校す。傳法祖師の示誨、あきらかにして遺落せず。この文、智度論第十にあり。諸佛かならず諸法實相を大師としましますこと、あきらけし。釋尊また諸佛の常法を證しまします。
いはゆる諸法實相を大師とするといふは、佛法僧三寶を供養恭敬したてまつるなり。諸佛は無量阿僧祇劫そこばくの功徳善根を積集して、さらにその報をもとめず。ただ功徳を恭敬して供養しましますなり。佛果菩提のくらゐにいたりてなほ小功徳を愛し、盲比丘のために衽針しまします。佛果の功徳をあきらめんとおもはば、いまの因縁、まさしく消息なり。
しかあればすなはち、佛果菩提の功徳、諸法實相の道理、いまのよにある凡夫のおもふがごとくにはあらざるなり。いまの凡夫のおもふところは、造惡の諸法實相ならんとおもふ、有所得のみ佛果菩提ならんとおもふ。かくのごとくの邪見は、たとひ八萬劫をしるといふとも、いまだ本劫、本見、末劫、末見をのがれず。いかでか唯佛與佛の究盡しましますところの諸法實相を究盡することあらん。ゆゑいかんとなれば、唯佛與佛の究盡しましますところ、これ諸法實相なるがゆゑなり。」(2)
- (「一百八法明門」を明らめない者が多い。慢心するな。信でも、坐禅でも、解脱でも、仏教がわかったと思う者は、人の師となる前に「一百八法明門」を参学すべし)
「これすなはち一百八法明門なり。一切の一生所繋の菩薩、都史多天より閻浮提に下生せんとするとき、かならずこの一百八法明門を、都史多天の衆のために敷揚して、諸天を化するは、諸佛の常法なり。
護明菩薩とは、釋迦牟尼佛、一生補處として第四天にましますときの名なり。李附馬、天聖廣燈録を撰するに、この一百八法明門の名字をのせたり。參學のともがら、あきらめしれるはすくなく、しらざるは稻麻竹葦のごとし。いま初心晩學のともがらのためにこれを撰す。師子の座にのぼり、人天の師となれらんともがら、審細參學すべし。この都史多天に一生所繋として住せざれば、さらに諸佛にあらざるなり。行者みだりに我慢することなかれ、一生所繋の菩薩は中有なし。」(3)
- (八大人覚を習学せよ。無上菩提に至り、八大人覚を人々に説くこと)
これ八大人覺なり。一一各具八、すなはち六十四あるべし。ひろくするときは無量なるべし、略すれば六十四なり。
大師釋尊、最後之説、大乘之所教誨。二月十五日夜半の極唱、これよりのち、さらに説法しましまさず、つひに般涅槃しまします。
佛言、汝等比丘、常當一心勤求出道。一切世間動不動法、皆是敗壞不安之相。汝等且止、勿得復語。時將欲過、我欲滅度、是我最後之所教誨
(佛言はく、汝等比丘、常に當に一心に勤めて出道を求むべし。一切世間の動不動の法は、皆な是れ敗壞不安の相なり。汝等且く止みね、復た語ふこと得ること勿れ。時將に過ぎなんとす、我れ滅度せんとす。是れ我が最後の教誨する所なり)。
このゆゑに、如來の弟子は、かならずこれを習學したてまつる。これを修習せず、しらざらんは佛弟子にあらず。これ如來の正法眼藏涅槃妙心なり。しかあるに、いましらざるものはおほく、見聞せることあるものはすくなきは、魔@(にょう)によりてしらざるなり。また宿殖善根すくなきもの、きかず、みず。むかし正法、像法のあひだは、佛弟子みなこれをしれり、修習し參學しき。いまは千比丘のなかに、一兩この八大人覺しれる者なし。あはれむべし、澆季の陵夷、たとふるにものなし。如來の正法、いま大千に流布して、白法いまだ滅せざらんとき、いそぎ習學すべきなり、緩怠なることなかれ。
佛法にあふたてまつること、無量劫にかたし。人身をうること、またかたし。たとひ人身をうくといへども、三洲の人身よし。そのなかに、南洲の人身すぐれたり。見佛聞法、出家得道するゆゑなり。如來の般涅槃よりさきに涅槃にいり、さきだちて死せるともがらは、この八大人覺をきかず、ならはず。いまわれら見聞したてまつり、習學したてまつる、宿殖善根のちからなり。いま習學して生生に増長し、かならず無上菩提にいたり、衆生のためにこれをとかんこと、釋迦牟尼佛にひとしくしてことなることなからん。」(4)
(注)
- (1)「出家功徳」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、291頁。@=目偏に侯(ご)
- (2)「供養諸仏」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、360頁。
- (3)「一百八法明門」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、450頁。
- (4)「八大人覚」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、456頁。
@=女偏に尭(にょう)、&=心偏に貴(かい)
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