もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
[一つを取る説]目次
[捨てられた言葉]目次
仏教学・禅学の批判
煩悩の捨棄(2)=十二巻「正法眼蔵」
- 一個のファイルに収録できませんので、2つに分けています。
- 「悪をなさず」は、別項参照。
煩悩の捨棄
「正法眼蔵」
- (百八法明門=原文は、漢文であるが、読み下しにした。また、原文には、1から108までの、番号、および、赤字の区分はないが、便宜上加えた。)
「一百八法明門者何(一百八法明門とは何ぞや)。
- 正信是れ法明門なり、堅牢の心を破せざるが故に。
- 淨心是れ法明門なり、濁穢なきが故に。
- 歡喜是れ法明門なり、安穩心の故に。
- 愛樂是れ法明門なり、心をして清淨ならしむるが故に。
「三業」
- 身行正行是れ法明門なり、三業淨きが故に。
- 口行淨行是れ法明門なり、四惡を斷ずるが故に。
- 意行淨行是れ法明門なり、三毒を斷ずるが故に。
「三帰」
- 念佛是れ法明門なり、觀佛清淨なるが故に。
- 念法是れ法明門なり、觀法清淨なるが故に。
- 念僧是れ法明門なり、得道堅牢なるが故に。
- 念施是れ法明門なり、果報を望まざるが故に。
- 念戒是れ法明門なり、一切の願具足するが故に。
- 念天是れ法明門なり、廣大心を發すが故に。
「四無量心」
- 慈是れ法明門なり、一切の生處に善根攝勝なるが故に。
- 悲是れ法明門なり、衆生を殺害せざるが故に。
- 喜是れ法明門なり、一切不喜の事を捨するが故に。
- 捨是れ法明門なり、五欲を厭離するが故に。
「三法印」
- 無常觀是れ法明門なり、三界の慾を觀ずるが故に。
- 苦觀是れ法明門なり、一切の願を斷ずるが故に。
- 無我觀是れ法明門なり、我に染著せざるが故に。
- 寂定觀是れ法明門なり、心意を擾亂せざるが故に。
- 慚愧是れ法明門なり、内心寂定なるが故に。
- 羞恥是れ法明門なり、外惡滅するが故に。
- 實是れ法明門なり、天人を誑かさざるが故に。
- 眞是れ法明門なり、自身を誑かさざるが故に。
- 法行是れ法明門なり、法行に隨順するが故に。
- 三歸是れ法明門なり、三惡道を淨からしむるが故に。
- 知恩是れ法明門なり、善根を捨せざるが故に。
- 報恩是れ法明門なり、他を欺負せざるが故に。
- 不自欺是れ法明門なり、自ら譽めざるが故に。
- 爲衆生是れ法明門なり、他を毀呰せざるが故に。
- 爲法是れ法明門なり、如法にして行ずるが故に。
- 知時是れ法明門なり、言説を輕んぜざるが故に。
- 攝我慢是れ法明門なり、智惠滿足するが故に。
- 不生惡心是れ法明門なり、自ら護し他を護するが故に。
- 無障礙是れ法明門なり、心、疑惑無きが故に。
- 信解是れ法明門なり、第一義を決了するが故に。
- 不淨觀是れ法明門なり、欲染の心を捨するが故に。
- 不諍鬪是れ法明門なり、瞋訟を斷ずるが故に。
- 不癡是れ法明門なり、殺生を斷ずるが故に。
- 樂法義是れ法明門なり、法義を求むるが故に。
- 愛法明是れ法明門なり、法明を得るが故に。
- 求多聞是れ法明門なり、法相を正觀するが故に。
- 正方便是れ法明門なり、正行を具するが故に。
- 知名色是れ法明門なり、諸の障礙を除くが故に。
- 除因見是れ法明門なり、解脱を得るが故に。
- 無怨親心是れ法明門なり、怨親の中に平等を生ずるが故に。
- 陰方便是れ法明門なり、諸の苦を知るが故に。
- 諸大平等是れ法明門なり、一切和合の法を斷ずるが故に。
- 諸入是れ法明門なり、正道を修するが故に。
- 無生忍是れ法明門なり、滅諦を證するが故に。
「四念処」
- 身念處是れ法明門なり、諸法寂静なるが故に。
- 受念處是れ法明門なり、一切の諸受を斷ずるが故に。
- 心念處是れ法明門なり、心を觀ずること幻化の如きが故に。
- 法念處是れ法明門なり、智惠無翳なるが故に。
「四正勤・四如意足」
- 四正懃是れ法明門なり、一切惡を斷じて諸の善を成ずるが故に。
- 四如意足是れ法明門なり、身心輕きが故に。
「五根」
- 信根是れ法明門なり、他の語に隨はざるが故に。
- 精進根是れ法明門なり、善く諸の智を得るが故に。
- 念根是れ法明門なり、善く諸の業を作すが故に。
- 定根是れ法明門なり、心清淨なるが故に。
- 慧根是れ法明門なり、諸法を現見するが故に。
「五力」
- 信力是れ法明門なり、諸の魔の力に過ぐるが故に。
- 精進力是れ法明門なり、不退轉なるが故に。
- 念力是れ法明門なり、他と共ならざるが故に。
- 定力是れ法明門なり、一切の念を斷ずるが故に。
- 慧力是れ法明門なり、二邊を離るるが故に。
「七覚支」
- 念覺分是れ法明門なり、諸法智の如くなるが故に。
- 法覺分是れ法明門なり、一切諸法を照明するが故に。
- 精進覺分是れ法明門なり、善く知覺するが故に。
- 喜覺分是れ法明門なり、諸の定を得るが故に。
- 除覺分是れ法明門なり、所作已に辨ずるが故に。
- 定覺分是れ法明門なり、一切法平等を知るが故に。
- 捨覺分是れ法明門なり、一切の生を厭離するが故に。
「八正道」
- 正見是れ法明門なり、漏盡聖道を得るが故に。
- 正分別是れ法明門なり、一切の分別と無分別とを斷ずるが故に。
- 正語是れ法明門なり、一切の名字、音聲、語言は、響きの如しと知るが故に)。
- 正命是れ法明門なり、一切の惡道を除滅するが故に。
- 正行是れ法明門なり、彼岸に至るが故に。
- 正念是れ法明門なり、一切法を思念せざるが故に。
- 正定是れ法明門なり、無散亂三昧を得るが故に。
- 菩提心是れ法明門なり、三寶を斷ぜざるが故に。
- 依倚是れ法明門なり、小乘を樂はざるが故に。
- 正信是れ法明門なり、最勝の佛法を得るが故に。
- 増進是れ法明門なり、一切諸の善根の法を成就するが故に。
「六度」
- 檀度是れ法明門なり、念念に相好を成就し、佛土を莊嚴し、慳貪の諸の衆生を教化するが故に。
- 戒度是れ法明門なり、惡道の諸難を遠離し、破戒の諸の衆生を教化するが故に)。
- 忍度是れ法明門なり、一切の嗔恚、我慢、諂曲、調戲を捨し、是の如きの諸の惡衆生を教化するが故に。
- 精進度是れ法明門なり、悉く一切の諸の善法を得て、懈怠の諸の衆生を教化するが故に。
- 禪度是れ法明門なり、一切の禪定及び諸の神通を成就し、散亂の諸の衆生を教化するが故に。
- 智度是れ法明門なり、無明の黒暗及び諸見に著することを斷じ、愚癡の諸の衆生を教化するが故に。
- 方便是れ法明門なり、衆生所見の威儀に隨つて、教化を示現し、一切諸佛の法を成就するが故に。
- 四攝法是れ法明門なり、一切衆生を攝受し、菩提を得已つて、一切衆生に法を施すが故に。
- 教化衆生是れ法明門なり、自ら樂を受けず、疲倦せざるが故に。
- 攝受正法是れ法明門なり、一切衆生の諸の煩惱を斷ずるが故に。
- 福聚是れ法明門なり、一切諸の衆生を利益するが故に。
- 修禪定是れ法明門なり、十力を滿足するが故に。
- 寂定是れ法明門なり、如來の三昧を成就して具足するが故に。
- 慧見是れ法明門なり、智惠成就して滿足するが故に。
- 入無礙辯是れ法明門なり、法眼を得て成就するが故に。
- 入一切行是れ法明門なり、佛眼を得て成就するが故に。
- 成就陀羅尼是れ法明門なり、一切諸佛の法を聞いて能く受持するが故に。
- 得無礙辯是れ法明門なり、一切衆生をして皆な歡喜せしむるが故に。
- 順忍是れ法明門なり、一切諸佛の法に順ふが故に。
- 得無生法忍是れ法明門なり、受記を得るが故に。
- 不退轉地是れ法明門なり、往昔の諸佛の法を具足するが故に。
- 從一地至一地智是れ法明門なり、潅頂して一切智を成就するが故に。
- 潅頂地是れ法明門なり、生れて出家するより、乃至阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得るが故に。
爾の時に護明菩薩、是の語を説き已りて、彼の一切の諸の天衆に告げて言く、諸天、當に知るべし、此れは是れ一百八法明門なり、諸天に留與す。汝等受持し、心に常に憶念して、忘失せしむることなかるべし。
これすなはち一百八法明門なり。一切の一生所繋の菩薩、都史多天より閻浮提に下生せんとするとき、かならずこの一百八法明門を、都史多天の衆のために敷揚して、諸天を化するは、諸佛の常法なり。
護明菩薩とは、釋迦牟尼佛、一生補處として第四天にましますときの名なり。李附馬、天聖廣燈録を撰するに、この一百八法明門の名字をのせたり。參學のともがら、あきらめしれるはすくなく、しらざるは稻麻竹葦のごとし。いま初心晩學のともがらのためにこれを撰す。師子の座にのぼり、人天の師となれらんともがら、審細參學すべし。この都史多天に一生所繋として住せざれば、さらに諸佛にあらざるなり。行者みだりに我慢することなかれ、一生所繋の菩薩は中有なし。」(1)
- (八大人覚)
「諸佛是大人也、大人之所覺知、所以稱八大人覺也。覺知此法、爲涅槃因(諸佛は是れ大人也。大人の覺知する所、所以に八大人覺と稱ず。此の法を覺知するを、涅槃の因と爲)。
我本師釋迦牟尼佛、入般涅槃夜、最後之所説也(我が本師釋迦牟尼佛、入般涅槃したまひし夜の、最後の所説也)。
一者少欲。於彼未得五欲法中、不廣追求、名爲少欲
(一つには少欲。彼の未得の五欲の法の中に於て、廣く追求せざるを、名づけて少欲と爲す)。
佛言、汝等比丘、當知、多欲之人、多求利故、苦惱亦多。少欲之人、無求無欲、則無此患。直爾少欲尚應修習、何況少欲能生諸功徳。少欲之人、則無諂曲以求人意、亦復不爲諸根所牽。行少欲者、心則坦然、無所憂畏、觸事有餘、常無不足。有少欲者、則有涅槃、是名少欲
(佛言はく、汝等比丘、當に知るべし、多欲の人は、多く利を求むるが故に苦惱も亦た多し。少欲の人は、求むること無く欲無ければ則ち此の患ひ無し。直爾の少欲なるすら尚ほ應に修習すべし、何に況んや少欲の能く諸の功徳を生ずるをや。少欲の人は、則ち諂曲して以て人の意を求むること無く、亦復諸根に牽かれず。少欲を行ずる者は、心則ち坦然として、憂畏する所無し、事に觸れて餘あり、常に足らざること無し。少欲有る者は則ち涅槃有り。是れを少欲と名づく)。
二者知足。已得法中、受取以限、稱曰知足
(二つには知足。已得の法の中に、受取するに限りを以てするを、稱じて知足と曰ふ)。
佛言、汝等比丘、若欲脱諸苦惱、當觀知足。知足之法、即是富樂安穩之處。知足之人、雖臥地上猶爲安樂。不知足者、雖處天堂亦不稱意。不知足者、雖富而貧。知足之人、雖貧而富。不知足者、常爲五欲所牽、爲知足者之所憐愍。是名知足
(佛言はく、汝等比丘、若し諸の苦惱を脱れんと欲はば、當に知足を觀ずべし。知足の法は、即ち是れ富樂安穩の處なり。知足の人は、地上に臥すと雖も猶ほ安樂なりと爲す。不知足の者は、天堂に處すと雖も亦た意に稱はず。不知足の者は、富めりと雖も而も貧し。知足の人は、貧しと雖も而も富めり。不知足の者は、常に五欲に牽かれて、知足の者に憐愍せらる。是れを知足と名づく)。
三者樂寂靜。離諸&(かい) 鬧、獨處空閑、名樂寂靜
(三つには樂寂靜。諸の&(かい) 鬧を離れ、空閑に獨處するを、樂寂靜と名づく)。
佛言、汝等比丘、欲求寂靜無爲安樂、當離&(かい) 鬧獨處閑居。靜處之人、帝釋諸天、所共敬重。是故當捨己衆他衆、空閑獨處、思滅苦本。若樂衆者、則受衆惱。譬如大樹衆鳥集之、則有枯折之患。世間縛著沒於衆苦、辟如老象溺泥、不能自出。是名遠離
(佛言はく、汝等比丘、寂靜無爲の安樂を求めんと欲はば、當に&(かい) 鬧を離れて獨り閑居に處すべし。靜處の人は、帝釋諸天、共に敬重する所なり。是の故に當に己衆他衆を捨して、空閑に獨處し、苦本を滅せんことを思ふべし。若し衆を樂はん者は、則ち衆惱を受く。譬へば、大樹の、衆鳥之に集まれば、則ち枯折の患有るが如し。世間の縛著は衆苦に沒す、辟へば老象の泥に溺れて、自ら出ること能はざるが如し。是れを遠離と名づく)。
四者懃精進。於諸善法、懃修無間、故云精進。精而不雜、進而不退
(四つには懃精進。諸の善法に於て、懃修すること無間なり、故に精進と云ふ。精にして雜ならず、進んで退かず)。
佛言、汝等比丘、若勤精進、則事無難者。是故汝等當勤精進。辟如小水常流、則能穿石。若行者之心數數懈癈、譬如鑽火未熱而息、雖欲得火、火難可得。是名精進
(佛言はく、汝等比丘、若し勤精進すれば、則ち事として難き者無し。是の故に汝等當に勤精進すべし。辟へば小水の常に流るれば、則ち能く石を穿つが如し。若し行者の心數數懈癈せんには、譬へば火を鑽るに未だ熱からざるに而も息めば、火を得んと欲ふと雖も、火を得べきこと難きが如し。是れを精進と名づく)。
五者不忘念。亦名守正念。守法不失、名爲正念。亦名不忘念
(五つには不忘念。亦た守正念と名づく。法を守つて失せざるを、名づけて正念と爲。亦た不忘念と名づく)。
佛言、汝等比丘、求善知識、求善護助、無如不忘念。若有不忘念者、諸煩惱賊則不能入。是故汝等、常當攝念在心。若失念者則失諸功徳。若念力堅強、雖入五欲賊中、不爲所害。譬如著鎧入陣、則無所畏。是名不忘念
(佛言はく、汝等比丘、善知識を求め、善護助を求むるは、不忘念に如くは無し。若し不忘念有る者は、諸の煩惱の賊則ち入ること能はず。是の故に汝等、常に念を攝めて心に在らしむべし。若し念を失せば則ち諸の功徳を失す。若し念力堅強なれば、五欲の賊の中に入ると雖も爲に害せられず。譬へば鎧を著て陣に入れば、則ち畏るる所無きが如し。是れを不忘念と名づく)。
六者修禪定。住法不亂、名曰禪定
(六つには修禪定。法に住して亂れず、名づけて禪定と曰ふ)。
佛言、汝等比丘、若攝心者、心則在定。心在定故、能知世間生滅法相。是故汝等、常當精勤修習諸定。若得定者、心則不散。譬如惜水之家、善治堤塘。行者亦爾、爲智惠水故、善修禪定、令不漏失。是名爲定
(佛言はく、汝等比丘、若し心を攝むれば、心則ち定に在り。心、定に在るが故に、能く世間生滅の法相を知る。是の故に汝等、常に當に精勤して諸の定を修習すべし。若し定を得ば、心則ち散ぜず。譬へば水を惜しむ家の、善く堤塘を治むるが如し。行者も亦た爾り、智惠の水の爲の故に、善く禪定を修して漏失せざらしむ。是れを名づけて定と爲す)。
七者修智惠。起聞思修證爲智惠
(七つには修智惠。聞思修證を起すを智惠と爲す)。
佛言、汝等比丘、若有智惠則無貪著、常自省察不令有失。是則於我法中能得解脱。若不爾者、既非道人、又非白衣、無所名也。實智惠者則是度老病死海堅牢船也、亦是無明黒暗大明燈也、一切病者之良藥也、伐煩惱樹之利斧也。是故汝等當以聞思修慧、而自増益。若人有智惠之照、雖是肉眼、而是明眼人也。是爲智惠
(佛言はく、汝等比丘、若し智惠有れば則ち貪著無し、常に自ら省察して失有らしめず。是れ則ち我が法の中に於て能く解脱を得。若し爾らずは、既に道人に非ず、又白衣に非ず、名づくる所なし。實智惠は則ち是れ老病死海を度る堅牢の船なり、亦た是れ無明黒暗の大明燈なり、一切病者の良藥なり、煩惱の樹を伐る利斧なり。是の故に汝等當に聞思修慧を以て而も自ら増益すべし。若し人智惠の照あらば、是れ肉眼なりと雖も、而も是れ明眼の人なり。是れを智惠と爲す)。
八者不戲論。證離分別、名不戲論。究盡實相、乃不戲論
(八つには不戲論。證して分別を離るるを、不戲論と名づく。實相を究盡す、乃ち不戲論なり)。
佛言、汝等比丘、若種種戲論、其心則亂。雖復出家猶未得脱。是故比丘、當急捨離亂心戲論。汝等若欲得寂滅樂者、唯當善滅戲論之患。是名不戲論
(佛言はく、汝等比丘、若し種種の戲論あらば、其の心則ち亂る。復た出家すと雖も猶ほ未だ得脱せず。是の故に比丘、當に急ぎて亂心と戲論とを捨離すべし。汝等若し寂滅の樂を得んと欲はば、唯當に善く,b>戲論の患を滅すべし。是れを不戲論と名づく)。
これ八大人覺なり。一一各具八、すなはち六十四あるべし。ひろくするときは無量なるべし、略すれば六十四なり。
大師釋尊、最後之説、大乘之所教誨。二月十五日夜半の極唱、これよりのち、さらに説法しましまさず、つひに般涅槃しまします。
佛言、汝等比丘、常當一心勤求出道。一切世間動不動法、皆是敗壞不安之相。汝等且止、勿得復語。時將欲過、我欲滅度、是我最後之所教誨
(佛言はく、汝等比丘、常に當に一心に勤めて出道を求むべし。一切世間の動不動の法は、皆な是れ敗壞不安の相なり。汝等且く止みね、復た語ふこと得ること勿れ。時將に過ぎなんとす、我れ滅度せんとす。是れ我が最後の教誨する所なり)。
このゆゑに、如來の弟子は、かならずこれを習學したてまつる。これを修習せず、しらざらんは佛弟子にあらず。これ如來の正法眼藏涅槃妙心なり。しかあるに、いましらざるものはおほく、見聞せることあるものはすくなきは、魔@(にょう)によりてしらざるなり。また宿殖善根すくなきもの、きかず、みず。むかし正法、像法のあひだは、佛弟子みなこれをしれり、修習し參學しき。いまは千比丘のなかに、一兩この八大人覺しれる者なし。あはれむべし、澆季の陵夷、たとふるにものなし。如來の正法、いま大千に流布して、白法いまだ滅せざらんとき、いそぎ習學すべきなり、緩怠なることなかれ。
佛法にあふたてまつること、無量劫にかたし。人身をうること、またかたし。たとひ人身をうくといへども、三洲の人身よし。そのなかに、南洲の人身すぐれたり。見佛聞法、出家得道するゆゑなり。如來の般涅槃よりさきに涅槃にいり、さきだちて死せるともがらは、この八大人覺をきかず、ならはず。いまわれら見聞したてまつり、習學したてまつる、宿殖善根のちからなり。いま習學して生生に増長し、かならず無上菩提にいたり、衆生のためにこれをとかんこと、釋迦牟尼佛にひとしくしてことなることなからん。」(2)
(注)
- (1)「一百八法明門」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、450頁。
- (2)「八大人覚」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、451頁-457頁。
@=女偏に尭(にょう)、&=心偏に貴(かい)
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