もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
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[捨てられた言葉]目次
仏教学・禅学の批判
悪をなさず=十二巻本「正法眼蔵」
悪をなさない、善を行う、も道元の仏道。しかし、その善悪は、世情の善悪ではない。仏道における善悪である。師に参禅聞法して知るべきである。
(A)悪をなさず
十二巻本「正法眼蔵」
- 「龍樹菩薩言、
問曰、若居家戒、得生天上、得菩薩道、亦得涅槃。復何用出家戒(問うて曰く、居家戒の若きは、天上に生ずることを得、菩薩の道を得、亦た涅槃を得。復た何ぞ出家戒を用ゐんや)。
答曰、雖倶得度、然有難易。居家生業、種種事務。若欲專心道法家業則癈、若專修家業道事則癈。不取不捨、能應行法、是名爲難。若出家、離俗絶諸忿亂、一向專心行道爲易(答へて曰く、倶に得度すと雖も、然も難易有り。居家は生業、種種の事務あり。若し道法に專心せんと欲へば、家業則ち癈す、若し家業を專修すれば道事則ち癈す。取せず捨せずして能く應に法を行ずべし、是れを名づけて難と爲す。若し出家なれば、俗を離れて諸の忿亂を絶し、一向專心に行道するを易と爲す)。
復次居家、@鬧多事多務。結使之根、衆罪之府、是爲甚難。若出家者、譬若有人出在空野無人之處、而一其心、無心無慮。内想既除、外事亦去。如偈説(復た次に居家は、@鬧にして多事多務なり。結使の根、衆罪の府なり、是れを甚難と爲す。出家の若きは、譬へば、人有りて、出でて空野無人の處に在りて、其の心を一にして、心無く慮無きが若し。内想既に除こほり、外事亦た去りぬ。偈に説くが如し)。
閑坐林樹間、寂然滅衆惡(林樹の間に閑坐すれば、寂然として衆惡を滅す)、
恬澹得一心、斯樂非天樂(恬澹として一心を得たり、斯の樂は天の樂に非ず)。
人求富貴利、名衣好牀褥(人は富貴の利、名衣、好牀褥を求む)、
斯樂非安穩、求利無厭足(斯の樂は安穩に非ず、利を求むれば厭足無し)。
衲衣行乞食、動止心常一(衲衣にして乞食を行ずれば、動止、心、常に一なり)、
自以智慧眼、觀知諸法實(自ら智慧の眼を以て、諸法の實を觀知す)。
種種法門中、皆以等觀入(種種の法門の中に、皆な以て等しく觀入す)、
解慧心寂然、三界無能及(解慧の心寂然として、三界に能く及ぶもの無し)。
以是故知、出家修戒行道、爲甚易(是れを以ての故に知りぬ、出家して戒を修し行道するを、甚易なりと爲す)。
復次出家修戒、得無量善律儀、一切具足滿。以是故、白衣等應當出家受具足戒(復た次に出家して戒を修すれば、無量の善律儀を得、一切具足して滿ず。是れを以ての故に、白衣等應當に出家して具足戒を受くべし)。
復次佛法中、出家法第一難修(復た次に佛法の中には、出家の法第一に修し難し)。
如閻浮*提梵志問舍利弗、於佛法中、何者最難(閻浮*提梵志の舍利弗に問ひしが如き、佛法の中に、何者か最も難き)。
舍利弗答曰、出家爲難(出家を難しと爲す)。
又問、出家有何等難(出家には何等の難きことか有る)。
答曰、出家内樂爲難(出家は内樂を難しと爲す)。
既得内樂、復次何者爲難(既に内樂を得ぬれば、復た次に何者をか難しと爲す)。
修諸善法難(諸の善法を修すること難し)。
以是故應出家(是れを以ての故に、應に出家すべし)。
復次若人出家時、魔王驚愁言、此人諸結使欲薄、必得涅槃、墮僧寶數中(復た次に若し人出家せん時、魔王驚愁して言く、此の人は諸の結使薄らぎなんず、必ず涅槃を得て、僧寶の數中に墮すべし)。
復次佛法中出家人、雖破戒墮罪、罪畢得解脱、如優鉢羅華比丘尼本生經中説(復た次に佛法の中の出家人は、破戒して墮罪すと雖も、罪畢りぬれば解脱を得ること、優鉢羅華比丘尼本生經の中に説くが如し)。
佛在世時、此比丘尼、得六神通阿羅漢。入貴人舍、常讃出家法、語諸貴人婦女言、姉妹、可出家(佛在世の時、此の比丘尼、六神通阿羅漢を得たり。貴人の舍に入りて、常に出家の法を讃めて、諸の貴人婦女に語りて言く、姉妹、出家すべし)。
諸貴婦女言、我等少壯、容色盛美、持戒爲難、或當破戒(諸の貴婦女言く、我等少壯して、容色盛美なり、持戒を難しと爲す、或いは當に破戒すべし)。
比丘尼言、破戒便破、但出家(戒を破らば便ち破すべし、但だ出家すべし)。
問言、破戒當墮地獄、云何可破(戒を破らば當に地獄に墮すべし、云何が破すべき)。
答言、墮地獄便墮(地獄に墮さば便ち墮すべし)。
諸貴婦女笑之言、地獄受罪、云何可墮(諸貴婦女、之を笑つて言く、地獄にては罪を受く、云何が墮すべき)。
比丘尼言、我自憶念本宿命時、作戲女、著種種衣服而説舊語。或時著比丘尼衣、以爲戲笑。以是因縁故、迦葉佛時、作比丘尼。自恃貴姓端正、心生&慢、而破禁戒。破禁戒罪故、墮地獄受種種罪。受畢竟値釋迦牟尼佛出家、得六神通阿羅漢道(比丘尼言く、我れ自ら本宿命の時を憶念するに、戲女と作り、種種の衣服を著して舊語を説きき。或る時比丘尼衣を著して、以て戲笑を爲しき。是の因縁を以ての故に、迦葉佛の時、比丘尼と作りぬ。自ら貴姓端正なるを恃んで、心に&慢を生じ、而も禁戒を破りつ。禁戒を破りし罪の故に、地獄に墮して種種の罪を受けき。受け畢竟りて釋迦牟尼佛に値ひたてまつりて出家し、六神通阿羅漢道を得たり)。
以是故知、出家受戒、雖復破戒、以戒因縁故、得阿羅漢道。若但作惡無戒因縁、不得道也。我乃昔時、世世墮地獄、從地獄出爲惡人。惡人死還入地獄、都無所得。今以此證知、出家受戒、雖復破戒、以是因縁、可得道果(是れを以ての故に知りぬ、出家受戒せば、復た破戒すと雖も、戒の因縁を以ての故に、阿羅漢道を得。若し但だ惡を作して戒の因縁無からんには、道を得ざるなり。我れ乃ち昔時、世世に地獄に墮し、地獄より出でては惡人爲り。惡人死して還た地獄に入りて、都て所得無かりき。今此れを以て證知す、出家受戒せば、復た破戒すと雖も、是の因縁を以て、道果を得べしといふことを)。
復次如佛在祇桓、有一醉婆羅門。來到佛所、求作比丘。佛敕阿難、與剃頭著法衣。醉酒既醒、驚怪己身忽爲比丘、即便走去(復た次に佛、祇桓に在ししが如き、一りの醉婆羅門有りき。佛の所に來到りて比丘と作らんことを求む。佛、阿難に敕して、剃頭を與へ法衣を著せしむ。醉酒既に醒めて、己が身の忽ちに比丘と爲れるを驚怪し、即便ち走り去りぬ)。
諸比丘問佛、何以聽此婆羅門作比丘(諸比丘、佛に問ひたてまつらく、何を以てか此の婆羅門を聽して比丘と作したまひしや)。
佛言、此婆羅門、無量劫中、初無出家心、今因醉後、暫發微心。以此因縁故、後當出家得道(佛言はく、此の婆羅門は、無量劫の中にも、初めより出家の心無し、今醉に因るが故に、暫く微心を發せり。此の因縁を以ての故に、後に當に出家得道すべし)。
如是種種因縁、出家之功徳無量。以是白衣雖有五戒、不如出家(是の如くの種種の因縁ありて、出家の功徳無量なり。是れを以て白衣に五戒有りと雖も、出家には如かず)。
世尊すでに醉婆羅門に出家受戒を聽許し、得道最初の下種とせしめまします。あきらかにしりぬ、むかしよりいまだ出家の功徳なからん衆生、ながく佛果菩提うべからず。この婆羅門、わづかに醉酒のゆゑに、しばらく微心をおこして剃頭受戒し、比丘となれり。酒醉さめざるあひだ、いくばくにあらざれども、この功徳を保護して、得道の善根を増長すべきむね、これ世尊誠諦の金言なり、如來出世の本懷なり。一切衆生あきらかに已今當の中に信受奉行したてまつるべし。まことにその發心得道、さだめて刹那よりするものなり。この婆羅門しばらくの出家の功徳、なほかくのごとし。いかにいはんやいま人間一生の壽者命者をめぐらして出家受戒せん功徳、さらに醉婆羅門よりも劣ならめやは。」(1)
- 「佛言、若有衆生、爲我出家、剃除鬚髪、被服袈裟、設不持戒、彼等悉已爲涅槃印之所印也(佛言はく、若し衆生有りて、我が爲に出家し、鬚髪を剃除し、袈裟を被服せん、設ひ戒を持たざらんも、彼等悉く已に涅槃の印の爲に印せらるる也)。
若復出家、不持戒者、有以非法、而作惱亂、罵辱、毀呰、以手刀杖打縛斫截、若奪衣鉢、及奪種種資生具者、是人則壞三世諸佛眞實報身、則挑一切人天眼目。是人爲欲隱沒諸佛所有正法三寶種故。令諸天人不得利益墮地獄故。爲三惡道増長盈滿故(若し復た出家して、戒を持たざらん者、非法を以て惱亂、罵辱、毀呰を作し、手に刀杖を以て打縛斫截し、若しは衣鉢を奪ひ、及び種種の資生の具を奪ふ者有らん、是の人は則ち三世諸佛の眞實の報身を壞するなり、則ち一切人天の眼目を挑るなり。是の人は諸佛所有の正法、三寶の種を隱沒せんとするが爲の故に。諸の天人をして利益を得ず、地獄に墮せしむるが故に。三惡道増長盈滿するが爲の故に)。
しるべし、剃髪染衣すれば、たとひ不持戒なれども、無上大涅槃の印のために印せらるるなり。ひとこれを惱亂すれば、三世諸佛の報身を壞するなり。逆罪とおなじかるべし。あきらかにしりぬ、出家の功徳、ただちに三世諸佛にちかしといふことを。」(2)
- 「佛言、夫出家者、不應起惡。若起惡者、則非出家。出家之人、身口相應。若不相應、則非出家。我棄父母、兄弟、妻子、眷屬、知識、出家修道。正是修集諸善覺時、非是修集不善覺時。善覺者、憐愍一切衆生、猶如赤子。不善覺者、與此相違(佛言はく、夫れ出家は、應に惡を起すべからず。若し惡を起さば、則ち出家に非ず。出家の人は、身口相應すべし。若し相應せざれば、則ち出家に非ず。我れ父母、兄弟、妻子、眷屬、知識を棄てて、出家修道す。正に是れ諸の善覺を修集すべき時なり、是れ不善覺を修集すべき時に非ず。善覺とは、一切衆生を憐愍すること、猶ほ赤子の如し。不善覺とは、此と相違す)。
それ出家の自性は、憐愍一切衆生、猶如赤子なり。これすなはち不起惡なり、身口相應なり。その儀すでに出家なるがごときは、その徳いまかくのごとし。」
(3)
- 「如來般涅槃時、迦葉菩薩、白佛言、世尊、如來具足知諸根力、定知善星當斷善根。以何因縁、聽其出家(如來般涅槃したまひし時、迦葉菩薩、佛に白して言さく、世尊、如來は諸の根を知る力を具足したまふ、定んで善星當に善根を斷ずべきを知りたまひしならん。何の因縁を以てか、其の出家を聽したまひしや)。
佛言、善男子、我於往昔、初出家時、吾弟難陀、從弟阿難、調達多、子羅@羅、如是等輩、皆悉隨我出家修道。我若不聽善星出家、其人次當王得紹王位、其力自在、當壞佛法。以是因縁、我便聽其出家修道(佛言はく、善男子、我れ往昔に於て、初めて出家せし時、吾が弟難陀、從弟阿難、調達多、子羅@羅、是の如き等の輩、皆な悉く我に隨つて出家修道せり。我れ若し善星が出家を聽さずは、其の人次に當に王として王位を紹ぐことを得て、其の力自在にして、當に佛法を壞るべし。是の因縁を以て、我れ便ち其の出家修道を聽しき)。
善男子、善星比丘、若不出家、亦斷善根、於無量世、都無利益。令出家已、雖斷善根、能受持戒、供養恭敬耆舊、長宿、有徳之人、修習初禪乃至四禪。是名善因。如是善因、能生善法。善法既生、能修習道。既修習道、當得阿耨多羅三藐三菩提。是故我聽善星出家。善男子、若我不聽善星比丘出家受戒、則不得稱我爲如來具足十力(善男子、善星比丘若し出家せざるも、亦た善根を斷じ、無量世に於て都て利益無けん。出家せしめ已りぬれば、善根を斷ずと雖も、能く戒を受持し、耆舊、長宿、有徳の人を供養し恭敬し、初禪乃至四禪を修習す。是れを善因と名づく。是の如くの善因は、能く善法を生ず。善法既に生じぬれば、能く道を修習す。既に道を修習しぬれば、當に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。是の故に我れ善星が出家を聽しき。善男子、若し我れ善星比丘が出家受戒を聽さずは、則ち我れを稱して如來具足十力と爲すこと得じ)。
善男子、佛觀衆生、具足善法及不善法。是人雖具如是二法、不久能斷一切善根、具不善根。何以故、如是衆生、不親善友、不聽正法、不善思惟、不如法行。以是因縁、能斷善根、具不善根(善男子、佛、衆生を觀じたまふに、善法と及び不善法とを具足す。是の人是の如くの二法を具すと雖も、久しからずして能く一切善根を斷じて不善根を具せん。何を以ての故に、是の如くの衆生は、善友に親しまず、正法を聽かず、善思惟せず、如法に行せず。是の因縁を以て、能く善根を斷じて不善根を具す)。
しるべし、如來世尊、あきらかに衆生の斷善根となるべきをしらせたまふといへども、善因をさづくるとして出家をゆるさせたまふ、大慈大悲なり。斷善根となること、善友にちかづかず、正法をきかず、善思惟せず、如法に行ぜざるによれり。いま學者、かならず善友に親近すべし、善友とは、諸佛ましますととくなり、罪福ありとをしふるなり。因果を撥無せざるを善友とし、善知識とす。この人の所説、これ正法なり。この道理を思惟する、善思惟なり。かくのごとく行ずる、如法行なるべし。
しかあればすなはち、衆生は親疎をえらばず、ただ出家受戒をすすむべし。のちの退不退をかへりみざれ、修不修をおそるることなかれ。これまさに釋尊の正法なるべし。」(4)
- 「佛告比丘、當知、閻羅王、便作是説、我當何日脱此苦難、於人中生、以得人身、便得出家、剃除鬚髪、著三法衣、出家學道。閻羅王尚作是念。何況汝等、今得人身、得作沙門。是故諸比丘、當念行身口意行、無令有缺。當滅五結、修行五根。如是諸比丘、當作是學
(佛、比丘に告げたまはく、當に知るべし、閻羅王便ち是の説を作さく、我れ當に何れの日にか此の苦難を脱し、人中に生じ、以て人身を得て、便ち出家し、剃除鬚髪し、三法衣を著して、出家學道することを得べきと。閻羅王すら尚ほ是の念を作す。何に況んや汝等、今、人身を得て沙門と作ることを得るをや。是の故に諸比丘、當に身口意の行を行じて缺有らしむること無けんと念ずべし。當に五結を滅し、五根を修行すべし。是の如く諸比丘、當に是の學を作すべし)。
爾時諸比丘、聞佛所説、歡喜奉行(爾の時に諸比丘、佛の所説を聞いて、歡喜奉行しき)。
あきらかにしりぬ、たとひ閻羅王なりといへども、人中の生をこひねがふことかくのごとし。すでにむまれたる人、いそぎ剃除鬚髪し、著三法衣して、學佛道すべし。これ餘趣にすぐれたる人中の功徳なり。しかあるを、人間にむまれながら、いたづらに官途世路を貪求し、むなしく國王大臣のつかはしめとして、一生を夢幻にめぐらし、後世は黒闇におもむき、いまだたのむところなきは至愚なり。すでにうけがたき人身をうけたるのみにあらず、あひがたき佛法にあひたてまつれり。いそぎ諸縁を抛捨し、すみやかに出家學道すべし。國王、大臣、妻子、眷屬は、ところごとにかならずあふ、佛法は優曇花のごとくにしてあひがたし。おほよそ無常たちまちにいたるときは、國王、大臣、親昵、從僕、妻子、珍寶たすくるなし、ただひとり黄泉におもむくのみなり。おのれにしたがひゆくは、ただこれ善惡業等のみなり。人身を失せんとき、人身ををしむこころふかかるべし。人身をたもてるとき、はやく出家すべし、まさにこれ三世の諸佛の正法なるべし。」(5)
- 「禪苑清規第一云、三世諸佛、皆曰出家成道。西天二十八祖、唐土六祖、傳佛心印、盡是沙門。蓋以嚴淨毘尼、方能洪範三界。然則參禪問道、戒律爲先。既非離過防非、何以成佛作祖(禪苑清規第一に云く、三世諸佛、皆な出家成道と曰ふ。西天二十八祖、唐土六祖、佛心印を傳ふる、盡く是れ沙門なり。蓋し以て毘尼を嚴淨して、方に能く三界に洪範たり。然あれば則ち參禪問道は戒律爲先なり。既に過を離れ非を防ぐに非ずは、何を以てか成佛作祖せん)。
たとひ澆風の叢林なりとも、なほこれ@蔔の林なるべし。凡木凡草のおよぶところにあらず。また合水の乳のごとし。乳をもちゐんとき、この和水の乳をもちゐるべし、餘物をもちゐるべからず。
しかあればすなはち、三世諸佛、皆曰出家成道の正傳、もともこれ最尊なり。さらに出家せざる三世諸佛おはしまさず。これ佛佛祖祖正傳の正法眼藏涅槃妙心、無上菩提なり。」(6)
- 「西天東地、佛祖相傳しきたれるところ、かならず入法の最初に受戒あり。戒をうけざればいまだ諸佛の弟子にあらず、祖師の兒孫にあらざるなり。離過防非を參禪問道とせるがゆゑなり。戒律爲先の言、すでにまさしく正法眼藏なり。成佛作祖、かならず正法眼藏を傳持するによりて、正法眼藏を正傳する祖師、かならず佛戒を受持するなり、佛戒を受持せざる佛祖あるべからざるなり。あるいは如來にしたがひたてまつりてこれを受持し、あるいは佛弟子にしたがひてこれを受持す、みなこれ命脈稟受するところなり。」(7)
- 「この蓮花色阿羅漢得道の初因、さらに他の功にあらず。ただこれ袈裟を戲笑のためにその身に著せし功徳によりて、いま得道せり。二生に迦葉佛の法にあふたてまつりて比丘尼となり、三生に釋迦牟尼佛にあふたてまつりて大阿羅漢となり、三明六通を具足せり。三明とは、天眼宿命漏盡なり。六通とは、神境通、他心通、天眼通、天耳通、宿命通、漏盡通なり。まことにそれただ作惡人とありしときは、むなしく死して地獄にいる。地獄よりいでてまた作惡人となる。戒の因縁あるときは、禁戒を破して地獄におちたりといへども、つひに得道の因縁なり。いま戲笑のため袈裟を著せる、なほこれ三生に得道す。いはんや無上菩提のために清淨の信心をおこして袈裟を著せん、その功徳、成就せざらめやは。いかにいはんや一生のあひだ受持したてまつり、頂戴したてまつらん功徳、まさに廣大無量なるべし。」(8)
- 「しかあればすなはち、佛果菩提の功徳、諸法實相の道理、いまのよにある凡夫のおもふがごとくにはあらざるなり。いまの凡夫のおもふところは、造惡の諸法實相ならんとおもふ、有所得のみ佛果菩提ならんとおもふ。かくのごとくの邪見は、たとひ八萬劫をしるといふとも、いまだ本劫、本見、末劫、末見をのがれず。いかでか唯佛與佛の究盡しましますところの諸法實相を究盡することあらん。ゆゑいかんとなれば、唯佛與佛の究盡しましますところ、これ諸法實相なるがゆゑなり。」(9)
- 「法華經曰、
是諸罪衆生(是の諸の罪の衆生は)、
以惡業因縁(惡業の因縁を以て)、
過阿僧祇劫(阿僧祇劫を過ぐとも)、
不聞三寶名(三寶の名を聞かず)。
法華經は、諸佛如來一大事の因縁なり。大師釋尊所説の諸經のなかには、法華經これ大王なり、大師なり。餘經、餘法は、みなこれ法華經の臣民なり、眷屬なり。法華經中の所説これまことなり、餘經中の所説みな方便を帶せり、ほとけの本意にあらず。餘經中の説をきたして法華に比校したてまつらん、これ逆なるべし。法華の功徳力をかうぶらざれば餘經あるべからず、餘經はみな法華に歸投したてまつらんことをまつなり。この法華經のなかに、いまの説まします。しるべし、三寶の功徳、まさに最尊なり、最上なりといふこと。」(10)
- 「世尊あきらかに一切衆生のためにしめしまします。衆生いたづらに所逼をおそれて、山神、鬼神等に歸依し、あるいは外道の制多に歸依することなかれ。かれはその歸依によりて衆苦を解脱することなし。おほよそ外道の邪教にしたがうて、
牛戒、鹿戒、羅刹戒、鬼戒、@(あ)戒、聾戒、狗戒、鷄戒、雉戒。以灰塗身、長髪爲相、以羊祠時、先呪後殺、四月事火、七日服風。百千億華供養諸天、諸所欲願、因此成就。如是等法、能爲解脱因者、無有是處。智者處不讃、唐苦無善報
(牛戒、鹿戒、羅刹戒、鬼戒、@(あ)戒、聾戒、狗戒、鷄戒、雉戒あり。灰を以て身に塗り、長髪もて相を爲し、羊を以て時を祠り、先に呪して後に殺す。四月火に事へ、七日風に服し、百千億の華もて諸天に供養し、諸の欲ふ所の願、此れに因りて成就すといふ。是の如き等の法、能く解脱の因なりと爲さば、是の處有ること無けん。智者の讃めざる所なり、唐しく苦しんで善報無し)。
かくのごとくなるがゆゑに、いたづらに邪道に歸せざらんこと、あきらかに甄究すべし。たとひこれらの戒にことなる法なりとも、その道理、もし孤樹、制多等の道理に符合せらば、歸依することなかれ。人身うることかたし、佛法あふことまれなり。いたづらに鬼神の眷屬として一生をわたり、むなしく邪見の流類として多生をすごさん、かなしむべし。はやく佛法僧三寶に歸依したてまつりて、衆苦を解脱するのみにあらず、菩提を成就すべし。
希有經云、教化四天下及六欲天、皆得四果、不如一人受三歸功徳
(四天下及び六欲天を教化して、皆な四果を得しむとも、一人の三歸を受くる功徳には如かじ)。
四天下とは、東西南北州なり。そのなかに、北州は三乘の化いたらざるところ。かしこの一切衆生を教化して阿羅漢となさん、まことにはなはだ希有なりとすべし。たとひその益ありとも、一人ををしへて三歸をうけしめん功徳にはおよぶべからず。また六天は、得道の衆生まれなりとするところなり。かれをして四果をえしむとも、一人の受三歸の功徳のおほくふかきにおよぶべからず。」(11)
- 「この龍女、むかしは毘婆尸佛の法のなかに比丘尼となれり。禁戒を破すといふとも、佛法の通塞を見聞すべし。いまはまのあたり釋迦牟尼佛にあひたてまつりて三歸を乞授す、ほとけより三歸をうけたてまつる、厚殖善根といふべし。見佛の功徳、かならず三歸によれり。われら盲龍にあらず、畜身にあらざれども、如來をみたてまつらず、ほとけにしたがひたてまつりて三歸をうけず、見佛はるかなり、はぢつべし。世尊みづから三歸をさづけまします、しるべし、三歸の功徳、それ甚深無量なりといふこと。天帝釋の野干を拜して三歸をうけし、みな三歸の功徳の甚深なるによりてなり。」(12)
- 「鳩摩羅多尊者は、如來より第十九代の附法なり。如來まのあたり名字を記しまします。ただ釋尊一佛の法をあきらめ正傳せるのみにあらず、かねて三世の諸佛の法をも曉了せり。闍夜多尊者、いまの問をまうけしよりのち、鳩摩羅多尊者にしたがひて、如來の正法を修習し、つひに第二十代の祖師となれり。これもまた、世尊はるかに第二十祖は闍夜多なるべしと記しましませり。しかあればすなはち、佛法の批判、もともかくのごとくの祖師の所判のごとく習學すべし。いまのよに因果をしらず、業報をあきらめず、三世をしらず、善惡をわきまへざる邪見のともがらに群すべからず。
いはゆる、善惡之報有三時焉といふは、
三時、
一者順現法受。二者順次生受。三順後次受。
これを三時といふ。
佛祖の道を修習するには、その最初より、三時の業報の理をならひあきらむるなり。しかあらざれば、おほくあやまりて邪見に墮するなり。ただ邪見に墮するのみにあらず、惡道におちて長時の苦をうく。續善根せざるあひだは、おほくの功徳をうしなひ、菩提の道ひさしくさはりあり、をしからざらめや。この三時の業は、善惡にわたるなり。」(13)
- 「かくのごとくなるを、惡業の順現報受業となづく。おほよそ恩をえては報をこころざすべし、他に恩しては報をもとむることなかれ。いまも恩ある人を逆害をくはへんとせん、その惡業かならずうくべきなり。衆生ながくいまの樵人のこころなかれ。林外にして告別するには、いかがしてこの恩を謝すべきといふといへども、やまのふもとに獵師にあふては二分の肉をむさぼる。貪欲にひかれて大恩所を害す。在家出家、ながくこの不知恩のこころなかれ。惡業力のきるところ、兩手を斷ずること、刀劒のきるよりもはやし。」(14)
- 「あきらかにしりぬ、牛畜の身、をしむべきにあらざれども、すくふ人、善果をうく。いはんや恩田をうやまひ、徳田をうやまひ、もろもろの善を修せんをや。かくのごとくなるを、善の順現報受業となづく。善によりて惡によりて、かくのごとくのことおほかれど、つくしあぐるにいとまあらず。」(15)
- 「いはく、もし人ありて、この生に五無間業をつくれる、かならず順次生に地獄におつるなり。順次生とは、この生つぎの生なり。餘のつみは、順次生に地獄におつるもあり。また順後次受のひくべきあれば、順次生に地獄におちず、順後業となることもあり。この五無間業は、さだめて順次生受業に地獄におつるなり。順次生、また第二生とも、これをいふなり。
五無間業
一者殺父、二者殺母、三者殺阿羅漢、四者出佛身血、五者破和合僧。」(16)
- 「いはく、人ありて、この生に、あるいは善にもあれ、あるいは惡にもあれ、造作しをはれりといへども、あるいは第三生、あるいは第四生、乃至百千生のあひだにも、善惡の業を感ずるを、順後次受業となづく。菩薩の三祇劫の功徳、おほく順後次受業なり。かくのごとくの道理しらざるがごときは、行者おほく疑心をいだく。いまの闍夜多尊者の在家のときのごとし。もし鳩摩羅多尊者にあはずは、そのうたがひ、とけがたからん。行者もし思惟それ善なれば、惡すなはち滅す。それ惡思惟すれば、善すみやかに滅するなり。」(17)
- 「世尊言、
假令經百劫(假令百劫を經とも)、
所作業不亡(所作の業は亡ぜじ)。
因縁會遇時(因縁會遇せん時)、
果報還自受(果報還つて自ら受く)。
汝等當知、若純黒業得純黒異熟、若純白業得純白異熟、若黒白業得雜異熟。是故、應離純黒及黒白雜業、當勤修學純白之業(汝等當に知るべし、若し純黒業なれば純黒の異熟を得ん、若し純白業なれば純白の異熟を得ん、若し黒白業なれば雜の異熟を得ん。是の故に、應に純黒及び黒白の雜業を離るべし、當に純白の業を勤修學すべし)。
時諸大衆、聞佛説已、歡喜信受(時に諸の大衆、佛説を聞き已りて、歡喜信受しき)。
世尊のしめしましますがごときは、善惡の業つくりをはりぬれば、たとひ百千萬劫をふといふとも不亡なり。もし因縁にあへばかならず感得す。しかあれば、惡業は懺悔すれば滅す。また轉重輕受す。善業は隨喜すればいよいよ増長するなり。これを不亡といふなり。その報なきにはあらず。」(18)
(注)
- (1)「出家功徳」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、265頁。 @=心偏に貴(かい)。*=口偏に去(か)。 &=心偏の橋(きょう)
- (2)同上、279頁。
- (3)「出家功徳」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、280頁。
- (4)同上、288頁。@=目偏に侯(ご)
- (5)「出家功徳」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、289頁。
- (6)同上、292頁。@=草冠の瞻(せん)
- (7)「受戒」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、295頁。
- (8)「袈裟功徳」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、317頁。
- (9)「供養諸仏」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、361頁。
- (10)「帰依仏法僧宝」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、374頁。
- (11)「帰依仏法僧宝」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、375頁。 @=病垂に亞(あ)。
- (12)「帰依仏法僧宝」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、381頁。
- (13)「三時業」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、395頁。
- (14)「三時業」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、399頁。
- (15)「三時業」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、401頁。
- (16)同上、401頁。
- (17)「三時業」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、405頁。
- (18)「三時業」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、411頁。
[一つを取る説]目次
[捨てられた言葉]目次
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