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精神医学・禅・臨床仏教カウンセリング
現実否定から「うつ病」に
悩みからうつ病が
うつ病になると登校不能、出社不能、蒸発、はては、自殺などがになるおそれがある。うつ病になった人のうち、男性の場合、転職、転勤、地位の昇進、定年、失業など仕事と関連した出来事をきっかけとしている。女性の場合、転居、出産、配偶者の死亡、子供の結婚など家庭的な問題にまつわる出来事から起こっている。男女共通のものは、病気、事故、近親者の死亡などである。
なぜ、このような出来事から「うつ病」がおこるのだろうか。もう少し詳しく
検討してみよう。
引越しからうつに
引っ越しからうつ病になるケースがある。。夫の仕事の関係で家族とも、引っ越ししたが、奥さんがうつ病になってしまった。家にいることが多い奥さんにとっては、自宅周辺に係わる生活が非常に重要である。近所の知人、友達、趣味の会合など、すべて失われた。新しい土地で、友達ができない、趣味にも楽しめない、おまけに近所の人と仲良くしたいと思って近づいたら、慣れないことゆえ、うまくいかなかった、などがおこる。そうすると、毎日、あそこがよかった。こんなところは嫌だ(面白くない、つらい、不満だ、不安だ、など否定的思考)という思考の繰り返し。これが「うつ病」を招く。環境の不満、否定である。
単身赴任からうつに
引っ越し「うつ病」に似ていて、多いのが、単身赴任からビジネスマンが「う
つ病」になるケースである。単身赴任は、新しい職場と新しい土地に移ることで
ある。新しい職場での、仕事、人間関係がうまくいけばよいが、うまくいかない
と、また、「嫌だ」「嫌だ」という思考(それが嫌な感情、気分を起す)の繰り返しとなる。家に帰っても、単身赴任のため、家族がいないから、心がやすまらないから、「こんな生活は嫌だ」という思いがとれない。そうして「うつ病」になっていくのだろう。これも、環境の否定である。
昇進からうつに
意外なきっかけとしては、昇進した人がうつ病になるケースである。昇進は喜
ばしいことであり、当人も初めは喜んでいる。しかし、やがて変わる。昇進には、ストレスが伴う。責任が重くなって、上からの指示を受け、部下を動かして、業績を達成しなければならない。部下は思うように動いてくれないという不満が出てくる。うまくいっても相当なストレスがかかる。うまくいかなければなおさらストレスとなる。こんな時、よき家庭、趣味、スポーツ、なにかで、ストレスを発散できなければ、やがて、自己否定、その仕事への否定の思考を繰り返して、「うつ病」になる。
定年でうつ病に
もうひとつ意外なのが、働いていた人が定年などで仕事をやめたことをきっか
けとして、「うつ病」になる。それまでは、仕事に熱意をもって、取り組んでい
たのに、やめた時から、会社にとっては、不要な人間になったのである。それで
は、他に生きがいを求めなければならない。そんな人に、趣味か何かがあればよ
いが、何もないと、やはり、現実を否定する思考(嫌だ、面白くない、つらい、不満だ、不安だ、など否定的思考)が起こりやすい。仕事をしていなくても、その現実を受け入れればよいのだが、家族が「そんなに、テレビばかり見て。」「ごろごろしていないで。」「粗大ゴミ。」などといわんばかりの不快な家庭であったりすると危ない。またそんな不快な家庭でなくても、自分の気持ちが、「こんな暇な生活、退屈な生活は嫌だ。」と思うようになって、何も打開策をとらないと、「うつ病」になっていく。
現実肯定を
以上のように、現実の生活を受け入れ、肯定しない(環境の否定)ところに、「うつ病」のきっかけがある。現実を否定して、「嫌だ」(面白くない、つらい、不満だ、不安だ、など否定的思考)という思いを持っていると、陰性の感情のおおわれているから冷静な判断ができないから、建設的な対策を思いつかず、いよいよ、泥沼状況から抜け出られない。そこで、まず、現実を受け入れることが大切である。「嫌だ」という感情を頻繁に起こして、それにおおわれるようなことをせず、冷静に「変化」を考えたいならば、建設的なアイデアが生まれるはずである。「こころ」はひとつしかない。「嫌だ」という思いに占領された「こころ」には、冷静な解決策を生み出すことはできない。もし、冷静に考え、家族とも相談して、すぐに、解決策がない場合は、「嫌だ」という思考を超える工夫をして、時間の経過を待つべきである。
時が経てば、状況は変わる。
工夫とは、レジャー、趣味、スポーツ、種々ある。私は、坐禅も奨めたい。坐
禅は「こころ」の探求である。禅宗の坐禅は厳しくわけがわからないというならば、仏教心理療法ですすめる自己洞察法を行っていただきたい。俳句、能楽、絵画、詩歌、小説、哲学、精神医学への入り口でもあり、実に間口広く、奥行きが深い。
「うつ病」にかかった人が再発防止のために、医者からすすめられる生活や注
意事項は、すべて仏教心理療法に含まれている。
現実を肯定するといっても、もちろん、犯罪、社会悪、いじめ、差別観を是認するのではない。自分がうつ病などから治り、苦悩することから抜ける智慧をいっているのであって、他者を害することを是認するのではない。
仏教は、煩悩を捨てよというが、煩悩は、自分と他人の両方を苦しめるものである。他人をも苦しめないようにいうのが仏教であり、仏教心理療法である。偏見によって、仏教や仏教心理療法を否定しないでもらいたい。
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