もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー本来の仏教を考える会
臨床禅学
研究方法
(注)
仏教経典の教説をこれまでの研究者の研究成果を確認しているが、そのような教説、思想を学習するのが目的ではない。教義、教説には、経典の中でさえ、種々の解釈がある。
釈尊の仏教は、アビダルマ論書のような精緻なものではなかったはずである。文献研究、言葉の解釈だけの、学問的でもなかったはずである。現実の苦を解決する実践的なものだったはずである。最古の経典群、たとえば、「スッタニパータ」にみられるような素朴な実践による苦の現実解消を目標としたものだったはずである。
しかし、経典が編纂される頃には、実践から離れた学問的な思索が付加、増幅されたと考えられる。同じ教説、教義、思想について、種々の解釈が経典にある。第一の誤解、変節が起こりえる。そして、現代の研究者の主観による選択、解釈がある。第二の誤解、変節が起こりえる。
(A)=そこで、まず、これまでの研究では、仏典の言葉をどう解釈しているかを確認する。「これまでの研究成果の確認」である。
(B)=次に、人間の苦悩を現実に解決するには、現代では、どのような心の治療、鍛錬をしているのか、ということを、生理学、精神神経免疫学、精神医学、臨床心理学、などの科学的療法は、何がおこなわれているか。「現代科学の確認」である。
(C)=次に、「人はどうしたら、心の病気、種々の苦悩から解放されるか」という目標から、現代人の苦悩を解決する実践的な坐禅の方法は、どのように実施しているかを記述する。これは、「臨床的、実践的な仏教・禅」の方法である。(B)と(C)の類似性の考察により、現代人には、実際に貢献することを検証する。
(D)そして、(C)の「臨床的、実践的仏教・禅の方法」の眼から、仏教経典、禅の語録を読み直してみる。その時、仏典、語録の言葉を変えずして解釈しなおす(第一と第二の解釈を再検討する)ことができるかどうか検討する。仏典の大筋の言葉を変えずして、解釈だけを新しくできるか。すなわち、思想的ではなく、実践的、臨床的に解釈する。「臨床的仏教、禅による解釈」である。
このような方法で仏教や禅の文献を研究し、現代人の心の病気や種々の苦悩の解決に実際に貢献することを目標とすることを「臨床仏教学・臨床禅学」と呼ぶことにする。
臨床禅学