もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー本来の仏教を考える会
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臨床禅学
仏教学・禅学の批判
出息入息法=初期仏教
初期仏教経典の「念処経」の中の「循身観」の一部に、「出息入息法」が記載されている。
「念じて息を出す、念じて息を吸う」
「比丘達、いかにして比丘は身において身を随観して在るや。比丘達、ここに比丘、あるいは閑林に行き、あるいは樹下に行き、あるいは空閑処に行きて、結跏趺坐し、身を正直にし、面前に念を立てて在り。彼は念じて出息し、念じて入息す。あるいは長く出息し、「予は長く出息す」と知り、あるいは長く入息し、「予は長く入息す」と知る。あるいは短く出息し、「予は短く出息す」と知り、あるいは短く入息し、「予は短く入息す」と知る。あるいは「予は一切身を覚して出息せん」と修し、あるいは「予は一切身を覚して入息せん」と修す。又「予は身行を静止せしめて出息す」と修し、あるいは「予は身行を静止せしめて入息す」と修す。比丘達、あたかもたくみなる轆轤(ろくろ)工、あるいは轆轤工の弟子の、あるいは長く挽きて、「予は長く挽く」と知り、あるいは短く挽きて、「予は短く挽く」と知るがごとく、そのごとく、比丘あるいは長く出息して、「予は長く出息す」と知り・・・乃至・・・「予は身行を静止せしめて入息す」と修す。是のごとく内に身において身を随観し、外に身において身を随観し、内外に身において身を随観して在り。身において集法を随観し、身において滅法を随観し、身において集滅の法を随観して在り。「身は存す」との念彼に現われ、是のごとくしてそは慧に資し、思念に資す。彼は依止なくして住し、世間に執することなし。是のごとく比丘は身において身を随観して在り。」(1)
これに似た「数息観」「観息法」「随息観」などが現代でも用いられる。東邦大学医学部の有田秀穂教授によれば、こういう方法が、セロトニン神経を活性化させて、感情(仏教でいう貪瞋癡から起きる)のノル・アドレナリン神経を抑制するという。実際、この方法は薬を使わず、自分の心の鍛錬によりセロトニン神経を活性化させるので、「あがり」、「キレる」、うつ病、神経症などの「不安」や抑うつの感情を抑制する効果がありますので、数息観や複式呼吸法は、臨床仏教カウンセリングには必須です。
現代人の心の病気や、種々の苦悩にかかわりがある臨床仏教カウンセリングのモデル、手法が仏教経典に記載されていることを確認できます。
仏教は、現代と同じく、人々の種々の苦悩を解決しようとしたものであったのです。
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