第1部:苦の解決手法=仏教経典による検証

研究メモ1部 

八正道

 初期仏教では、苦の解決のための心理療法にあたるものを「八正道」という。この内容は、現代の認知行動療法に似ている。認知行動療法を実行すると、八正道と同じような内容を実行することになる。

八正道

 初期仏教の教説を研究した三枝充悳氏は、「正念」などの八支についての内容を、各経典から整理すると、次のようになるという。

正見

 戯論を離れるという修行の方針や、分別が二元観におちいるとして「思惟、分別」を離れることを仏教では重視するが、もちろん、すべての思惟を離れるわけではない。八正道の中に「正見」があり、教義の知的理解が必要とされる。

 「諦分別経」によれば、「正見」は次のとおりである。  「正見」は、苦の四聖諦を正しく理解することである。仏教の目標やその修行法を理解することである、

(注)

正思惟、正語、正業、正命

 「諦分別経」によれば、「正思惟」「正語」「正業」「正命」は次のとおりである。  四聖諦には、苦の起きる原因の分析が含まれている(そこには、十二縁起も含まれている)が、四聖諦を理解するという「正見」だけでは、現実には、実行されていないから、苦を解決しない。そこで、この正思惟、正語、正業、正命は、苦をもたらす「悪」を思わない、言葉を言わない、行為をしないという実践行にあたる。主に他者との関係において起きる苦をもたらす行為が多い。

二種の「正思惟」
 なお、正思惟には、2種あるという経典がある。悟りを得る前と後である。 (注)

正精進

 以上は、他者を苦しめることを思惟、発語、行為をしないという実践が主であるが、正精進は、さらに内面の実践を積極的に行うことが含まれる。
 正精進は、四種の努力であるが、「諦分別経」によれば、次のとおりである。  教義を思惟、理解するだけではなくて、心を常に観察して、悪を思わないよう勤め、善を思うように勤めることである。これは、他者と接するときばかりではなく、常なる実践である。学問研究とは異なる。悪と善を思惟、理解するのは限られた期間で習得できる。それを、常に実践しているのである。

正念

 中部経典「諦分別経」では、「八正道」のうちの「正念」を次のとおりとする。内容は「四念処」と同じである。  善悪ばかりではなく、自分の心の上でおきる法のすべてを観察している実践である。そして、貪愛と憂悩を調伏する。

正定

 「諦分別経」によれば、「正定」は、以上の修行の結果到達する四つの心の状態である(1)。  後世の「禅」でも、実際に行われているのは、正思惟、正語、正業、正精進、正念などに類似しているようである。禅を行じるというのは、正思惟、正語、正業、正精進、正念を実践することであり、その結果、心の状態(苦楽の受け止め方や、安楽にいる状況)が、四つの段階になるという。
 正定を除く他の修行をしていると、「四禅」に達する。ここに至り、ほとんど、苦を解決している。しかし、まだ、解脱ではない。

(注)
研究メモ1部 
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