仏教学の再検討
十二縁起説は修行の目標として初期段階に理解する
原始仏教経典において、縁起説は修行の初期の段階に、目標として理解するものであり、それを信じて修行して、解脱・成道するものであるというのがおおよそ、多くの研究者の一致する解釈である。
これは、現代人の苦悩を治癒する精神療法でも、同様のことが言われる。森田療法があるが、この治療方針を患者に説明する。一応、2時間程度の説明で患者は理解するが、それだけでは、神経症は治癒しない。長い期間の治療実践が必要である。認知行動療法という心理療法がある。自殺をすることもある「うつ病」の患者に、その病因論(固定観念や認知のゆがみをいうので、十二縁起と似ている)と治療方針(認知のゆがみを修正する実践が必要であると説明する)を説明する。患者は、その説明を理解する。だが、説明を聞いて、すぐ治癒するのではない。6カ月から1年の実践によって治癒する。
十二支縁起説を説明を理解しても、苦悩は解決しない。その実践が必要である。実践は、八正道である。仏教は縁起を思惟するだけという説は、こうした、人間の実際、苦悩の現実を知らない杜撰な説である。
(a)十二縁起説の位置
十二縁起説は一つの説明できる真理には違いないが、それだけでは、悟りでもなく、苦を解決することも、慢心、傲慢などを捨棄する無我を実践しているわけでもない。苦悩の原因と滅の目標を理解しただけで、慢心し、修行もしないのは、初期仏教の経典によれば、本格的仏教に入っていないことになるだろう。四聖諦でいえば、十二縁起説は、道聖諦を欠いている。十二縁起説は、人々を道聖諦に導く、苦諦、苦集諦、苦滅諦の部分に当たる。苦の滅道諦を欠いては、仏教の最も重要な部分=実践によって苦の滅を実現=を欠くことになる。
原始仏教経典での、縁起説の位置づけは、修行の初期の時期に理解されるものという解釈をする研究者が多い。
また、初期(原始)仏教の十二縁起説は、それが、釈尊の悟りの内容ではないという解釈をとる研究者も多い。
(b)西義雄氏
西義雄氏は、十二縁起説は、悟りを得ない者にでも理解できる教説である(1)が、禅定などの修行をしないと、無明を滅することはできないと明らかにされた。
十二支縁起説は、人の迷い、苦が、根源的には、「無明」から起こるものであるとして、その「無明」を滅すれば、迷い・苦から解放される、とする。無明を滅したのが、「明」であり、悟り、般若である。
西義雄氏は、十二支縁起説の各支を詳細に考察して、その十二支の構造から、「無明」は、分別・思量では滅することができないことになっている、とされた。
「この明は、縁起の縁由条件を尋求して来た上から見ても、決して縁起されたるもの為作されたるものとしての了別識によって得られるとは言ひ得ない。名色と相縁し相依相関相生相存の上に縁生した相対了別作用たる識がこの明を認得することは出来ぬ。」(2)
十二支縁起説は、苦を滅するには、(一部を省略)名色、識(了別、分別)、行、無明を滅すればよい、と教えるのである。西義雄は、「無明」を滅して、明、智、般若を得るには、了別意識を滅した自らの体験体得によると、初期仏教でも説いていると解釈された。
「行滅し識滅し名色滅す・・・の自修自證自得は、自ら亦、無修の修、無證の證、無得の得であり、本浄なる法爾の修證得、脱落の修證得であらねばならない。自ら修して而も無修・無證・無得であることも亦体験体得を要することは言ふ迄もない・・」(3)
明、般若を得るためには、戒定慧を必修とするのも、初期仏教の教説であることも西氏は考察された(4)。
縁起が経典に繰り返し説かれるが、その意義については、釈尊の諸説における法、すなわち、ダルマが、すべて順逆の縁起に関連し、縁起を内容とし縁起を根本とするものであることは明らかである(5)が、そのような縁起の理法は、人によって悟られない限り、具体的に働きださない、というのが、経典の趣旨であるとされた。
「然し斯る理法・真如性・真理としての縁性、真如性は、如来の出世不出世に拘わらぬ確定性、定則性と言はれる点に於いても明らかであるが如く、この「法」が、未だ機によりて悟認され現成されない限り、歴史として現成の作用を表すものでない。従って本来真如としての具体性がその具体性としての動きを現じていない。即ち法の具体性は、この「法」だけでは充分具現されていない、即ち機にさとられない限り、この法は真如性であり原理であり理法であると理解はされても、本来、真の具体的普遍としての真如・実相・実際・如実としての現成は、未だ現證されるに至っていないのである。」(6)
- (1)西義雄「原始仏教に於ける般若の研究」大東出版社、昭和53年改訂版、194頁。
- (2)同上、466頁。166頁も同じ趣旨。
- (3)同上、467頁。
- (4)同上、164,296頁。
- (5)同上、449頁。
- (6)同上、451頁。
(c)森章司氏
十二縁起を聞いて得るのは、遠塵離垢して法眼浄を得るが、預流果である(1)。聖者といっても、浅い段階である。
また、縁起説は、法の自性を前提としており、迷いの世界を説明するものである。悟りの世界は、縁滅である。縁起を超克するものである。(2)
智慧は思惟の結果得られるものではなく、「あるがまま」の姿を「あるがまま」に見る働きであるが故であろう(3)。
研究者が仏教は縁起の理法(相依縁起)を悟ると考えることが多いが、「これあれば彼あり」の縁起句も、十二縁起と同じことである(4)。これを理解することも、最終の悟りではない。
十二支縁起説の順観と逆観は、四諦説の集諦と滅諦にあてる経典がある(5)。
- (1)森章司「原始仏教から阿毘達磨への仏教教理の研究」東京堂出版、1995年、532頁。大正2巻、86c,67a,97b。
- (2)同上、587頁。
- (3)同上、536頁。
- (4)同上、499,511,514頁。
- (5)同上、524頁。
(d)三枝充悳氏
十二支縁起説は、釈尊の教説ではなくて、その後にできた教説。釈尊の成道も、説法、指導も十二支縁起なくして可能だった。仏教といえば、十二支縁起という研究者の態度を厳しく批判。(1)
三枝充悳氏は、十二因縁説は、「苦の考察」だとする。すなわち、四聖諦でいえば、苦諦(および)苦集諦にあたるとする。
「十二因縁説は、老死・苦というその苦の考察が出発点であった。ここには一語で苦と称してきたが、資料ではしばしば憂・悲・苦・悩・悶となっている。すなわち、苦をいったん憂・悲・苦・悩・悶と細かく分析し、さらに多くは「全」または「淳」などを伴いつつ「苦蘊」(苦の集まり)という語を加えて、いわば綜合し、それを始元ないし根源としてスタートを切り、老死、生・・・と進んで行った。いいかえれば、十二因縁説は、[先の記述を併せれば縁起説全体が]当時における一種の「苦の考察」にほかならない。」(2)
三枝氏は、十二因縁説の逆観は、仏教の目標であるとする。すなわち、十二因縁説の逆観は、苦滅諦であるという。
「順観のあとに逆観が付随しているのは、この苦の滅ということが、初期仏教徒の目標であったからにほかならない。[のちに形式上「無明ー老死」の十二因縁説は「苦」を省略するようになった]。」(3)
目標がわかっても、それだけでは、苦滅を実現できない。どういう方法で目標に到達すると仏典ではいうのか。逆観を思惟するだけで目標を実現できるとは、仏典は言っていないというのが三枝氏はじめ、多くの研究者の解釈である。
三枝氏は、初期仏教での根本教説は、四諦説、八正道(さらに初期は、その原型)であったという。四諦は「道諦」がないと完結しない。「道諦」の実践・修行が必要であるというのが初期仏教の主張であり、実際に実践されたはずだと言う。
- (1)三枝充悳「初期仏教の思想」東洋哲学研究所、1978年、472、478、580頁。
三枝充悳「縁起の思想」法蔵館、二〇〇〇年。
- (2)三枝充悳「初期仏教の思想」(下)レグルス文庫、第三文明社、1995年、731頁。( )のパーリ語の説明を省略した。
- (3)同上、732頁。
(e)水野弘元氏
水野弘元氏
因果(縁起)の理解は、最初(初歩)の悟りであり、それから本格的に修行して、最後の悟りを得るのであると確認された。すなわち、縁起の理解は、初歩にすぎないのである。これのみを仏教の条件とし、縁起思想からだけで仏教である、仏教ではないとする説は、全くの誤解である。
水野氏の研究によれば、次のとおりである。
- 縁起(因果)を理解すると、最初の聖者、須陀ゴン(恒のサンズイ)と呼ばれた。縁起を理解する智慧を「遠塵離垢の法眼」という。これを述べた経典は極めて多い。(1)
- 「因果の道理は正しい仏教に入るための予備的条件として必要であるとされた。」(2)
- その後、修行して、一切の惑が断じられて、最後の悟りが得られる。これが阿羅漢である。無明が断じられるのは、阿羅漢である。(3)
- このような最初の悟り(といっても、縁起を理で理解するのである。修行しないでも聞くだけで理解する悟りである。もちろん、真の悟り、解脱、無生法忍ではない)、と最後の悟りの二段階ある例をあげている。最初の五人の弟子のうちの一人、キョウ(橋のりっしんべん)陳如の場合(4)、耶舎の場合(5)、舎利弗の場合(6)を、経典を引いて、確認された。(4)
- 後世に、三転の説に整理され、縁起を理解することを「示転」、最後の悟りを「証転」と呼んだ。(7)
また、本格的な修行に、さらに、より高度の修行にかりたてるために、対機説法された言葉尻や動作による説示(中国禅に多い)をとらえて、仏教ではない、と断じるのも正しくないであろう。言葉も動作も、様々な方便で、最後の悟り、慈悲行へと導く方便である。大切なのは、思想の理解ではなく、目標とする悟り(証転)を得ること、さらに、それを教えて苦悩を解消させる慈悲行であろう。
(注)
- (1)水野弘元「仏教教理研究」(著作選集第二)、春秋社、1997年、105頁、146頁。たとえば、「南伝大蔵経」14、107頁。大正、2巻、106c。
- (2)水野弘元氏、同上、111頁。
- (3)同上、115頁。
- (4)同上、119頁、南伝3、21頁(最初の悟り)。26頁(最後の悟り)。
- (5)同上、120頁、南伝3、28頁(最初の悟り)。30頁(最後の悟り)。
- (5)同上、122頁、南伝3、73頁(最初の悟り)。南伝10、338頁(最後の悟り)。
- (7)同上、122頁。三転の説については、平川彰「法と縁起」(春秋社、1997年、253頁)に詳しい。
(f)田中教照氏
田中教照氏は、修行道から論証された。「中部経典」中の、「大四十経」について検討し、修行で、縁起(因果)の理解は最初(初歩)とされた。
- (A)八正道のうち、「正定」(これは、私は、後世の坐禅に類似すると思う。それは、別に研究すべき課題)が中心である。他の七つは、「正定」の補助である。(1)
- (B)「八正道」のうち、正見、正思惟、正語とすすんで正定に至り、さらに正智慧・正解脱へと完成される、という。(2)
この(B)によれば、正見、正思惟が、因果(縁起)を正しく思惟、理解することが含まれているだろう。縁起観が修行道の中に説かれることもあるが、修行の始めにおかれている(3)。
最終的に重要な修行は、正定である。解脱は、その後に位置する。とにかく、思惟、理解などは、前半にある。
すなわち、現代の曹洞宗の指導者が、苦悩する人には、まず、坐禅させて苦の起こる様子を自己の上に見させて、苦の現実の様相を実践的に理解させることは、因果を現実に自己の上で確認していて、正思惟、正見にあたるであろう。やがて、そのことに納得いくようになると、もう、一々、苦の起こる様子を見ることをする必要がなくなり、苦悩と感受していた事実が苦悩と感じられなくなる。たとえば、ガンであると宣告されて苦悶した人が、ガン、死を思考せず今なすことをなして、ガンであることに苦悶しなくなる。ガンが治らずに、ガンの「苦悶」からは離れる、のが例である。
「事実」から「苦受」への心の動き(因果を観る=考えるのではない、自己の心に起こる様子を観るのである)を何度か観て決定すると、もう観、確認することをやめて、主として「定」を中心として実践するようになる。道元が、「念想観の測量をやめ」というのが、定の方法にあたるであろう。しかも、それは、数息観ではなく、只管打坐である。道元は、何でも初歩のことを言わず、高度な最後のものをいう傾向がある。正法眼蔵を読むものが、その部分(初心向け)だけを読んで途中でとどまるおそれがあるのを避けたいのであろう。坐禅法でも、たいていの指導者は、数息観、随息観、只管打坐と進むのも初心者を導く方便として用いるが、道元は、数息観を言わず、只管打坐という高度の坐禅法を言う。只管打坐は、悟道の後も修される。釈尊も弟子と共に、成道の後も、禅定と経行をされたが、その禅定は、只管打坐であろう。解脱した釈尊が、浅い段階の修行法を修するとは考えられない。只管打坐は、終始、修行できるから、道元は、これをすすめたと思われる。だが、原始仏教教団では、只管打坐の禅定をすぐできない者には、そこに導くために、他の修行法(八正道など)も採用したのであろう。修行法については、別に検討する。
(注)
- (1)田中教照「初期仏教の修行道論」山喜房佛書林、平成5年、116頁、122頁。
- (2)同上、122頁。
- (3)同上、168頁。「舎利弗阿毘曇論」の場合。
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