第2部 慈悲行=他者の苦悩のカウンセリング

 

無住処涅槃=唯識説

 十二縁起説だけが仏教ではない、坐禅だけが道元ではない、信だけが道元ではない、悟りだけが道元ではなく、白隠ではない。
 中国の禅僧を道元は批判することが多い。なぜか。
 白隠は、仏にならず地獄へ行くという。なぜか。
 道元や白隠の仏道を理解するための手がかりになる一つが、大乗仏教の「無住処涅槃」である。

無住処涅槃=唯識説

 大乗仏教は、般若経でも、唯識(ゆいしき)でも、自利(自分の喜びで満足する)をとって修行を終わりとせず、利他行を実践することを強調した。その一つが「無住処涅槃」(むじゅうしょねはん)である。

 唯識は修行実践を重視した大乗仏教の一派の教説である。唯識の無住処涅槃について、深浦正文氏は、唯識説では「涅槃」に四種あるという。本来自性清浄涅槃、有餘依涅槃、無餘依涅槃、無住処涅槃である。第四の無住処涅槃は、こういう。  竹村牧男氏は、『摂大乗論』を引用して、こういう。  このように、大乗仏教は、無住処涅槃を主張したのだから、利他をしないで、自分の好きなところにとどまってはいけないという。
 我への執著にも、縁起思想や唯識説の理解などの「分別」にもとどまらない。生死か悟りの二辺にも留まらない。坐禅が悟りだというところにも留まらない。自分の煩悩障を断てば完成だということにも留まらない。悟って自分は全く煩悩障も苦もなくなったというところにも留まらない。
 どこにも留まらないで利他行に働く。
 早い段階のところに喜び(さとりだと勘違いする)を見出して、そこにとどまる者がいた。それは誤りだというのが、大乗仏教の無住処涅槃であった。

(注)
(臨床的な禅、すなわち、禅の実践指導)
 このように、大乗仏教は、無住処涅槃を主張したのだから、利他をしないで、自分の好きなところにとどまってはいけないという。縁起思想や唯識説の理解などにも、坐禅が悟りだと信じて自分たちだけの坐禅をして利他をしないこともいけない、ということになる。中国や日本の禅僧の中には、早い段階のところに喜び(さとりだと勘違いする)を見出して、そこにとどまる者がいた。それは誤りだというのが、大乗仏教、道元禅師、白隠禅師である。だから、道元禅師にも白隠禅師にも、他の禅僧への厳しい批判の言葉があるのである。「悟り」がない、といっているのではない。浅いところで自分の喜びを取り、苦悩する人々を見捨てて利他行をしないから、出家を批判するのである。在家は、また、別である。利他の専門家ではない。在家には、家庭や治世産業がある。そこで活かしていく。
 そうすると、現代でも、種々の苦悩する人がいるのだから、その苦悩に応じた指導をしなければならない。そうでないと、大乗仏教、道元禅師、白隠禅師から批判される。学者が知識を教えるのと違って、禅の実践指導は臨床的な治療の現場であるので、独特の難しさがある。だから修行が終ったとは、喜んではいられない。救済のための工夫が求められる。修行、勉学が必要となる。無住処涅槃である。
(十二縁起のみが仏教という説)
 無住処涅槃の教説から、縁起説の理解でわかったというのは、初歩の初歩であることになる。わかったというのならば、それを用いて、利他を行なっていかなければならない。これまでの学問にも偏見はあっただろう(佐橋法龍氏がいうような信におちた宗学が一例)が、十二縁起のみが正しい仏教というのは、いかにも初歩的な偏見であろう。十二縁起は、釈尊よりも、少し後に整理された教説であるというのが、初期仏教の領域の研究者の常識であろう。釈尊は、十二縁起ではなくて、ほかのもので、利他を行ったのである。十二縁起のみが「正しい仏教」であるというのは、これまでの学問の積み重ねを、無視した偏見であろう。
(坐禅は仏教ではないという説)
 初期仏教では、苦の解決への道への理解は、十二縁起で説明するのもあるが、実際に苦を解決する心理療法にあたるものとしては「八正道」とされている。それには、正念や正定が含まれている。初期仏教では、これが重視されていたというのが、学界の定説である。坐禅は仏教ではないということを論理で否定してもあたらない。修行は論理ではない。現代の心の病気も、論理の理解だけで治るのではない。理解するだけで治る浅い苦悩もある(たとえば、父があの態度を取ったから長く憎んでいあっという対人苦悩。実は、父があのあ態度を取ったのは、こういうわけがあったのだとあとで知らされ理解した、ような。)が、理解しても実行しなければ治らないもの(神経症、うつ病の一部、理由がわからない憎しみ、人間関係の苦悩、理由をいわれても解決しない対人葛藤などの苦しみ、など)が多い。実践、踏み出し、行為が必要である。
 道元禅師、白隠禅師、現代の坐禅にも、正念や正定の要素が含まれている。坐禅が仏教ではない、というのも、先入見があるためであろう。
 
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