第2部 慈悲行=他者の苦悩のカウンセリング
教義の思索だけ、坐禅だけの僧侶批判=大乗からの批判
部派仏教教団が、自分たちだけこもって坐禅修行したり、教義の研究に専念して、在家の苦悩する人々への救済(慈悲)することを忘却したので、初期の大乗仏教をになった人々が、それを批判して慈悲を強調した。
医者やカウンセラーのように、心の勉強をしているのに、他者のカウンセリングを行わない状況に相当する。社会からお布施をもらって生きているのに、社会にはお返しをしないのかという当然の批判が大乗なのである。組織内の自分たちだけの生活維持になっていた。現代の宗教や学問が似た状況になっている。僧侶や仏教研究者がおこなわず、臨床心理士などのカウンセラーが有料で行っている部分が、仏教の目標とした領域と重なる。
部派仏教教団は人々の救済を忘れて研究に没頭した
静谷正雄氏は、大乗仏教が起こった背景を次のとおり説明している。
「在来の「菩薩乗」に代わって新しく「大乗」が生まれてきた理由として、まず第一に、部派仏教のあり方に対する強い不満があげられる。紀元後一世紀になると、部派教団の比丘たちは、その所属する部派の僧院内に定住し、豊かな寄付財産に支えられて、仏典の注釈的研究に専念するようになった。彼らは世俗社会から分離した僧院内で、その生活環境にふさわしい遁世的な声聞道の体系樹立に没頭した。もちろん、部派教団といえども世俗信者への教化を軽視したわけではなかったし、在家信者に大きな影響力をもつ部派の高僧もいた。そうでなくては僧院の建立も、僧院への豊かな寄進も、生まれてこなかったはずである。しかし、全般的にいえば、彼らは世俗社会の利福に対する積極的な関心と行動を欠いていた。彼らはますます精密となった教義の研究と声聞道の修習に追われ、自己自身の解脱だけを第一にして、他の人々を利益する態度を忘却したのである。
このような部派仏教のあり方は、「菩薩乗」、いいかえれば「原始大乗」の人々に強い不満をおこさせた。しかも部派仏教は、古い伝統をもつ正統の仏教として社会的にも認められ、ますます発展する傾向にある。部派仏教を学んだ出家者のなかで、「原始大乗」に転向した人もあったと思うが、大多数の部派仏教者は「原始大乗」の立場を全く無視するか、冷笑するかであった。そこで「原始大乗」の人々の中から、部派仏教を批判する動きが現れた。彼らは利他を忘れた部派仏教の利己的・遁世的態度を非難し、声聞・縁覚の二乗を求めるべきではない、と主張した。」(1)
(注)
- (1)静谷正雄「初期大乗仏教の成立過程」百華社、昭和49年、291頁。
インドの部派仏教(小乗)教団は、研究に専念して、苦悩する世間の人々を忘却した。日本では、道元禅師の時代の伝統仏教教団は、寺院内での教学研究か、修行に専念するのみで、一般民衆に接触せず、貴族と接触するのみであった。そういう状況を批判して、「利他・慈悲の強調」をしたのが、インド大乗であり、道元禅師であった。
今の仏教学者も、研究に専念して、苦悩する世間の人々を忘却しているといえなくもない。その学者が、慈悲(カウンセリングである)を否定するのだから、迷いが深い。日本の精神的、社会的問題が解決するはずがない。仏教や禅が担当していた領域では、世間の人々を臨床的に救済援助(慈悲)しているのは、カウンセラーや精神科医である。そしてごく一部の僧侶である。仏教学者は、研究のみである。個別的・臨床的救済は全くしていない。そういうあり方を否定したのが、大乗や道元の利他・慈悲の強調だった。
(5/25/2003、大田)
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