もう一つの仏教学・禅学

新大乗ー本来の仏教を考える会

    

推薦図書

『セロトニン欠乏脳』NHK出版

有田秀穂氏(東洋大学教授)、2003年。

キレる脳・うつの脳をきたえ直す

 本書のカバーには、次のとおり紹介されている。  「リズム運動」の一つが、坐禅や腹式呼吸法とされる。坐禅が、セロトニン神経を活性化させて、うつ病やパニック障害などを治癒させる効果がある。これについて、埼玉メンタル・カウンセリング協会・図書館のHPの記事で、ご紹介している。  これは、坐禅を実践する人々、禅僧にとっても、仏教学者にとっても必読の著書でしょう。坐禅が感情の抑制、心の病気の治癒に効果があることを生理学から明らかにしています。苦悩の解決に大きな効果があるわけです。感情を抑制できないと、うつ病や神経症、種々の心身症などの苦悩に陥る。感情を抑制せずに、はけぐちを他者に向けると、他者を苦しめる。感情、心の病気などは、仏教でいう、苦の原因でもあり、苦そのものでした。苦を解決することが仏教でした。坐禅すると、セロトニン神経が活性化され、感情が抑制され、苦悩が軽減、治癒する。仏教で坐禅が重視されたことの意義が生理学から検証されたのです。
 「坐禅は仏教ではない」「目的のない坐禅」という学説が、学者自身の好き嫌いを主張しているにすぎない偏見(学問とはいえないであろう)である可能性がますます高くなりました。
 高い立場の人のエゴイズム(感情、貪欲により他者を苦しめることがすさまじい)と、弱い立場の人の心の病気、自殺が多い日本において、坐禅がますます貢献する必要があることが本書によって明白になりました。学校教育で、宗教色のない坐禅(欧米の利用の仕方とか、埼玉メンタル・カウンセリング協会の「自己洞察瞑想療法」のような)をとりいれて、社会問題に貢献してほしいと思います。
 しかし、日本では相当の困難があります。坐禅のこのような力を仏教学、禅学は明らかにしていません。坐禅の実践が、仏教学者、禅学者からの理解、支援がないような現状ですから、本書の存在を広く知ってもらうことが大切です。おりにふれ、この研究成果を紹介したいと思います。

 なお、本書の内容で、実践的に重要な注意点があります。
 ここには、簡単にふれておきます。(1)坐禅には種々の坐禅があり、「只管打坐」は、腹式呼吸法のようなリズム運動ではない、(2)坐禅には、「智慧」(固定観念や認知のゆがみを修正する実践的智慧。つまり、認知行動療法に似た手法)が併習される、という2点にあります。(注1)
リズム運動ではない坐禅もある
 只管打坐は、リズム運動(腹式呼吸法)ではありませんので、30分以上やっても、必ずしも疲れません。禅を行う人は、相当長い坐禅をしていますが、疲れないないようです。腹筋を使わない坐禅をしているようです。「只管打坐」もそれほど疲れません。しかし、只管打坐は、リズム運動ではないが、有田教授のご指摘になっている「受け流し」の効果はあります。やはり、セロトニン神経には影響しているようです。また、次の点も考慮する点です。
 たとえば、禅宗教団では坐禅はあまり明るくならない夜明けに行うことが多いのです。では、多くの在家坐禅会が明るくなった時刻に行われることが多いようです(在家の生活スタイルからその時間帯が便利なのでしょう)が、そのような坐禅は効果がないでしょうか。そんなことはないようです。その時間帯で坐禅しても、心の病気が治癒しています。リズム運動ではないが、セロトニン神経に影響する坐禅の工夫がありそうです。そういうのも有田教授の説明にあります。他のリズム運動(ジョギング、エアロビクス、ガムをかむ、など)も明るいところで行う場合が多く、それでも効果があるのでしょう。
坐禅では中道の智慧も習う
 坐禅(瞑想)や腹式呼吸法は、キリスト教にもあり、カルト宗教にもあるでしょう。しかし、伝統仏教の坐禅は、リズム運動だけではありません。リズム運動ではない「只管打坐」もあり、「智慧」を修習します。安藤治氏が紹介しているように、インドの初期仏教、大乗仏教、道元禅師などが、さらに欧米で明らかにしてきたような、自己の洞察、自覚されなかった固定観念や認知のゆがみ(煩悩などの中にある)などの自覚化など、心の真相を学ぶという「中道の智慧」の側面が禅では重要です。リズム運動だけではないものが仏教のある種の禅にはあります。これは明るいところ(たとえば他者と会話する時)でも実習するものです。
 また、智慧がないと、坐禅や腹式呼吸法によって付随して起きる幻覚らしきものを「宗教的に高い境地」とみなすような愚(禅からは「魔境」といって捨てるもの)を犯してしまったり、心の病気を悪化させたりする弊害があるでしょう。そういうものは、実は、問題を解決していませんので、外部の社会では通用しないため、その指導者に依存する心理が生まれてしまう危険性があります。
 有田教授は、坐禅や腹式呼吸法を「リズム運動」という観点から研究されておられますが、リズム運動としての坐禅は、仏教が苦を解決するために「戒・定・慧」の三学といわれた修行のうちの「定」の一部です。(仏教の)禅には、種々の禅があり、さらに「戒」と「慧」がありますが、特に「慧」(中道の智慧=固定観念、認知のゆがみに相当する我見、見取見などの修正の智慧も含まれている)が、苦悩からの克服に強い効力を発揮します。指導者ではなく、自分の「慧」が、戒・定を指令(セルフ・モニタリング)し、定(坐禅)が「慧」を確認します。だから、単なるリズム運動だけの腹式呼吸法よりも、カウンセリングの(中道の)智慧が入った禅(現在の日本の禅は見捨てた)は、さらに強力な「治癒」の力があるのだと思います。だから、リズム運動の観点に、さらに仏教の中道の智慧を加えて行う坐禅が、心の病気の改善には効力を発揮するでしょう。
 この「智慧」は、有田教授のほ研究に関係がありそうです。有田教授は、セロトニン神経は、前頭前野(衝動に関係)にも軸策を伸ばして連絡しており、感情脳を抑制すると言っておられます。さらに大脳皮質(思考に関係)にも、軸策を伸ばしているそうです。これは、もはやガム噛みやジョギングなどのリズム運動とは異なることでしょう。禅の中道の「智慧」の方面でしょう。初期仏教、大乗仏教、道元禅師など、智慧とともに修習される禅定が効果が大きいと言っていることと関係しているでしょう。単なるリズム運動だけの坐禅・腹式呼吸法と、智慧を併習する坐禅とで、セロトニン神経への影響や、心の病気の治癒率に差異が生じるのか、有田教授のさらなる研究がすすむことを切望します。
 もし、あかるくなってからの坐禅では効果が薄いとなれば、明るい時に実践する中道の智慧を帯びた坐禅を道場で(自分一人では、智慧は学べない)しっかり学び、自宅では、日光の刺激のない時刻、場所で、智慧とリズム運動の二つを取り入れたような坐禅をすれば、セロトニン神経を活性化させる坐禅ができるでしょう。とにかく、正しい坐禅法(智慧も修習すべきです)を修得して、自宅でも毎日実践しなければ、効果がないわけです。有田教授は、リズム運動ならば、毎日30分といっておられます。
 いずれにしろ、坐禅は、セロトニン神経を活性化して、感情や衝動を抑制して、自他を苦しめない叡智を会得し、自分や他者を苦しめることを少なくする力があることを有田教授が生理学から明らかにしたことは画期的なことです。仏教や禅の学問の文字中心、思想中心であることを反省してほしいものです。




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