もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー本来の仏教を考える会
禅と文学
夏目漱石
思想と実践・事実との相違矛盾を批判
思想と実践・事実との相違矛盾を批判
漱石は、不誠実な「くろうと」を批判する。批判の言葉が小説や評論の中に頻繁に出てくる。衆を頼む輩の批判である。これらは現代日本の状況にもそのまま当てはまる批判であろう。
『私の個人主義』では、他人本位を批判した。非人格者が金力、権力、個性を使うことを警戒している。「いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もなし、又金力を使う価値もない」との言葉は最近の新興宗教の危険さを指摘するにあまりある。
そのような漱石に対して、相手は集団で向かってくる。漱石は、衆を頼む輩を批判する。そのような輩の集まる組織での、栄進を捨てた。悪評家の批評は眼中におかぬ。文学者は美的な文字だけではだめだ。「死ぬか生きるか、命のやりとりをするような維新の志士のごとき烈しい精神で文学をやってみたい。」
大学は「お屋敷風、お大名風、お役人風」である。(以上漱石の『書簡』より抜粋して構成)
三十一歳の時、『不言の言』で「天下恥ずべき事多し。道を得ずして道を得たるがごとくす。もっとも恥ずべし。道を得て熟せず。みだりにこれを人に授く。次に恥づべし。」
このように漱石は自分自身の血となり肉となっていないただの知識をひけらかして偉いと思っているインテリや集団でしか意見を言えない主義、イズミに浮かれて、自分自身の生き方ができない徒党を嫌悪した。
我が道を行く
漱石はそのような社会風潮には染まらず、一人「我が道を行く」(世間の風潮とか権力から超越」)決心をした。総理大臣からの晩餐会への招きを断り、大学を辞職し、文部省が博士号を授与するというのを辞退した。「ただの夏目なにがし」として生きていくというのであった。
「世評は気にしない」という言葉は、漱石が知人あて書いた多くの書簡にある。 「自己本位というその時得た私の考えは依然として続いて」 いると、四十七歳の時、『私の個人主義』という講演で述べている。漱石の文学作品への態度は、「自分はすべて文壇に濫用される空虚な流行語をかりて自分の作物の商標としたくない。ただ自分らしいものが書きたいだけである。」(『彼岸過迄』序文)
というものであった。
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