もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー本来の仏教を考える会
禅と文学
志賀直哉
志賀直哉の評価
否定的
志賀直哉を絶賛する人と高く評価しない人に分かれる。中村光夫や野口富士男は直哉を評価しない。中村光夫は、志賀直哉を「伊勢屋の店先に飾られた神棚」と揶揄した。(C127)
「人間の肉体が美しいのは青春時代だけであるように志賀文学の美しさも、それが作者の青年期、あるいはその若さの名残りがのこっている間だけのことであり、彼の老境にはただ若さの燃えのこりしかないことが「祖父」では残酷なほどはっきり示されています。」(中村光夫、C108)
「そして「万暦赤絵」以後の志賀直哉の作品は、それまでの彼の制作にくらべれば、隠居仕事にすぎません。」 (中村光夫、C117)
「伯耆大山に登った謙作が自然の中へ溶解していったところに、その後の志賀直哉の文学活動の閉塞があった」 (野口富士男、C222)
高く評価
しかし、概して志賀文学を高く評価する人が多い。大江健三郎は、十八歳で『暗夜行路』を読んだ時には、大山体験を承服できなかった。そこで、彼は、人生体験が浅いせいであろうと思って、年齢が作者と同じになるころ再読しようと思った。五十歳近くに再読してわかったという。志賀文学は大人の文学であろう。
「十八歳の僕は、大山での謙作の最終的な観照に承服できないところがあった。しかもなお、うろおぼえのラテン語の成句を、いかにもこの小説の作者に似つかわしく感じ、そしてなぜそうであるのかわからないのでもあったのである。そこで僕は、ついに自分はこの小説を理解すること浅いし、それを深めるためにはなにより年齢が重要だ、と観念して受験勉強の穴ぐらにまい戻ったのであったろう」(大江健三郎、C255)
「さて二十年をへだてて再読して、なぜこの小説の作者が「人間」を代表していると感じられるのか、ということが端的にわかったように思う。」(大江健三郎、C256)
三木利英氏も、人間の救いということが理解されず、志賀直哉を低く評価してきたことに驚いている。
「ところが、これまでに公刊された解説書を読んで驚いたことは、この作品に対する賛否両論が非常に極端で、しかもそのいずれもが直哉のねらった的を、全く外れているということである。これでは、二十年余りにわたってこの大作を書いた彼の苦心が、少しも報われないと感じた。批評家たちは、果たして蓮浄院から阿弥陀堂への山道を、独りで歩いたことがあるのだろうかといぶかった。」(三木利英氏、I261)
志賀直哉を否定する批評家は、直哉が言ったような伏線をよく理解して批評しているのではない。若い頃の自我ばかり強い批評家ならば、人間の一面しか理解しないことが多い。軽率な批評家は、他の円熟した批評家から逆に批評される。良いものを悪いと評価する人がどこの世界にもある。川端康成も、評論家から理解されていない、と自分で言っていた。書かれた文字から作者の意図を理解するのは相当難しいようだ。
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