もう一つの仏教学・禅学

新大乗ー本来の仏教を考える会

   
禅と文学

志賀直哉

志賀直哉の言葉

 今は、『暗夜行路』しか、とりあげていませんが、ほかにも珠玉の言葉が数多くあります。彼の小説には彼自身が、見たり考えたりしたことが書いてあります。生きる上で参考になる彼の考えを、少しご紹介しましょう。

自己を超えるものを信じる

「私は昔、禅をやっていた叔父から盲亀浮木という言葉に就いて聴いた事があるが、これは単に盲亀が浮木にめぐり合ったというだけの事ではなく、百年に一度しか海面に首を出さないという盲亀が西に東に、南に北に大洋を漂っている浮木を求めて、百年目に海面に首を出したら、浮木に一つしかない穴の所から首を出したという、あり得べからざる事の実現する寓話だというのだ。
 クマの場合は現世で起った最もそれに近い場合だったような気がする。私には何十年か前に愛読したメーテルリンクの「智慧と運命」という本に書かれている運命の善意という考えも想い浮かんだが、仮りに偶然としても只偶然だけではなく、それに何かの力の加わったものである事は確かだと思うのだ。然し、私の耄碌(もうろく)した頭では、その何かとは一体なんだろうと思うだけで、それ以上はもう考えられない。」
(志賀直哉の小説『盲亀浮木』M304)

 直哉は、若い頃は、自分の意志ではおさえられないで、犯罪にすすんでいく恐ろしさ、夢や直感で将来起こることを知ってしまうことのあることを体験して、人間には何か自分(人間)の意志を超えたものの力が働いていることを実感していた。
 八十歳の時の作品『盲亀浮木』という小説では、人知では説明できないようなことが実際に起こっている実例(直哉が実際に体験した)を紹介して、確かに何か人智を超えた力が働いていると、直哉は思っている。「その何かとは一体なんだろう」という直哉。人間を超えたものが働いている、ということは直哉の生涯を通じて探求したものであった。その何かが自己と一つであることを自覚するのが禅と言えよう。しかし、直哉が若い頃感じていた「何か」と、禅でいう「自我を超えたもの」は全く違うのであるが。

後悔なし

「古い作品の中には気に入らぬものもある。しかし、書いた時は精いっぱいだったという意味で、後悔はない」  (直哉の言葉、A426)

 後悔するというのは、自分にはその時、別なことができたはずだ、別な力があったかもしれないという自己の力への奢りが潜んでいないか。志賀直哉は、自分の力が小さいことを自覚している。ただ、その時、できるだけ精いっぱいやっていく。その時、そうすることが精一杯なのだ。後悔はしない。ただ、すまないことをしたな、傷つけたようですまないな、という懴悔(ざんげ)の気持はしばしば起きる。そんな私を、責めるならば、責めて欲しい、去りたいなら去ってもしかたがない。自分は、そんなことしかできない小さな自分だから。ただ、私自身が小さいことを知っていて、ほかの人も、絶対者でなく小さいものかもしれないと思うから、悪いことをされたような場合でも、後まで人を憎まない。許す許さない(そういうことができるほど偉くない)ということなく、忘れてしまう。短い人生だから、小さなことを後々まで、考えて悩んで恨んでいるなんて、もったいない。大切な生命が失われていく。

名を残さない

「後世の人に、愛されて読みつがれる作品が一つでも二つでもあれば、たとい作者の名が僕だと分っていなくたって、それでいいよ」(直哉の言葉、A405)

 志賀直哉は、自分の作品に、自分の名をかぶせなくてよい、という。直哉には、威張る、自分の名声をあげるという虚飾、虚栄心がない。こういうところが「無我」に通じる。自分の名を残そうとして醜い運動をする人がある。そうした人で、どれほど名が残っているか。名が残るとはどういうことだろうか。文化勲章をもらったところで、孫の代くらいになるともう忘れさられる。後世に、名を残すのではなく、ただ、今自分のするべきことをしてけばよいのではなかろうか。そう直哉が言っている。

絶対者は形なきもの

「此の年、直哉は内村鑑三のもとを去って足かけ五十年目、その五十年間に、普通ならもう一度信仰にすがりたくなっても不思議でないような体験を、何度か重ねて来た。しかし自分の場合は、東洋の古美術にしたしむこと、自然にしたしむこと、動植物に近づきしたしむことで不安焦燥から遁(のが)れ、心の平安を得ることが出来たと言っている。結局は、無神論者としての一生だったと評していいのであろう。
 だから、作家志賀直哉の正面切って神を論じた文章などというものは無きに等しいのだが、一つ、珍しい言葉が、昭和十二年の随筆「青臭帖」の中に見出せる。
 「神は人類発生の遥か以前より、そして人類滅亡の遥か以後までの存在なり。 人類の存在は神の存在に較ぶれば一弾指の間なり。
神といふものを人間の形で考える事は愚な事なり。
形を与へれば限定され、小さなものになる。神を茫漠たる形でならば自分にも考える事が出来る」
「青臭帖」は、久米正雄に「志賀さんの言うことは青臭い」と言われてつけた題名であるけれど、辻雙明が直哉の此の言葉を取り上げ、臨済録の「真仏無形」という語句と相通ずると言っている。  無神論者の宗教感情とでも言うべき、こういう考え方、こういう気分は、座談会での当人の発言通り、年と共に強くなり、やがて三十二年後の絶筆「ナイルの水の一滴」にたどり着いて終る。」(A362)


 絶対者(神や仏)は、「形なきもの」である。だから、人間の教祖のように形ある人間を絶対者と認めてはいけない。古今の宗教に、形ある人間(過去の開祖でも、現に生きている教団幹部であっても)を絶対者とあがめる宗教があるが、それは誤りであり(人間はあくまでも絶対者ではない)、そう思わせる宗教は上等とは言えない。そう思わせる教団は、信者を幹部の道具(金集め、布教の手伝い)として使う。また、幹部に対して引け目を持ち、高い精神の自由を持てない。志賀直哉も形なき何か人間を超えた働きのあることは信じている。

迷信とは無縁

   志賀直哉には、迷信は全くなかった。堕胎した女性に対して、「水子の霊が迷っている」といい、祈祷代のお布施をさせる宗教者があるが、それは間違いである。死んだ者の霊(無我であるゆえ)が迷うことはない。迷うのは、生きた人間である。どんなに苦しいことがあっても、迷信めいた言葉(あくどい宗教者)に惑わされず、力強く生き抜いていく必要がある。人間を超えたはたらきで生じている出来事には、宗教者であろうとも、ご祈祷など(人間の行為)で、変えることはできない。

 「迷信に関しては、直哉の態度がはっきりしていて、その類いのものをすべて拒否した。大体、志賀の家に祖父の代から迷信がなかった。祖母や義理の母親は、心配事でもあると、内緒で占に見てもらったりすることがあったらしいが、日の吉凶、縁起の良し悪し、お告げ、まじない、お化けに狐憑(つ)き、その狐をいぶり出す祈祷師、明治の日本社会に未だたくさん残っていた迷妄と、無縁であった。」(A357)
 「男の子の直吉にだけ、きびしいことを言った。戦争中、父子で近所の神社の前を通りかかった時、直吉がかねて学習院の先生に言われている通り、帽子をとって礼拝した。直哉がそれを叱りつけたそうである。」(A360)

遺言

 「○名を残す事は望まず、作品が多くの人に正しく接する事、一番望ましい。記念碑の類は一切断はる事、名は残す要なし、作品の小さな断片でも後人の間に残ってくれれば嬉しい。
○子供達、互に寛大になって中よくして欲しい。物欲や名誉欲にとらへられるな。つまらぬものを得る為めに大きなものを失ふ事になるから。」(A450)

 これは、志賀直哉が子供に残した遺言です。これがあるため、各地に志賀直哉の文学碑は建設されていません。あるとしたら遺族に無断で作ったものだろう。「物欲」「名誉欲」にとらわれて、見苦しい様子をみせる著名人が大勢いる。私たちは、「無一物」で生まれたのですから「無一物」で死んでいく。それでいい。志賀直哉ほどの人がそういうのだから。


   
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