もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー本来の仏教を考える会
禅と詩歌
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永田耕衣
耕衣の俳句を味わう(2)
我のみにくさ
耕衣は、禅を生涯学んでいました。「自我」「我執」について、よくみつめました。
「ひとの田のしづかに水を落としけり」 (A47)
ひそかに他人を害する。我執にみにくさ。
「泥鰌(どじょう)浮いて鯰(なまず)も居るというて沈む」 (A89)
「一方、この時期の耕衣の句には、会社という束縛のなくなった解放感というか、軽やかな気分を感じさせるものが目につく。「泥鰌−−」など、その一例。人間社会にもそんな光景がありそうな句にである。」(城山三郎、C133)
城山さんは、こう言っています。足の引っ張り合い。そして共倒れ。ひっぱりあいをする人間の多い会社はやがて倒産して、共倒れ。会社ばかりでなく。どの組織でもそれが言える。社会全体がそうである。我利によって、争いをおこすから、社会全体がよくならない。
「繰り返し氷の張るは恐ろしき」 (A129,B44)
心に氷が張る。エゴイズムの氷、かたくなな心。
「枯蓮や我が道を行く人のむれ」 (B47)
これは求道の人ではない。「群れ」て、組織の我利を追う集団。
魂は枯れている。
「いずこにも我居てや春むづかしき」 (A149)
どこでも我見が出る。自分の。相手の。
「甚平にヒョイと夢附く摘み捨つ」 (A150)
妄想をつかんだ。しかし、さっと捨てた。
「人折れて暮れて居るなりねぎ畑」 (A164)
老人がかがんで農作業。かがんで暮らしていける。
人が我を折れば、いいのだがなあ。
孤独
耕衣は「孤独の賑わい」という。耕衣は、こう言う。
「孤独とはただ寂しいだけではない。孤独に徹すると寂しさをつきぬけたにぎやかさに至るのだ。」
「夢の世に葱を作りて寂しさよ」 (A51、C116)
人生は寂しい。夢だからこそ、寂しいことこそ、真実を見ている。
「この句についてはごく一部からは高い評価を得たが、相変わらず俳壇全体の反応は鈍かった。」 (城山三郎、C116)
「物書きて天の如くに冷えゐたり」 (A55、C113)
「霜強し人をなつかしみては失敗す」 (A42)
「道路ほど寂しきは無し羽抜鶏」 (A79)
<詩人は孤独>
「僕は日頃から詩人(これは文人といっても同じことですが)について、ある考えを持っています。詩人は詩がうまくなきゃ詩人とはいえないけれども、それじゃ詩さえうまけりゃいいかというと、そうは思えない。詩人の運命と呼ぶにふさわしい運命を持っていなきゃ、本当の詩人とはいえないんじゃないか。ダンテも、ボードレールも、詩人の運命を持っていた。杜子美や李太白も持っていた。柿本人麻呂、世阿弥、芭蕉、みんな持っていますね。その運命の表面はいろいろですが、その内面というか骨は孤独ということに尽きると思います。(中略) 耕衣さんは震災後の「大晩年の会」で「自分は独りになった」と言われ、孤独の大曲「蝉丸」のキリを謡ったけれども、震災によって独りになったことで、そして独りのまま亡くなったことで、詩人の運命の骨である孤独を全うされた。」(詩人、高橋睦雄、D96)
見る眼
「桔梗見る眼を遺さんや素晩年」
「花を賞でるのも眼なら、泥鰌を見るのも眼。読書も眼の仕事なら、人を「絶景」と見るのも眼。骨董を楽しむのも眼。書を習うのも眼。
その眼光はまた、容赦なく自分自身に、自分の句に対しても向けられねばならない。」(C158)
他を、人を物事を見る眼も持つ。そして、自分の作品を厳しく見る眼。
芸術家でない私たちは、行動言葉が「作品」である。それが「我執」で汚れていないかをも厳しく見る眼が必要ということになろうか。
「見て居りし蚊帳の面を賛嘆す (A40)
芭蕉の弟子、内藤丈草の俳句がある。(大田著『道元禅師』P219)
蚊帳を出て又障子あり夏の月
これは、出家したばかりの人に丈草が与えた句。出家しただけでいいのではない。修行して迷いの色メガネをとりはらって、真実を見るようにならなければいけない。目のくもり(障子)をとりのぞいて真の自己(月)を見つめなければならない。つまり、出家したら、それでよしとせず、悟りを得よ。これが、丈草の真意であり、そこまで深読みしなければ、丈草に笑われることでしょう。
さて、耕衣さんは、この句で、この丈草の句を下敷きにしていると私は思います。
人間のやっていることは、目につく外面の、この目のくもりそのもの(くだらない表面)を見て賛嘆していて、奥底の真実をちっとも見ていない。世俗の肩書き、名誉、学歴、地位、うわっつらのきれいさ、そういう表面だかり賛嘆して、見えないものを賛嘆しない。この現代日本。
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