もう一つの仏教学・禅学

新大乗ー現代の仏教を考える会

   
女性と仏教

仏教における女性平等(1)

女性も悟った

 八正道、戒定慧などを修行すれば、悟るというのであるから、元来の仏教には女性差別はない。この修行は、男女差なく、それほど困難ではない。古い経典に属する「テーリーガーター」は、原始仏教の女性出家者の言葉を集めたものである。そこには、多くの女性が「私は悟った」と言っている。当時の女性出家者は、深い苦悩が出家の動機であり、真剣に修行して、割合、簡単に悟ることができたようである。

   次はもと遊女であったヴィマラー尼の言葉である。悟ったことを高らかに宣言している。女性蔑視ではない仏教の側面がある。  キサー・ゴータミーは悲惨な境遇であり、苦悩も激しかったに違いない。その彼女が悟りをえたと喜んでいる。本来の仏教は女性も平等に悟ることができた。彼女は、夫が路上で死んでいるのをみつけた。貧苦で、二人の子供も死んだ。そのような悲惨な境遇に苦しんで出家して、自殺もせずに、苦悩を克服して、悟りを得たのである。釈尊に近い原始仏教教団では、女性も、修行して悟りを得た。人間の本質的なところで平等である。次は、キサー・ゴータミーに関する言葉である。墓場で「子どもの肉が食われているのを見た」とあるのは、獣葬で、死体を獣に食わせる葬儀法である。自分の子供が獣などに食われているのを見る。何という悲惨。「世のあらゆる人々には嘲笑されながら」とある。仏教教団の外の人間からは、「一族が滅んだ女のくせにブッダになれるはずがない」と嘲笑されながら、修行して、悟った。このような苦しみ、と、そこからの解脱が記録されているのが仏教経典である。大越氏の「女性たちの悲しみを自らの中に体現して死んでいったイエスに現れるような、女性たちの苦しみへの共感は、ブッダには見られない。既に指摘したように、この世の苦悩の全面的否定の教説は、苦悩の中にある差異を無化してしまう。」という言葉は納得できない。大越氏の、仏教教団の長い間の女性差別の問題の指摘には敬服するが、「ゴータマ・ブッダの仏教」の捕らえ方には、どうしても納得できない。
(注)  「テーリーガーター」には、ほかに、悲惨な境遇にあって、種々の苦悩を持った女性が出家し、ゴータマ・ブッダの指導を受けて修行して、さとりを得たと言っている。

仏教教団の女性は男性に伍して哲学を論じた

 「尼僧の告白」の解説で、中村元氏は、原始仏教の教団の女性が男性に劣らず、堂々と哲学を論じていたという記録を紹介している。  少なくとも、ゴータマ・ブッダに近い頃の教団の女性は、差別されていなかったであろう。本来、仏教が持っているものは、女性を差別したものではなくて、その志次第で、男性に劣るものとはされていなかったと思う。そこを認めた上で、時代や地域によって、一部の心ない差別思想が行われたことを批判するのは、やぶさかではない。むしろ、現代では、性差以外の点でも、差別が行われているようだ。自分に苦の経験、念仏や禅の信仰、実践をしないために、禅や念仏や仏教の真相を知らない学者による学問がそれを助長している面がある。

(注)
   
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