もう一つの仏教学・禅学

新大乗ー現代の仏教を考える会

   
女性と仏教

−岩崎八重子さん

病床で悟る

 山田耕雲氏の「禅の正門」(春秋社、1986年)に、岩崎八重子さんの参禅、大悟のことが紹介されている。
 彼女は、旭硝子株式会社の社長故岩崎哲弥氏の長女で、曹洞宗の原田祖岳老師に参禅し、病弱の身で精進し、大悟した。おしくも、大悟の十日後、26歳で、死去した。病弱であったから、この大悟の時、原田氏のもとに訪問できず、手紙で、報告している。彼女から原田老師へ出された手紙の数通が本書に掲載されている。病弱の若い女性が大悟した例である。
 ごく一部を引用させていただくが、禅とは何かを知りたい方は、読まれることをおすすめする。( )は、原田祖岳氏の評である。

見性する

 昭和十年12月23日の手紙。この前夜、見性した。
夜中にふと眼がさめた時、一層ハッキリと気がつき、(評曰、心牛更に近づく事一百里)嬉しくて嬉しくて嬉しくて只々合掌するのみ、成る程悟りに深浅ある事がわかりました。(評曰、然り然り、今や是の大事を知る者少なし)最早老師と雖も眼中になくなりました。この有難さ、うれしさは筆舌に尽くす事は出来ません。悟りが見える間は真の悟りでないという事ものみ込めました。−−−

後得智

 昭和十年12月26日の手紙。
今までは小さい自分、力のない自分、何時菩提心が退転しないとも限らなぬ、また正法に生々あう事が出来ないのでは死ぬのはいやだと(評曰、然り正法を真に信解すれば徹底しないで死ぬのは全く苦痛でなくてはならないのです。此心あって始めて大姉の如き修行が出来るのであるから)始終不安でおりましたのに、徹してみれば最早永劫不退転の菩提心確立し、一切衆生を残らず救わずにおけぬ自然の願心にもよおされ、絶対人格完成に向ってますます無窮の修行に入る事の出来るという事実が明々了々となりました事、(評曰、同感同感、感激の涙千万行)嬉しいとも有難いとも筆舌に尽くす事は出来ません。坐禅を怠る処か、いよいよ定力を養わねばならず(評曰、然り然り、能く能く手に入りましたね)百練千鍛の必要を痛切に感じ独参の有難も深く深くわかりました。もう昨日の手紙のように大悟大徹して独参を受ける身となったなどと大それた狂言は夢にもかきません(評曰、分かりましたね、真に目がさめましたね)から御許し下さいませ。−−−

別れるということはない

 昭和十年12月27日の手紙。
老師とも絶対にお別れしないでいられるとは何とうれしうございましょう。
迷いのない衆生に仏法はいらぬ。本来成仏とは私の事だったと一人ほほえんでおります。−−−

死期を予知する手紙

 昭和十年12月28日の手紙。これが最後の手紙であった。
老師に是非今年中にどうしてもどうしても御目にかからせて頂きとう存じます。へんな事を申し上げますが、老師とお別れの近いことをこの現実として感じますからどうしてもどうしても是非是非御願い申し上げます。−−−


(・・・小衲はこの手紙を入手する以前至急電報を受け、二十九日、鎌倉の病室を訪問した。まず境界上の入室においてその眼睛の廓開を印証した。大姉もただ涙、小衲もただ涙、大姉はただ感激の涙、小衲は悲喜交々の涙、大姉は生死本より眼中になし。−−−)

翌年1月2日、「26歳を一期として静かに安らかに他界されました。(安谷白雲附記)」

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 原田祖岳氏は、昭和の「正信論争」で有名である。道元禅は、悟ることが必要であるという悟道派(原田祖岳氏)と、坐禅するのみで大悟ということはないという僧侶と駒沢大学の学者の多くとが激しく議論した。宗門の僧侶は、後者が勝ったのだという人がいる(勝った方が正しいとは限らない)。しかし、最近、坐禅は仏教ではない、と松本史朗氏から宗門の道元解釈が批判されている(それも正しいとは限らないが)。皮肉なものである。勝ったつもりの方が、仏教ではない、外道だ、といわれる。一般の人々は、誰のいうことを信じて、ついていくのだろうか。(大田)
   
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