禅と日本文化
高瀬省三・日本画家
「流木にいのちを託す」
「流木にいのちを託す」ー高瀬省三・最期の日々ー
NHKテレビ「心の時代」で、5月25日に放送されました。日本画家が、生きること、いのち、をみつめています。芸術家の探求したものも、禅の探求するものも同じものがあるということを実感させます。
ビデオにとりましたのを、文字に起こしました。
高瀬省三氏
高瀬氏は、平成14年10月6日、がんで亡くなられました。末期がんが発見されて余命はあと1年と宣告された。病院での治療を受けず、自宅に戻り、海岸に打ち捨てられた流木を素材に彫刻をつくりました。
流木は、そのままでは、捨てられたもので、誰(自分)もかえりみない。しかし、高瀬氏が手を加えることにより、流木は全く違った表情をみせた。高瀬氏はがんという病気を忘れたかのように、自分の好きなことをして余命を生きた。その生き様と、作品で表現したものが、禅の生き方に通じている。
高瀬氏は、日本橋の帯問屋に生まれた。教師をしたり、山小屋で働いたりした。本格的に絵を始めたのは30歳半ばを過ぎてから。事業のかたわら、絵筆を握った。その後、日本画家として活躍してきた。たまたま、健康診断で、がんの末期であることがわかって、告知された。手術しなければ半年、手術しても、1年かちょっと言われた。ご本人は、手術しないと決断した。
高瀬氏は残された時間を自分の好きなことに使う決断をした。高瀬氏は、絵ではなく、流木の造形を制作することに費やした。
人は、真の自己を知らない。真の自己は、打ち捨てられている。しかし、一見人為的な手を加えるように見える坐禅修行(実際は、人為的でなく、手を加えない)をすることによって、「自己」が新しい表情を現わす。それが禅である。
画家・高瀬省三氏は、作品でそれを表現した。我々一般在家は、職業、家庭生活、人間関係で、それを表現する。宗教家は、慈悲行、説法で、それを表現する。仏教の学者は、学問でそれを明らかにしなければならない。
高瀬氏は、がんの治療を受けなかったが、現代医学の治療を受けながら、精神は、高瀬氏の生き方に学ぶという選択もある。
「流木にいのちを託す」
「流木にいのちを託す」ー高瀬省三・最期の日々ー
放送は、斎藤氏の語りで、高瀬氏の作品をおりまぜながら、家族や友人の証言で進行していく。私のコメントをさしはさまず、放送の流れにそってご紹介したい。もちろん、一部分です。
- 高瀬久子さん=高瀬省三さんの奥さん
- 語り=斎藤秀夫(この放送のレポーター)
- カメラマン=坂本真典(まさふみ)氏。去年春から夏にかけて高瀬氏の流木の造形を撮影して、『風の化石』高瀬省三作品集(筑摩書房)として出版した。
- 『風の化石』(筑摩書房)を編集した中川美智子さん
- 同じくデザインを担当した吉田篤弘・浩美夫妻
- 作品集を見て惹かれ個展を見た東大教授、藤森照信さん
- 詩集に高瀬さんの作品を表紙にしている詩人、茨木のり子さん
<青字>は、テレビの映像の写真、または、作品。
流木の造形の個展の直後になくなる
<一枚の記念写真スナップ写真>
平成14年8月21日深夜。展覧会の前夜、場所は、東京新宿、個展の会場であるギャラリー。
なくなる直前に、日本画家高瀬省三の個展が開かれた。
斎藤さんの語り
「展示された作品は絵ではありませんでした。海岸に流れついた流木に手を加えた造形でした。
画家高瀬省三さんは、この個展の1年前、平成13年に、末期の肝臓がんと大動脈瘤を告知されていました。手術すれば1年、手術をしなければ半年の余命という宣告でした。高瀬さんは医師のすすめる手術を断りました。自分の意思で自由に生きることを決意した高瀬さんは、この個展を終わらせ、その直後になくなりました。なくなるまでの半年あまりの間、高瀬さんが時間を惜しんで制作したのは流木の造形だったのです。」
「人は自分の命の残り時間が少ないと知った時、何を考え、何をするのか。高瀬さんをなくなる直前に周りでささえた家族や友人たちの証言を通して、画家が残したメッセージとその思いを考えてみたいと思いました。」
<神奈川県大磯の海岸>
高瀬さん宅は、歩いて7,8分のところにあった。朝夕、この浜辺を散歩して、打ち上げられている流木を拾って、それを風の化石と名づけました。
斎藤さんの語り
「高瀬省三さんの作品集『風の化石』の中にこういう文章があります。
いつの日か、私も風の化石になる。
稲穂を渡り、山を越え、海に出る。
何万回となく地球を巡り、
ふとした弾みで、
宇宙に飛び出さないとも限らない。」
<高瀬省三さんの作品集『風の化石』>
フリーカメラマンの坂本氏が撮影した。
<大磯海岸>
ここで、斎藤氏と坂本氏が対話。
坂本氏の話
「6,7人でここに来たんですけど。ここに出た瞬間彼はもう一人になった。勝手に歩き出して、で、一人の世界にはいりこんじゃって周囲が全然見えない。それで海をながめ、空を見、砂をさわったり、石をひろったり。そんな感じでした。僕はその姿を、あの詩に書かれていますが、あんな感じでとったというだけで、全く自分の世界にはいりこんで。もう一人で立ってあの詩のような感じですね。その世界の中にはいりこんじゃって。」
「ここにはいるんですけど、ここにいない、そんな感じでした。」
残された生活の決断へ
<高瀬久子さんのお宅>
ここで、高瀬久子さんと斎藤氏が対話。久子さんの話を整理するとこうなる。
自覚症状があったわけではなくて、たまたま健康診断で、末期がんが発見された。検査で入院中に、奥さんに医者が相談して、告知された。手術しなければ半年、手術しても、1年かちょっと言われた。医者が手術をしましょうと言われた時、本人は、手術しないと決断した。そして、手術を受けないで、退院した。
久子さんの話。
「なんとか自分自身で ストレスをなくしたり、仕事もやめて、好きな絵、念願だった絵一筋に、年もちょうど60だし、それ一筋にしようとやっと決心したんでしょうね。」
「自由になったという、その解放感の喜びを一杯聞きました。嬉しいよ、楽しいよ、と。」
自己解放
<高瀬省三さんの手帳を読む斎藤さん>
高瀬省三さんが残したメモ。8月23日、退院した。
「8月23日。本日を解放記念日とする。原始への旅に自分をとき放つのだ! 夜勤あけの看護婦が心配そうに「お大事になさってくださいね。」と昨夜ほとんど眠れなかったのを知っているのだ。実際にはその意味が全く逆なのだが。」
斎藤さんの語り。
「その意味が全く逆というのは、看護婦さんは高瀬さんが自分の病状を心配して眠れなかったのではないかと、そういうふうに気遣ってくれたのではないか。でも高瀬さんとしては、検査を終えて、そして自分は医療の手をわずらわさずに
暮らしていこうという、そういう決心で自分を解き放つ。そういう心のやすらぎとまでいえるかどうかわかりませんが、そういう気持ちで、眠れなかったという、そういう逆ということではないか。
でも解放といいましても、重い病を知らされての解放ということですから、決してそれは心がやすらかな解放ではなかったということではないかと、そういうふうに想像します。
別のノートに高瀬さんはこういうことを書いています。」
「病気であるという事実をまのあたりにつきつけられて、これまでのように自分自身をごまかせないということを認めざるをえない。
これによって死に対する葛藤の大部分が終わった。
↓
自己解放 」
<高瀬さんのノート>
自己解放 の文字のクロ−ズアップ
流木の造形へ
<大磯海岸>
<自己解放> の文字のクロ−ズアップ
斎藤さんの語り
「末期のがんがわかったのは平成13年。病院から家に戻った高瀬さんは、午前中は、近くの神社の境内で読書、午後は、砂浜に出て海を眺めるという毎日を過ごしました。その年があけて翌14年、高瀬さんは流木の作品に集中するようになりました。」
<高瀬さんの流木による最初の作品『風の化石』>
斎藤さんの語り
「これにつづいて、30点を越える作品を高瀬さんは、わずか半年の間に次々と作りました。高瀬さんは、この作品によせてこう書いています。」
「「風の化石」。これが出発点だった。嵐の後流れついた木を持ち帰り、ずっとながめていた時には、あざらしに見えていたものが、それがある時、向きをちょっと変えて見ると、ふと眼や顔が浮かびあがった。流木そのものをいかすため、最小限にしか手を加えていないが、見る角度によって様々な表情をみせてくれる。」
<浜辺で坂本さんと斎藤さんの対話>
坂本さんの話
「はじめて彫刻をやるわけですから、彼は。それまでは絵の方だったんですから。で、発病してから作りはじめたものですから、本当だったら彼があと何か月と言われたら、今までやってきた絵を完成させたと思うんです。彼が彫刻を始めたのは、絵をかいているよりも、ふるってる方が、そうでないと、部屋でじっとしていたらやりきれないでしょう。半年であれだけのエネルギーはできないですよ。そういうきっかけがないときは。それで最後、作品を作るのを急いだと思うんです。それにあわせるように、僕は6回ほど撮影に来たんですけども。」
斎藤さん
「そういう場合、カメラマンというのはどういう気持ちをうつそうとするんですか。高瀬さんの気持ちをうつすんですか。もちろん、作品をうつすんだけれども。」
坂本さん
「作品をうつすんですけど、多分作品はものですけども、ものじゃないですね。高瀬さんをとっているようなものです。ものとしてそれは次々単にとっていけばいいことなんですけども、高瀬さんの思いを感じながら、とるというのは、やはり、ものとしてとるのではなく彼自身をとるんだと思います。」
<流木の造形『砂のつめあと』>
<流木の造形『火の子』>
<流木の造形『海の音』>
高瀬省三さんの文章から
「流木を手にした時、作りたいものが見えてくるのが面白かった。でもなかには、あんまりよくて長いこと手がつけられないこともある。それでもいつのまにかたくさんの造形物が生まれていた。私の性分にあっていたのだろう。」
<流木の造形『海の音』>
<制作中の高瀬省三氏>
立っているところが違う
<久子さんと斎藤さんの対話>
久子さんの話
「作っている時も、「楽しそうね」とーー、時々のぞくと夢中ですから、「楽しそうね、」というと、「楽しいよ。」・・・
もうそれは本当に自分の時だったと思いますね。彼にとって。」
「ただ一度、何の話だか忘れたんですけど、ちょっとめずらしく意見の食い違った時だった時だったと思うんですけど、
「もう僕は君たちと立っているところが違うんだから」と言ったんです。
で、はっとしまして、・・病気を忘れるほど元気でしたからね、その時、本当に現実にひき戻されたぐらいはっとしましたね。そうだったと、その言葉は。
その時に、やはり彼の深ーい孤独を見たような感じがちょっとしましたね。」
<高瀬さんの写真>
<斎藤さん、高瀬さんの流木の作品のいすに坐る>
斎藤さんが高瀬さんのノートを読む
「貝になっていく私
努力
矛盾
こうありたい自分、実際の自分。
あるがままのもの
不安の衝動→何かになりたい 」
<高瀬さんのノート>
次の文字が見える。
「恐怖の元凶
恐怖はあらゆる種類の逃げ道を求める。
恐怖=あるがままの・・」
斎藤さん、高瀬さんのノートを読む
「この病は癒えないのではないかという恐怖がある。」
<高瀬さんのノート>
次の文字が見える。
「意識の表層。
深層。→動機。意図。欲求。不安。恐怖。欲望。
私たちが受動的ではない。
出発点。 」
自然と人為
斎藤さん、高瀬さんのノートを読む
「自然はドラマチックである。刻々と変化し停滞することがない。あるときはやさしく、ある時は荒々しく、ある時はあかるく、またくらい。自然は愛に満ちあふれている。生きとし生けるものは、すべてやむことのない愛の交換の中でよりよく生きるべし。死ぬるは自然との合体であり、愛の合体である。
そよとふく風の中に命の一部を残し原始に戻る。人間の作る都会は不自然である。都会でのやさしさは、真実ではない。それはたくみにしくまれた虚偽の商品である。都会にはまた本当の荒々しさもない。生と死の本当の姿を見ることはできない。自然の中では荒々しさもまた美しいのに、都会の中ではどんどん醜い姿に変貌する。そこには愛の合体がない。」
<流木の造形『空が恋しい』>
<流木の造形『少年の夏』>
<流木の造形『砂のゆくえ』>
<流木の造形を制作する高瀬さん>
<作品を撮影する坂本さん>
<流木の造形『蝉の女 樹液』>
「大磯でとった時は、高瀬さんの仕事場のその時のその光でとった。」
<『風の化石』(筑摩書房)の写真>
『風の化石』担当した中川美智子さんの話。
「好きなことだけしていれば、病気も自分の治癒力を信じているから、病気も負けてどこかへいっちゃうじゃないかと冗談で言っていましたし。自分の中の「自己治癒力」を僕は信じているからと言った時に・・・。」
<作品集の構成、ブックデザインを担当した吉田篤弘・浩美夫妻の話>
「夜中に、真っ暗な部屋で一人で(トリミングの)その作業していたら。こわいような気がしたんですね。・・・これはこわいものでもあるのかもしれないと初めてその時思ったんですね。僕らは、高瀬さんのひょうひょうとした感じに惑わされていたのか、本当の奥のところにあるものまで、もしかしたら見ていなかったのかもしれないという、作業している時に初めてきづいたというのが正直なところです。あらためて本当に考えてみようとしたのですがわからないということがなにより高瀬さんのすばらしかったところだったんじゃないかなと。本当に感じさせなかったという。」
<流木の造形『蝉の女 めざめ』>
<東大教授、藤森照信さん>
建築家、建築史家の藤森さんは、作品集をみて、その魅力にひかれ、個展を見にいった。
藤森照信さんの話。
「自然の中に打ち捨てられているものがありますね。そういうものの中に、形をみて、子供がそういことをよくやる、最初に発見したに違いないですが、どんどん成長してですね、烏になったり、大王になったり、トンボのような人間になったり、そういううち捨てられた木材が形に成長しているという、その過程がちゃんと感じられるんですね。そういう彫刻は見たことがないものですから、大変驚いたですね。そういう自然の木の中に、聖なるものがあるという感覚というのは日本人にはずっとあって、古い・・古代なんかで、たとえば立ち木に仏さんをほったり、立ち木の中にそれがいるから出してあげるんだというのがずっとあるんですね。表現すると人為でやるわけですね、人間の意識でやっていくんですけど。人為ではないところが半分はいったようなことの大事さみたいなことに最後にゆきついたのじゃないかと思いましたけどね。自分で絵をかくというのは全部自分でやるんですけど、海岸にころがっている木片なんかに何かを見るちゃうわけですね。それはべつに人間が表現したものではなくて、自然が作ったものの中に人間がただ発見するだけなんですね。それで発見したのを彼が手を入れて伸ばしていくわけですね。そこは人為になるわけですね。人為でないところと人為のそのへんの一緒になっていることの重要さみたいなのを彼は気付いたんではないかと思ってね。最後にね。」
<流木の造形『カワウソに変身した僕』>
<流木の造形『KARASU』>
<流木の造形『五月の朝』>
(以下、27日に、追加しました。)
よりかからず
<高瀬さんの絵『一本の茎』1994>
<茨木さんの詩集、数点>
斎藤さんの語り。
「一本の茎。この絵は詩人茨木のり子さんの詩集の挿画です。以来、高瀬さんの作品は、その人柄と作品を愛した茨木さんの作品集の表紙をかざってきました。茨木さんは流木の作品から、高瀬さんの手でいのちを与えられた流木たちの喜びや安堵の気持ちが伝わってくると言います。」
<流木の造形『蝉の女 ひざし』>
茨木のり子さんの話。
「考えようによっては、いのちの最後の打ち上げ花火みたいな、そういうものとして作品集があるような気がします。
何でもない流木ですね。流れよった木、普通だったら、それは浜辺で集められてたきぎにされるようなものだったと思うんですね。それにふっと息をふきかけた
といいますか、やはり流木の中から何か聖なるものを導きだしたというかね。それが短期間にわあっと、なさったわけですから、何か不思議な気がしますね。
ものというものに魔法をかけるとそれが美術品になるんじゃないかなという気がいたしますね。解けない魔法です。生き物というものは、最後は完成、完成と向かうものじゃないかって、最後のところで
自分の持てるものを全部、出し切って、精一杯生きればそれでいいよ、というのかな。覚悟は定まっていらしたことですね。」
斎藤さんの語り。
「茨木のり子さんの話をうかがっていますと、高瀬さんの生き方というのは、
茨木のり子さんの詩の中に一篇と「倚りかからず」と重なりあうような気がしてきました。その詩は「倚りかからず」という詩です。この詩集の表紙の絵、これも高瀬さんの作品です。」
<茨木さんの詩集、『倚りかからず』>
「もはやできあいの思想には倚りかかりたくない
もはやできあいの宗教には倚りかかりたくない
もはやできあいの学問には倚りかかりたくない
もはやいかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ」
<高瀬さんの絵『倚りかからず』1999>
生きている不思議・死んでゆく不思議
斎藤さんの語り。
「高瀬さんは最期になって、こういう文章を残しています。」
高瀬さんのノート。
「去年の夏、私は検査のため一週間ほど入院ですごした。その折、むすこがさしいれてくれた本、若くして急逝した星野道夫の「イニュニック(生命)」の中にこんな文章があった。
「ストーブの炎をみつめていると木の燃焼とは不思議だなと思う。二酸化炭素と水素を大氣に放出し、熱とほんのわずかな灰を残しながら長い時を生きた木は
一体どこへ行ってしまうのだろう。昔、山に逝った親友を荼毘にふしながら、夕暮れの空に舞う火の粉を不思議な気持ちでみつめていたのを思い出す。あの時もほんのわずかな灰しか残らなかった。
生命とは一体どこからやって来てどこへ行ってしまうものなのか。あらゆる生命は目に見えぬ糸でつながりながら、それは一つの同じ生命体なのだろうか。木も人も、そこから生まれ出る、その時その時の、つかのまの表現にすぎないのかもしれない。遠い昔、山男を自認していた私もまたストーブの炎を見ているのが好きだった。朝になってストーブをあけると、完全に燃焼したまきは白い
灰と化し、昨夜のあのあやしげな炎のゆらめきは夢であったのかと思わせる。
生まれ生きていることの不思議、死んでいくことの不思議を感じたものである。」
時を経て、ある決断を迫られていた私が病院のベッドで考えていたこともまた
同じであった。
生命とはどこからやって来てどこへ行ってしまうものなのか。」
<高瀬さんの写真>
生きている不思議
死んでゆく不思議
今、大切なことに生きる
斎藤さんの語り。
「自分の中にある力を信じて精いっぱい生きる。残りの短い時間の中に自らの人生を凝縮させようとした高瀬さん。最期にゆきついた流木の造形は高瀬さんの生きるあかしでした。」
高瀬省三 個展
平成14年8月22日ー27日
9月5日ー10日
個展の会期の後半から、高瀬さんの体調は、すぐれなくなった。
9月13日
高瀬さんの日記の最後。
「(9月13日の最後)。ぶっ太い蜂の羽音楽しむ自宅療養の窓。
(9月14日)久し振りに椅子にて昼過ごす。」
<流木の造形『午後の魂 男』『午後の魂 女』>
高瀬久子さんの話
「色んなことを教わったんですけど。やはり何でも一生懸命燃えて取り組むというのですか。夕焼けがきれいだったりなんかすると、「夕焼けがきれいだから散歩いこう」というんですよ。
私なんか夕飯のしたくなんかしていると「あ、ちょっと今夕飯のしたくをしてるから」とかいうと、「もう今この時しかないよ。ご飯なんかどうでもいいよ、とかいう感じで。夕焼けのほうが大事だよ」という感じでつれだされたり、最初のころはしぶしぶ出たこともありますけど、「もう、なんて」思って、後半は本当にそういう彼の性格もわかりましたし。実際に本当にそうですし。海へいきますと素晴らしい夕焼けとか見れましたし。そういう意味でも、常に、その時その時に一番大事なことというか、そういうことに没頭するというか、そういうことにかけては天下一品だったなあと。遊ぶときも一生懸命遊ぶし、絵をかく時も一生懸命でしたし。
願わくば、もうちょっと時間をいただけてもっともっと作品を作ってもらいたかった、ただそれだけですね。」
平成14年10月6日
高瀬省三旅立つ
60歳
時空を超える
<大磯海岸に立つ斎藤さん>
斎藤さんの語り。
「高瀬さんの作品集の中でこう書いています。
「流木はそれ自体実にすぐれた造形物だが、少しずつ手を加えていくと、それまでとは全く異なる表情を見せてくれる。岩に絵を描いた古代人の驚きと喜びに共感できる一瞬です。」
高瀬さんは、流木を介して遠く時空を超えた古代の人とも感情をともにすることができる、といいます。
長い時間をかけ長い旅路をたどった流木。その中に時間と空間を凝縮させた流木。人生の最後に出会った流木に、高瀬さんは、人間の力を超えたものへの思いを託したのでしょうか。人間はふとしたはずみで時空を超えられるかもしれない、と。」
<大磯海岸、潮の音>
「いつの日か、私も風の化石になる。
稲穂を渡り、山を越え、海に出る。
何万回となく地球を巡り、
ふとした弾みで、
宇宙に飛び出さないとも限らない。
高瀬省三」
(完)
<感想>
すばらしい構成で、私の付け加えることはありません。芸術家や宗教者は、同じようなことを見ているようです。それだけを断片的に、ご紹介しておきます。
自然と人為
高瀬さんの言葉にこうあります。
「流木はそれ自体実にすぐれた造形物だが、少しずつ手を加えていくと、それまでとは全く異なる表情を見せてくれる。岩に絵を描いた古代人の驚きと喜びに共感できる一瞬です。」
建築家の藤森さんの言葉にこうあります。
「自然の中に打ち捨てられているものがありますね。そういうものの中に、形をみて、・・・うち捨てられた木材が形に成長しているという、その過程がちゃんと感じられるんですね。・・・
表現すると人為でやるわけですね、人間の意識でやっていくんですけど。人為ではないところが半分はいったようなことの大事さみたいなことに最後にゆきついたのじゃないかと思いましたけどね。
自分で絵をかくというのは全部自分でやるんですけど、海岸にころがっている木片なんかに何かを見るちゃうわけですね。それはべつに人間が表現したものではなくて、自然が作ったものの中に人間がただ発見するだけなんですね。それで発見したのを彼が手を入れて伸ばしていくわけですね。そこは人為になるわけですね。人為でないところと人為のそのへんの一緒になっていることの重要さみたいなのを彼は気付いたんではないかと思ってね。最後にね。」
禅は、諸法実相、真の自己を探求することだという。「自分」と思っていたそれが本当の自分ではなくて、別のものではないのか、と思いあたる、そこが発心。そこから、人為ではない人為というような修行が始まる。修行は人為であるが、自然にまかせた功夫なき功夫を行う。やがて、自己が全く新しい表情を見せる。もともと、あったことに「ただ発見するだけ」。
道元禅師の「弁道話」に次の言葉があるのは、このことであろう。
「諸佛如來、ともに妙法を單傳して、阿耨菩提を證するに、最上無爲の妙術あり。これただ、ほとけ佛にさづけてよこしまなることなきは、すなはち自受用三昧、その標準なり。
この三昧に遊化するに、端坐參禪を正門とせり。この法は、人人の分上にゆたかにそなはれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず、證せざるにはうることなし。」
自然、人為でない自己の実相が、そなわっているが、見えなくなって自分や他者を苦しめる。人為にみえる(人為でない)「修」行をしなければ、現れない。思想的理解ではなく、現実に自分の心で証明(自内證)するのでなければ、現実に活きて働く力を得ることはできない。
倚りかからず
茨木さんの詩。
「もはやできあいの思想には倚りかかりたくない
もはやできあいの宗教には倚りかかりたくない
もはやできあいの学問には倚りかかりたくない
もはやいかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ」
作家の灰谷健次郎氏は、こう言う。
「それにしても深く思う。民衆は賢くならなければならない。なにかに躍らされる愚鈍な民衆にだけはなりたくない。」(『フォーカス』九七年七月一六日)
宗教も学問もいらない、とはどういうことであろうか。宗教は、心の救いを得られるはずのなのに、宗教に依存して、主体性を失ってしまい、宗教に搾取されることがある。宗教からの搾取の問題を大越氏が論じている。
道元禅師は、『現成公案』巻で次のようにいう。
「諸法の佛法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸佛あり、衆生あり。
萬法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸佛なく衆生なく、生なく滅なし。
佛道もとより豐儉より跳出せるゆゑに、生滅あり、迷悟あり、生佛あり。
しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり。」
「萬法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸佛なく衆生なく、生なく滅なし。」というのだから、そこは、思想、宗教、学問、権威の通用しないところである。
釈尊は「さいの如くただ一人歩め」といい、「自らを燈とせよ」と言った。臨済は、無位の真人を自覚し主人公として生きよ、という。このように生きる者には、思想、宗教、学問、権威などに、よりかかることはない。釈尊の仏教とは、宗教でない宗教であろう。
生きている不思議・死んでゆく不思議
ゴーギャンの絵に「我々はどこからきたのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という題の絵がある。
日本画の巨匠、東山魁夷画伯は、こう言った。
「日本画家である私が、私自身とは何か、をたどり考えてゆくことは、結局、日本の美は何かの問題に到達する。」
「画家であるということは、人間以外のものであることを必要とする峻烈なものです。」
次に道元禅師の『現成公案』巻の「たきぎ、灰」の関する言葉を引用するが、生は死になるとは言わない、という。
たき木、灰
たきぎ、灰というと、道元禅師の『現成公案』巻の一節が思いうかぶ。
「たき木、はひとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり。前後ありといへども、前後際斷せり。灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。かのたき木、はひとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは、佛法のさだまれるならひなり。このゆゑに不生といふ。死の生にならざる、法輪のさだまれる佛轉なり。このゆゑに不滅といふ。生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。たとへば、冬と春のごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。」
生は死になると言わない、死は生にならない。
今、大切なことに生きる
斎藤さんの語り。
「自分の中にある力を信じて精いっぱい生きる。残りの短い時間の中に自らの人生を凝縮させようとした高瀬さん。最期にゆきついた流木の造形は高瀬さんの生きるあかしでした。」
高瀬久子さんの話
「常に、その時その時に一番大事なことというか、そういうことに没頭するというか、そういうことにかけては天下一品だったなあと。遊ぶときも一生懸命遊ぶし、絵をかく時も一生懸命でしたし。」
「今」とは、どんな時だろうか。道元禅師は、『現成公案』巻で次のようにいう。高瀬さんが、絵や流木に打ち込んでいる時、まどいもさとりもないのではないか。すべて我にあらざる時節。
「萬法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸佛なく衆生なく、生なく滅なし。」
時空を超える
高瀬さんの言葉。
「流木はそれ自体実にすぐれた造形物だが、少しずつ手を加えていくと、それまでとは全く異なる表情を見せてくれる。岩に絵を描いた古代人の驚きと喜びに共感できる一瞬です。」
道元禅師が如浄禅師から与えられた印可の証明の系図(嗣書)を見ると、釈尊から出た赤い線が2代目の摩訶迦葉につながれ、代々線が引かれて、如浄禅師から道元禅師へ赤い線が引かれ、道元禅師のところで終わらずに、道元禅師から赤い線が釈尊に延びている。道元禅師の弟子が釈尊になっている形である。古代人の釈尊の解脱成道の驚きとよろこびを共感した道元禅師。道元禅師が釈尊の仏道は本物であると印可するのだろう。師が弟子を印可するしかないのが世俗の道であろうが、仏教には弟子が師を印可するという道理もあるようだ。
斎藤さんの語り
「高瀬さんは、流木を介して遠く時空を超えた古代の人とも感情をともにすることができる、といいます。
長い時間をかけ長い旅路をたどった流木。その中に時間と空間を凝縮させた流木。人生の最後に出会った流木に、高瀬さんは、人間の力を超えたものへの思いを託したのでしょうか。人間はふとしたはずみで時空を超えられるかもしれない、と。」
道元禅師には、『正法眼蔵』に『有時』の巻がある。「有」(う)とは、存在のこと、空間を占める存在。『有時』とは、存在と時間である。空間と時間といってよい。それを探求している。道元禅師には『生死』の巻もある。「生死を超えて仏になる」という。『現成公案』巻の「萬法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸佛なく衆生なく、生なく滅なし。」という文も、迷いもなく、生滅なく、仏や衆生もない。時空を超えたところなのであろう。
求道の芸術家、高瀬省三さん。
このページの本アイコン、ボタンなどのHP素材は、「てづくり素材館 Crescent Moon」の素材を使用しています。
「てづくり素材館 Crescent Moon」