禅と日本文化

高瀬省三・日本画家

「流木にいのちを託す」

「流木にいのちを託す」ー高瀬省三・最期の日々ー

 NHKテレビ「心の時代」で、5月25日に放送されました。日本画家が、生きること、いのち、をみつめています。芸術家の探求したものも、禅の探求するものも同じものがあるということを実感させます。
ビデオにとりましたのを、文字に起こしました。

高瀬省三氏

 高瀬氏は、平成14年10月6日、がんで亡くなられました。末期がんが発見されて余命はあと1年と宣告された。病院での治療を受けず、自宅に戻り、海岸に打ち捨てられた流木を素材に彫刻をつくりました。
 流木は、そのままでは、捨てられたもので、誰(自分)もかえりみない。しかし、高瀬氏が手を加えることにより、流木は全く違った表情をみせた。高瀬氏はがんという病気を忘れたかのように、自分の好きなことをして余命を生きた。その生き様と、作品で表現したものが、禅の生き方に通じている。

 高瀬氏は、日本橋の帯問屋に生まれた。教師をしたり、山小屋で働いたりした。本格的に絵を始めたのは30歳半ばを過ぎてから。事業のかたわら、絵筆を握った。その後、日本画家として活躍してきた。たまたま、健康診断で、がんの末期であることがわかって、告知された。手術しなければ半年、手術しても、1年かちょっと言われた。ご本人は、手術しないと決断した。
 高瀬氏は残された時間を自分の好きなことに使う決断をした。高瀬氏は、絵ではなく、流木の造形を制作することに費やした。

 人は、真の自己を知らない。真の自己は、打ち捨てられている。しかし、一見人為的な手を加えるように見える坐禅修行(実際は、人為的でなく、手を加えない)をすることによって、「自己」が新しい表情を現わす。それが禅である。
 画家・高瀬省三氏は、作品でそれを表現した。我々一般在家は、職業、家庭生活、人間関係で、それを表現する。宗教家は、慈悲行、説法で、それを表現する。仏教の学者は、学問でそれを明らかにしなければならない。
 高瀬氏は、がんの治療を受けなかったが、現代医学の治療を受けながら、精神は、高瀬氏の生き方に学ぶという選択もある。

「流木にいのちを託す」

「流木にいのちを託す」ー高瀬省三・最期の日々ー

 放送は、斎藤氏の語りで、高瀬氏の作品をおりまぜながら、家族や友人の証言で進行していく。私のコメントをさしはさまず、放送の流れにそってご紹介したい。もちろん、一部分です。

 <青字>は、テレビの映像の写真、または、作品。

流木の造形の個展の直後になくなる

<一枚の記念写真スナップ写真>

 平成14年8月21日深夜。展覧会の前夜、場所は、東京新宿、個展の会場であるギャラリー。
 なくなる直前に、日本画家高瀬省三の個展が開かれた。

斎藤さんの語り <神奈川県大磯の海岸>

 高瀬さん宅は、歩いて7,8分のところにあった。朝夕、この浜辺を散歩して、打ち上げられている流木を拾って、それを風の化石と名づけました。

斎藤さんの語り <高瀬省三さんの作品集『風の化石』>
 フリーカメラマンの坂本氏が撮影した。

<大磯海岸>

 ここで、斎藤氏と坂本氏が対話。

坂本氏の話

残された生活の決断へ

<高瀬久子さんのお宅>

 ここで、高瀬久子さんと斎藤氏が対話。久子さんの話を整理するとこうなる。

 自覚症状があったわけではなくて、たまたま健康診断で、末期がんが発見された。検査で入院中に、奥さんに医者が相談して、告知された。手術しなければ半年、手術しても、1年かちょっと言われた。医者が手術をしましょうと言われた時、本人は、手術しないと決断した。そして、手術を受けないで、退院した。

 久子さんの話。

自己解放


<高瀬省三さんの手帳を読む斎藤さん>

高瀬省三さんが残したメモ。8月23日、退院した。  斎藤さんの語り。 <高瀬さんのノート>

 自己解放
 の文字のクロ−ズアップ

流木の造形へ


<大磯海岸>

<自己解放>
 の文字のクロ−ズアップ

斎藤さんの語り <高瀬さんの流木による最初の作品『風の化石』>


斎藤さんの語り <浜辺で坂本さんと斎藤さんの対話>

坂本さんの話 斎藤さん
坂本さん <流木の造形『砂のつめあと』>

<流木の造形『火の子』>

<流木の造形『海の音』>


高瀬省三さんの文章から <流木の造形『海の音』>

<制作中の高瀬省三氏>

立っているところが違う

<久子さんと斎藤さんの対話>

久子さんの話 <高瀬さんの写真>

<斎藤さん、高瀬さんの流木の作品のいすに坐る>

斎藤さんが高瀬さんのノートを読む <高瀬さんのノート>
 次の文字が見える。 斎藤さん、高瀬さんのノートを読む <高瀬さんのノート>
 次の文字が見える。

自然と人為

斎藤さん、高瀬さんのノートを読む <流木の造形『空が恋しい』>
<流木の造形『少年の夏』>
<流木の造形『砂のゆくえ』>

<流木の造形を制作する高瀬さん>

<作品を撮影する坂本さん>
<流木の造形『蝉の女 樹液』>

 「大磯でとった時は、高瀬さんの仕事場のその時のその光でとった。」 <『風の化石』(筑摩書房)の写真>
 『風の化石』担当した中川美智子さんの話。 <作品集の構成、ブックデザインを担当した吉田篤弘・浩美夫妻の話>

<流木の造形『蝉の女 めざめ』>

<東大教授、藤森照信さん>

 建築家、建築史家の藤森さんは、作品集をみて、その魅力にひかれ、個展を見にいった。
 藤森照信さんの話。 <流木の造形『カワウソに変身した僕』>

<流木の造形『KARASU』>

<流木の造形『五月の朝』>

(以下、27日に、追加しました。)

よりかからず

<高瀬さんの絵『一本の茎』1994>

<茨木さんの詩集、数点>

斎藤さんの語り。 <流木の造形『蝉の女 ひざし』>

茨木のり子さんの話。 斎藤さんの語り。 <茨木さんの詩集、『倚りかからず』>
<高瀬さんの絵『倚りかからず』1999>

生きている不思議・死んでゆく不思議

斎藤さんの語り。 高瀬さんのノート。 <高瀬さんの写真>

生きている不思議
死んでゆく不思議

今、大切なことに生きる


斎藤さんの語り。 高瀬省三 個展 平成14年8月22日ー27日
9月5日ー10日

 個展の会期の後半から、高瀬さんの体調は、すぐれなくなった。 9月13日
高瀬さんの日記の最後。 <流木の造形『午後の魂 男』『午後の魂 女』>


高瀬久子さんの話 平成14年10月6日
高瀬省三旅立つ
60歳


時空を超える

<大磯海岸に立つ斎藤さん>

斎藤さんの語り。
<大磯海岸、潮の音>
(完)

<感想>


 すばらしい構成で、私の付け加えることはありません。芸術家や宗教者は、同じようなことを見ているようです。それだけを断片的に、ご紹介しておきます。

自然と人為

 高瀬さんの言葉にこうあります。

 建築家の藤森さんの言葉にこうあります。  禅は、諸法実相、真の自己を探求することだという。「自分」と思っていたそれが本当の自分ではなくて、別のものではないのか、と思いあたる、そこが発心。そこから、人為ではない人為というような修行が始まる。修行は人為であるが、自然にまかせた功夫なき功夫を行う。やがて、自己が全く新しい表情を見せる。もともと、あったことに「ただ発見するだけ」。

 道元禅師の「弁道話」に次の言葉があるのは、このことであろう。  自然、人為でない自己の実相が、そなわっているが、見えなくなって自分や他者を苦しめる。人為にみえる(人為でない)「修」行をしなければ、現れない。思想的理解ではなく、現実に自分の心で証明(自内證)するのでなければ、現実に活きて働く力を得ることはできない。
倚りかからず
 茨木さんの詩。  作家の灰谷健次郎氏は、こう言う。  宗教も学問もいらない、とはどういうことであろうか。宗教は、心の救いを得られるはずのなのに、宗教に依存して、主体性を失ってしまい、宗教に搾取されることがある。宗教からの搾取の問題を大越氏が論じている。  道元禅師は、『現成公案』巻で次のようにいう。  「萬法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸佛なく衆生なく、生なく滅なし。」というのだから、そこは、思想、宗教、学問、権威の通用しないところである。
 釈尊は「さいの如くただ一人歩め」といい、「自らを燈とせよ」と言った。臨済は、無位の真人を自覚し主人公として生きよ、という。このように生きる者には、思想、宗教、学問、権威などに、よりかかることはない。釈尊の仏教とは、宗教でない宗教であろう。
生きている不思議・死んでゆく不思議
 ゴーギャンの絵に「我々はどこからきたのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という題の絵がある。
 日本画の巨匠、東山魁夷画伯は、こう言った。  次に道元禅師の『現成公案』巻の「たきぎ、灰」の関する言葉を引用するが、生は死になるとは言わない、という。
たき木、灰
 たきぎ、灰というと、道元禅師の『現成公案』巻の一節が思いうかぶ。  生は死になると言わない、死は生にならない。

今、大切なことに生きる


斎藤さんの語り。
高瀬久子さんの話  「今」とは、どんな時だろうか。道元禅師は、『現成公案』巻で次のようにいう。高瀬さんが、絵や流木に打ち込んでいる時、まどいもさとりもないのではないか。すべて我にあらざる時節。

時空を超える

 高瀬さんの言葉。  道元禅師が如浄禅師から与えられた印可の証明の系図(嗣書)を見ると、釈尊から出た赤い線が2代目の摩訶迦葉につながれ、代々線が引かれて、如浄禅師から道元禅師へ赤い線が引かれ、道元禅師のところで終わらずに、道元禅師から赤い線が釈尊に延びている。道元禅師の弟子が釈尊になっている形である。古代人の釈尊の解脱成道の驚きとよろこびを共感した道元禅師。道元禅師が釈尊の仏道は本物であると印可するのだろう。師が弟子を印可するしかないのが世俗の道であろうが、仏教には弟子が師を印可するという道理もあるようだ。

斎藤さんの語り  道元禅師には、『正法眼蔵』に『有時』の巻がある。「有」(う)とは、存在のこと、空間を占める存在。『有時』とは、存在と時間である。空間と時間といってよい。それを探求している。道元禅師には『生死』の巻もある。「生死を超えて仏になる」という。『現成公案』巻の「萬法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸佛なく衆生なく、生なく滅なし。」という文も、迷いもなく、生滅なく、仏や衆生もない。時空を超えたところなのであろう。
 求道の芸術家、高瀬省三さん。
 
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