禅と文学

宮沢賢治

『セロひきのゴーシュ』

『セロひきのゴーシュ』

 ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係。楽団の中で一番へたで楽長からいつもしかられる。
 そこで町外れの水車小屋の自宅に帰って猛烈に練習する。
 深夜、三毛猫、かっこう、子狸、ねずみの親子がかわりばんこにたずねて来て、ゴーシュにセロをひいてくれるよう頼んだり、教えてくれたりする。かっこうが来たときには、繰り返しひくようにいうので、ゴーシュは 怒って、おどして追い返した。
 演奏会は大成功し、特にゴーシュは人々のかっさいをあびる。
 その夜、自宅に戻ったゴーシュはかっこうを思い出しながら、
 「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ。」と空にむかっていう。

自分を忘れるほど

  「水をごくごくのむとそっくりゆうべのとおりぐんぐんセロを弾きはじめました。十二時は間もなく過ぎ一時もすぎ二時もすぎてもゴーシュはまだやめませんでした。それからもう何時だかもわからず弾いているかもわからずごうごうやっていますと誰か屋根裏をこっこっと叩くものがあります。」
 芸術も無心で製作する。我ではない、はからいのつきた人からすぐれた芸術が生まれるのだろうか。
 茶道の千利休は、うまくつくろうとしたのではない無名の陶工が作った茶碗に美を発見して茶器にしたという。芸術ばかりでなく、何事においても、我を棄てて、我を忘れて動く時こそ、人間の働きではなく仏の働きがでるのだというのが仏教である。
 ゴーシュは無心だった。
 ゴーシュは演奏会の時、自分がうまくなっているということに自覚がなかった。それがよかった。
 人は、ほこる時、十分な力が発揮されない。仏性は、ほこり、自慢、慢心で雲る。
 ゴーシュの本当の試練はこれから始まる。うまくなったということにとらわれず、おごらず、慢心をおこさず、やっていけるかどうか、この童話ではわからないが、慢心をおこした人の行く末は他の童話で扱っている。

本当に身につく教え

  「それから窓をあけていつかかっこうの飛んで行ったと思った遠くのそらをながめながら
 「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ。」と云いました。」
 童話はここで終わる。指導者の深いこころに気がつくのが、師の生きている間なら、お礼に参上できるが、去っていった[かっこう]のように、お礼もいえない場合がある。気がつくのが数年後、その師が死んだ後ということもある。

 ゴーシュのために自己犠牲で教えたカッコウ。後で教えの意図に気が付き、遠くから感謝する。
 禅の師は意図を隠して試す、行動する、時には怒らせる、などの独特の指導をする。それでしか体得されないものがある場合、そうするしかないからである。 その時は、師のしうちを恨み、怒り、しばらく遠ざかることもある。そのうち「はっ」と気がつく時がくる(来れば幸いであるが。)。そして、あの時の一見冷たい仕打ちは、これに気がつかせるためだったのかと、感謝の涙を流す。禅の語録を見れば、そのような場面は多い。
 禅の指導者は、自分を恨ませてまで(無我ゆえ)も、きわどい方法によって、微妙で、わかりぬくい、我見や我執に気がつかせようとする。
 千利休の一見不可解な言動もそれである。相手が秀吉のような権力者の場合は、危ない。慈悲の心を知らず、怒ってしまって、切腹、追放を命じるおそれがある。利休のような深いこころがわからぬ連中が敵対心を持っていると、利休の不可解な行動をこれ幸いとばかり、悪く受け取り、「あなたをないがしろにする行為だ」とあおる。
 現代でも、そのような指導者の心を知らず、不可解な行為、一見無作法な言動に凡夫の基準で反応して去っていく人も多い。それがわかっているが、真の道は、それでしか伝わらない場合は、そういう指導も行う。
 宗教では禅独特の指導法であろうが、真実厳しい芸術においては同様の指導が行われているかもしれない。やさしいばかりが教育ではない。甘やかされた人は成長がないのではないか。
   
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