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禅と日本文化

宮沢賢治

宮沢賢治の宗教批判

宮沢賢治のもう一つの解釈

 宮沢賢治の童話の中では『銀河鉄道の夜』がよく知られている。賢治の童話は、研究者から種々解釈されているが、賢治の深い仏教を考慮すれば、宗教的には別な解釈ができると思う。『銀河鉄道』も、[本当のさいわいに至る道][仏への道]であり、最後まで行くべきであるのに、途中下車している人々が多いことを批判している。すなわち『銀河鉄道の夜』は、宗教批判である。各種のレベルにある宗教を並べて、みなだめだといっている。これが『銀河鉄道の夜』の真意であると読むのです。

賢治は理解されているのか

 宮沢賢治は生前には認められず、晩年は肥料を売るセールスをしていました。こういうことをせず、認められて文筆活動をしていたら、もっと作品を生み、長生きもできたかもしれません。大衆は愚かです。賢治を理解しませんでした。家族でさえ理解しないのだから無理もありません。人々は、[まっくろいおおきなもの]になっています。確かに現代では、宮沢賢治の名はよく知られています。しかし作品が本当に理解されているでしょうか。賢治は法華経の熱烈な信者でした。母への遺言で、賢治は自分の作品はすべて仏教を書いたものだ、といったそうです。賢治を本当に[本当に]理解したのなら賢治ほどの法華経の実践者(現代数多い法華経教団の法華経信仰とは違います。)になる人が多いはずです。しかし、そういう傾向もありません。やはり賢治は本当には理解されていないのではないかという気がします。

賢治の宗教批判

 『銀河鉄道の夜』の解読に入る前に、賢治の宗教批判を理解しておきたい。 賢治の宗教批判は数多くありますが、ここではごく一部をご紹介します。

今の宗教はおかしい

 宗教は疲れて、善を売る商売になっているが、そんなものはわれらが必要とするものではない。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
「宗教は疲れて近代科学に置換されしかも科学は冷たく暗い」
「いま宗教は芸術家とは真善もしくは美を独占し販(う)るものである
われらに購(あがな)ふべき力もなく 又さるものを必要とせぬ
いまやわれらは新たに正しき満ちを行き われらの美をば創らねばならぬ」
      (『農民芸術概論綱要』)

「見えざる影に嚇(おど)された宗教家 真宗」
「いま宗教は気休めと宣伝 地獄」

      (『農民芸術の興隆』)

死後のことを保障する宗教

 死後のことをわかっていないくせに、保障するようなことをいう宗教者。

「天国行きのにせ免状を売りつける」(全集1、501、674)

賢治は金儲けや利害に走る者を嫌悪

 宗教では真理といいながら、教団内の己の地位名誉を気にする連中ばかりです。
 「私どもの心としては「真理」よりも「真理を得了った地位」を求め
           「正義」よりも「正義らしく万人に見えるもの」を
もとめている事が度々あります。
見掛けは似ていますがこれこそ大変な相違です。」
      (保阪嘉内あて書簡 )

真理ではなく、自分の地位を求める心、このようなことは自分でなかなか自覚できないことです。新興宗教の教祖が己を誇ることもこの賢治から批判されるところです。自分をほこる、慢心、偽善、これを賢治は警戒しています。これがある者は高いレベルの宗教者ではありません。金集めばかりする宗教も賢治は嫌いです。利害のない誠実な心の交際を望みます。

「もうけばかりを夢見る我利我利亡者でない点はなはだ私とも共鳴する」
      (工藤藤一あて書簡)
「利害的成心のない単なる訪問とかいふやうなものは実に私などの環境からは稀にしかあないので、さういふものを貴重に思ふまことに宝珠のごとくです。」
      (森佐一あて書簡)

○宗教でも間違ったものがある

 従って、宗教とはいうが、様々なものがあります。間違った宗教などの信者になったら大変です。慢心、金、権力などに執着していて、それに気がつかない愚かな人間になる恐れがあります。

 「どの宗教でもおしまひは同じ処へ行くなんといふ事は断じてありません。間違った教による人はぐんぐん獣類にもなり魔の眷属にもなり地獄にも堕ちます。」
      (宮本友一あて書簡)

 宗教のなかには、うわべは人々の幸福をいいながら、教祖や幹部の利益を追求して、金をあつめ政治権力をめざそうとして、純真な信者をいつのまにか、金集めと票集めの歯車に組み込むものがある。信者全体が、金や地位を求める、という教祖のミニコピーとなる。大きな魔に巣を食われて、自分が魔の眷属になっていることに気がつかない。

 「保阪さん、私共は今若いので一寸すると、始め真実の心からやりだした事もいつの間にか大きな魔に巣を食われて居る事があります。何とかして純な、真の人々を憐れむ心からすべての事をして行きたいものです。さうする事ばかりが又私共自身を救うの道でしょう。」
      (保阪嘉内あて書簡)

 宗教には種々のレベルのものがある。私たちのすぐそばにある[鉄道]の沿線にお勉強のサロン、商売繁盛が最大関心の金集めの宗教道場、死後の行く先が気になる人のための宗教道場がある。
 そんなのは、みな本当のものじゃない。[銀河鉄道]に乗って、つまらないところで途中下車せずに、[本当のさいわい]に到達するまで乗っていよう。