禅と文学
宮沢賢治
『マグノリアの木』
賢治は現実の宗教、仏教を批判したが、本来、仏教とは、どうあるのかを説いている童話のひとつが『マグノリアの木』である。
しのびをならふ道場
諒安という人が、峰から谷へ、谷から峰へ歩いていく。
「つやつや光る竜の髯のいちめん生えた少しのなだらに来たとき諒安はからだを投げるやうにしてとろとろ眠ってしまひました。
(これがお前の世界なのだよ、お前に丁度あたり前の世界なのだよ。それよりももっとほんとうはこれがお前の中の景色なのだよ。)
誰かが、或いは諒安自身が、耳の近くで何べんもこう叫んでいました。
(そうです、そうです。そうですとも。いかにも私の景色です。私なのです。だから仕方がないのです。)諒安はうとうととこう返事しました。
(これはこれ
惑ふ木立の
中ならず
しのびをならふ
春の道場)
どこからかこんな声がはっきり聞こえて来ました。諒安は眼をひらきました。霧がからだにつめたく浸み込むのでした。」(1)
「ここは、しのびを習う「道場」。『かしわばやしの夜』では画かきが清作に何度もしのばせる。「しのびをならう春の道場」
賢治は法華の行者。その人が、「しのび」といえば、大乗仏教の「六波羅蜜」の修行の一つ「忍辱」である。忍辱などの行によって、「ここ」「自分」を追及する。自分がいつもいるところ、「ここ」が仏教者の道場。
「忍辱」とは、大智度論などに詳細に説かれているが、道元禅師の正法眼蔵「一百八法明門」によれば、次のとおりである。
「忍度是れ法明門なり、一切の嗔恚、我慢、諂曲、調戲を捨し、是の如きの諸の惡衆生を教化するが故に。」 (2)
六波羅蜜は、六度ともいい、この文では、忍度となっているが、忍辱波羅蜜のことである。要するに、忍辱とは、貪瞋痴などの煩悩、つまり、自他を苦しめる汚れた心を捨てていく生活実践である。賢治の期待するものの真剣さがわかる。
なお、忍辱は、怒り・不満などをかかえながら爆発させないというような意味の「我慢」ということではない。自他を苦しめる元になる幅広い汚れた心作用をさす。
「これがお前の世界なのだよ、お前に丁度あたり前の世界なのだよ。」
いま。どんな境遇であろうと、それが自分の世界。貪瞋痴などをすてて「忍辱」しながら、受け入れていくべき、自分に当たり前の世界。
「これがお前の中の景色」。山川草木は自分の世界、自分である、それを探求するのが仏教であり、禅である。道元禅師も同じことをいう。華厳経もいう。
それを自覚した時、世界が異なって見える。それは、この後に感動の言葉で語られる。
すべてが、自分の世界、この自分が作るもの、と自覚した時、「何というりっぱさだろう」と自己と自然がひとつ、自己と他人がひとつ、というそのような自己のすばらしさに感動する。だが、諒安は、まだ、そこにはとどいていない。
(注)
- (1)宮沢賢治全集6、137頁。
- (2)「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1990年、444頁。
一つの平らな枯草の頂上
諒安はたちあがり、さらに歩いていく。
「諒安はにが笑ひをしながら起きあがりました。
いきなり険しい潅木の崖が目の前に出ました。
諒安はそのくろもじの枝にとりついてのぼりました。くろもじはかすかな匂を霧に送り霧はにはかに乳いろの柔らかなやさしいものを諒安によこしました。
諒安はよぢのぼりながら笑ひました。
その時霧は大へん陰気になりました。そこで諒安は霧にそのかすかな笑ひを投げました。そこで霧はさっと明るくなりました。
そして諒安はたうたう一つの平らな枯草の頂上に立ちました。
そこは少し黄金いろでほっとあたたかなやうな気がしました。」(3)
道場で「しのび」の歩みを続ける。高い絶壁につきあたり、超えられず挫折していく人もいる。人を害し獄に入る人、心をやみ、自殺する人。諒安は、壁を乗り越えた。まず、「霧」が陰気になった。そして、明るくなった。霧は何だろうか。前に伏線があった。すべてが自己。ならば、霧は自己。それが陰気になって、ついで、明るくなって、ついに頂上に達した。自己を忘じ(陰気)て、一つの頂きに達した。悟りだろう。賢治は、禅と同じ悟りの体験をしたと思われる。それは、他の童話や詩を見ても、推量できる。
(注)
汗の匂い、考え、黒い馬
前の続きです。
「そして諒安はたうたう一つの平らな枯草の頂上に立ちました。
そこは少し黄金いろでほっとあたたかなやうな気がしました。
諒安は自分のからだから少しの汗の匂ひが細い糸のやうになって霧の中へのぼって行くのを思ひました。その汗という考えから一疋の立派な黒い馬がひらっと踊り出して霧の中へ消えて行きました。
霧が俄かにゆれました。そして諒安はそらいっぱいにきんきん光って漂ふ琥珀の分子のやうなものを見ました。それはさっと琥珀から黄金に変り又新鮮な緑に遷(うつ)ってまるで雨よりも滋(しげ)く降って来るのでした。
いつか諒安の影がうすくかれ草の上に落ちていました。一きれのいいかをりがきらっと光って霧とその琥珀との浮遊の中を過ぎて行きました。」(4)
「その汗という考えから一疋の立派な黒い馬がひらっと踊り出して霧の中へ消えて行きました。
心の微妙な様子を自覚した。これを知らないから、多くの人が苦悩する。他者を害する。
匂いから「汗」という言葉。事実から言葉、言葉から妄想、幻覚、苦悩、他者を害する行動が。そういうのが心の作用。自他を苦しめるプロセス。
「琥珀の分子のやうなものを見ました。それはさっと琥珀から黄金に変り又新鮮な緑に遷(うつ)って」。これは、何を象徴しているのだろう。
「諒安の影がうすくかれ草の上に落ちていました。一きれのいいかをりがきらっと光って霧とその琥珀との浮遊の中を過ぎて行きました。」これも、何を象徴しているのだろう。仏教、禅にかかわりが、あるのだ。
(注)
マグノリア
前の続きです。
「と思ふとにわかにぱっとあたりが黄金に変りました。
霧が融けたのでした。太陽は磨きたての藍銅鉱のそらに液体のやうにゆらめいてかかり融けのこりの霧はまぶしく蝋(ろう)のやうに谷のあちこちに澱(よど)みます。
(ああこんなけはしいひどいところを私は渡って来たのだな。けれども何というこの立派さだろう。そしてはてな、あれは)
諒安は眼を疑ひました。そのいちめんの山谷の刻みいちめんまっ白にマグノリアの木の花が咲いているのでした。その日のあたるところは銀と見え陰になるところは雪のきれと思はれたのです。
(けはしくも刻むこころの峰々に いま咲きそむるマグノリアかも。)こういう声がどこからかはっきり聞こえて来ました。諒安は心も明るくあたりを見まわしました。
すぐ向ふに一本の大きなほほの木がありました。その下に二人の子供が幹を間にして立っているのでした。」(5)
今まで来た道を振り返ってみてみる。「こころ」の峰をみている。けわしかった。だが、今は平らか。
「マグノリアの木の花」は何だろうか。同じものが、違って見える。「銀」と見えたり、「雪のきれ」と思えたり。その解明は、この後に出てくる。
(注)
マグノリアは寂静印
前の続きですが、少しとばします。諒安は、歌っているこどもに近づいていきます。
「諒安はしづかに進んで行きました。
「マグノリアの木は寂静印です。ここはどこですか。」
「私たちにはわかりません。一人の子がつつましく賢こそうな眼をあげながら答へました。」
「さうです、マグノリアの木は寂静印です。」
強いはっきりした声が諒安のうしろでしました。諒安は急いでふり向きました。子供らと同じなりをした丁度諒安と同じくらいの人がますぐに立ってわらっていました。
「あなたですか、さっきから霧の中やらでお歌いになった方は。」
「ええ、私です。又あなたです。なぜなら私といふものも又あなたが感じているのですから。」
「そうです、ありがとう、私です、又あなたです。なぜなら私といふものも又あなたの中にあるのですから。」
その人は笑ひました。諒安と二人ははじめて軽く礼をしました。
「ほんとうにここは平らですね。」諒安はうしろの方のうつくしい黄金の草の高原を見ながらいひました。その人は笑ひました。
「ええ、平らです、けれどもここの平らかさはけはしさに対する平らさです。ほんとうの平らさではありません。」
「そうです。それは私がけはしい山谷を渡ったから平らなのです。」
「ごらんなさい、そのけはしい山谷にいまいちめんにマグノリアが咲いています。」
「ええ、ありがとう、ですからマグノリアの木は寂静です。あの花びらは天の山羊(やぎ)の乳よりしめやかです。あのかをりは覚者たちの尊い偈(げ)を人に送ります。」
「それはみんな善です。」
「誰の善ですか。」諒安はも一度その美しい黄金の高原とけはしい山谷の刻みの中のマグノリアとを見ながらたづねました。
「覚者の善です。」その人の影は紫いろで透明に草に落ちていました。
「そうです。そして又私どもの善です。覚者の善は絶対です。それはマグノリアの木にもあらわれ、けわしい峯のつめたい巌にもあらわれ、谷の暗い密林もこの河がずうっと流れて行って氾濫をするあたりの度々の革命や飢饉や疫病やみんなの覚者の善です。けれどもここではマグノリアの木が覚者の善で又私どもの善です。」
諒安とその二人は又恭しく礼をしました。」(6)
これで、この童話は終わる。ここにも、多くの仏教の思想が込められている。しかも、これから、応答が、打てば響くように、Aが言えば、すぐ、Bがよどみなく同意する。二人の呼吸がぴたりとあっている。仏教の心髄、人間の真実について、このような会話のできる友を持ちたいものである。
「マグノリアの木は寂静印です。」と、マグノリアは、すべての人の本質、「寂静」だと明かされた。「印」とあるのは、仏教の三法印、または四法印のなかに、「涅槃寂静」があるためであろう。インドの初期仏教経典で、悟りの境地を、「涅槃寂静」と表現している。
「けれどもここの平らかさはけはしさに対する平らさです。ほんとうの平らさではありません。」。平らかさは、二元対立の平らかさではない。絶対だという。対立を超えたところの寂静、安楽。
その寂静は「覚者の善」とも言う。覚者とは、「目覚めた人」、ブッダ、仏教では「悟道者」をさす。その覚者の善が、寂静。気がついた人は、それが自覚される。だが、すべての人のものなのである。「ここ」「しのびをならう」道場にある。
すべてのものが自己。ものと自己が一つで対立のない、絶対である。自他を超えた自己は、仏である。それを自覚したものを覚者という。
「そうです。そして又私どもの善です。覚者の善は絶対です。それはマグノリアの木にもあらわれ、けわしい峯のつめたい巌にもあらわれ、谷の暗い密林もこの河がずうっと流れて行って氾濫をするあたりの度々の革命や飢饉や疫病やみんなの覚者の善です。けれどもここではマグノリアの木が覚者の善で又私どもの善です」
覚者の善とは、覚者が自覚した自己。もともと、人は誰でも二元対立を超えたところ(絶対の今)に生きている。「絶対」とは、最高の価値という意味の比較した絶対ではない。対立を超えていることである。すべてと一つの対立のない自己。世界すべてが自己。自己でないものはない。
対人関係をいう時は、こうなる。「そうです、ありがとう、私です、又あなたです。なぜなら私といふものも又あなたの中にあるのですから。」
自他一如。あなたが私で、私があなた。華厳経に「因陀羅網」の教説がある。互いが互いを映しあっている。自分と他者は、別ではない。これは華厳の世界観である。ここまでいうのは、賢治が単なる法華経の文字の解釈ではなくて、「因陀羅網」の世界を実感したのであろう。賢治は「インドラの網」という童話も書いている。華厳経の「因陀羅網」を象徴したものであろう。
賢治は、法華経の文字の解釈による法華経の行者ではない。法華経の文字を超えた真の法華経の実践者であると思う。道元禅師も、法華経は「経中の大王」という。経典は、論理的、説明的に書くのが多い(だから知識の習得になりがち)中にあって、法華経は、仏教指導者の指導法を説いている。だから、仏教教理が何もない、と誤解されがちである。だから、また、法華経を信じるといいながら、その精神が全く活かされないことにもなる。法華経は、教理を説明的に説かないのに「経中の大王」であるということは、最も難解な経典ということになる。道元禅師、白隠禅師、良寛さま、など賞讃するわけである。そして、宮沢賢治も。
(注)
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「てづくり素材館 Crescent Moon」