禅と文学
宮沢賢治
『かしわばやしの夜』
『かしわばやしの夜』
日暮れ時、はたけ仕事に精出していた清作は、柏林のそばで赤帽の画かきに出会い、おかしな挨拶をしかけられて変わった応答をしたところ、画かきに柏林の<夏のおどりの第三夜>に誘われる。
画かきが出てくるのは、漱石の『草枕』にも似た設定がある。変わった応答は禅の問答のようだ。禅には「柏樹子」の公案がある。仏とは何か。「柏の木だ」。柏の木から仏の真実が語られる。
柏の木がものをしゃべる。清作を馬鹿にした歌を歌っている。清作は怒って飛び出そうとする。
画かきがそれを止める。
「清作はもうとびだしてみんなかたっぱなしからぶんなぐってやりたくてむずむずしましたが、画かきがちゃんと前へ立ちふさがっていますので、どうしても出られませんでした。」
画かきは、とらわれのない「仏性」、実践的には「正念」を象徴しているだろう。画家は創造者である。仏性は、すべてのものを生み出す。
清作は、人間くさい人間、つまり「自我」の象徴である。
創造者である画かき(仏性)「正念」の働きは、清作(自我)が飛び出すと、かくれる。
柏の歌は言葉以前の仏性の働きである。「正念」でいる時、生きた事実を見ている。
坐禅する時のように、とらわれない心でものを見ていれば、心の底から生のままの真実の姿が次々と生み出されている。自我をださない時こそ、その人の仏性がいっぱいに働く。自我をだしたとたんに、仏性の創造的働きが隠れる。逆に正念の工夫ができると「怒り」も爆発させずにすむ。
やがて霧が落ちてくると、柏の木たちは、動かなくなる。画かきも姿を消した。
「柏の木はみんな度をうしなって、片脚をあげたり両手をそっちへのばしたり、眼をつりあげたりしたまま化石したようにつっ立ってしまいました。
冷たい霧がさっと清作の顔にかかりました。画かきはもうどこへ行ったか赤いしゃっぽだけがほうり出してあって、自分はかげもかたちもありませんでした。」
賢治の友人の保阪あて書いた手紙に「化石してはだめです」とあった。
今まで清作(自我)と画かき(仏性、本当の自己、実践的には正念)がそばにいた(いやぴったりひとつだということを象徴)ので、言葉以前のものの真実が見えていたが、霧がきたとたん、画かきは消えて、もう自我の執着した眼、硬直した知性でしか見られず、柏の木たちの踊る姿(ものの本源の姿)も見えなくなった。画かきのぬけがらの赤い帽子だけが残った、「自分はかげもかたちもありませんでした」というおかしな云い方が読者にヒントを与えている。普通なら「画かきの姿はありませんでした」というところを「じぶんは」と言っている。人はみな「自分」があると思って執着し様々な争い、苦悩がおこり、真の自分が隠れる。
清作が林を出ると、画かきの叫び声が遠くかすかに聞こえてくる。
「林のずうっと向うの沼森のあたりから、「赤いしゃっぽのカンカラカンのカアン」と画かきが力いっぱい叫んでいる声がかすかにきこえました。」
画かき(仏、自己の本性)を遠くにみているようでは、だめである。いつも自分とひとつであることを自覚しなければならない。しかし、一時であっても、清作は、悟りの世界を見た。
これを活かすかどうかは、また自分(本人)にかかっている。
この童話は、自我と本性はひとつであり、自我も本性も「すがたはない」という、無相、無我の人間の本質を裏に秘めて書いたのである。そのような本当の自己は芸術を創造する者である。人はすべて芸術家であり、創造者である。そんな自己の本当の姿をこのような童話にした宮沢賢治は偉大であるが、多くの読者、評論家、宗教者は、ただの童話と馬鹿にしているのではないだろうか。
この童話は賢治が生前に出版した童話集『注文の多い料理店』におさめられている。
賢治は宗教を変革したかったという。この童話集は宗教者にも送ったが理解されなかった。
自己の真実の姿、これが『法華経』なのである。賢治の意図がわかるであろう。そしてなぜ、現代の法華経学者や法華経教団の僧侶でも賢治を理解できないかも理由がわかるであろう。彼らの『法華経』と賢治の『法華経』は全く違っているのだから。賢治はいわゆる文字の理解の『法華経』信者ではなかった。
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