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禅、仏教は社会に貢献できる =これらの学説への批判・反対意見=(整理中) | |||||||
| 正信論争への批判 | |||||||
| 佐橋法龍氏から |
・批判1=昭和正信論争以前=自己の信仰を宗学とする
・批判2=昭和正信論争以後=自己の信仰を宗学とする ・批判3=学問をはばむ三つの危険 | ||||||
| 竹林史博氏から |
・忽滑谷快天氏への批判=論文編集に偏り
・正信論争の新資料の発掘 ・「曹洞宗正信論争[全]」の出版 | ||||||
| 大田から批判 |
・批判1=衛藤即応氏への批判
・批判2=榑林皓堂氏への批判 | ||||||
| 鈴木大拙から |
鈴木大拙氏=悟り、見性
鈴木大拙=悟りを学者が否定するのは言いすぎ | ||||||
| 伊吹敦氏による批判 | |||||||
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独断的、恣意的な学問 教団への批判 |
・大学の学問が「極めて独断的、恣意的」 (宗派内でしか通用しないような閉ざされた「学問」に閉じこもり、不毛な議論に終始している) | ||||||
| 三枝充悳氏などによる批判 | |||||||
| 仏教は十二縁起説を思惟するのみ説への批判 |
・批判=縁起は初期段階説
(十二縁起説は、やや後期に成立した説である。苦の原因・解決法の説明の一つである。実際の苦悩解決には八正道の修行が必要である。八正道が先にあって、仏教は十二支縁起説なしで成立した。十二支縁起説を思惟するのみが正しい仏教というのは偏見である。)
・(6部)仏教学の再検討 (6部は、すべて、縁起のみが仏教と考えている学者への批判である。仏教は、修行を必要であるとしたというのが誠実な学者の見解である。) | ||||||
| 大田健次郎による批判 | |||||||
| 悟りを否定する説への批判 |
・酒井得元氏の説に関連して (釈尊、道元、白隠は、世間に背を向けて、自分たちだけ坐禅していれば終わりといったわけではない。世間との接触を持ち他者救済を強調) (ほかに多数の批判論文があるが、そのうち整理します) | ||||||
| 縁起を考えることのみが仏教という説への批判 |
・十二縁起は初期段階で理解
(十二縁起には、貪(苦悩する他者を見捨てて知識偏重の貪りも含む)・瞋(己の見を絶対視して怒るのを含む)の捨棄、見取見等捨棄の「実践」や、無明から晴れるという「解脱」がある) ・「仏教は縁起のみ」の批判 (松本史朗氏の説への批判) ・煩悩の捨棄という観点からの批判 | ||||||
| 「慈悲」は傲慢という説、、他者救済への批判 |
・大乗仏教は次のとおり「慈悲」を強調。が、上記の学者・僧侶はこれを否定。慈悲は心を病む人を治療する医療行為であり、傲慢はいかなる人間の行為にも起こりうる心理(特に煩悩)であり、医療行為自体は否定されてはならない。
・社会を指導すべき専門家ともあろう人々が「認知のゆがみ」 | ||||||