角田氏の「社会性」説に疑問
=1、吉津宜英「やさしい宗学」の提案あり
=2、その中の「社会性」について角田康隆氏からの問題提起
=3、その角田氏の「社会性」説に疑問
??? 昭和・平成の宗学論争 ???
一部の学者から、「不毛の議論」をしていると酷評される禅の学問。昭和から平成の現代まで学者は何を論争してきているのか。
種々の学問方針が提案されてきた。角田泰隆氏(駒沢短期大学)がその主要な方針を整理した論文「宗学再考」があるので、それで禅の学問の歴史を概観したい。
吉津宜英氏(駒沢大学)は「やさしい宗学」を提案した。その中にある「社会性」について、角田康隆氏からの問題提起がある。
その角田氏の「社会性」説に疑問がある。
学問、学者の「社会性」
角田康隆氏は、種々の宗学の提案を概観した後で、社会性についての意見を述べている。その主張に少し疑問がある。(A)-(G)の記号は、原文にはなかったもので筆者(大田)が挿入した。この部分について、考えてみたい。
(角田氏)
「これまでの「宗学」に対するものとして、松本・「批判宗学」、石井・「新宗学」、吉津・「やさしい宗学」の中に、ほぼ共通の主張がある。たとえば松本・「批判宗学」では「7.批判宗学は、本質的に、社会的(「誓度一切衆生」)でなければならない」とし、石井・「新宗学」では「8.あるべき教団の教化学へ提言できる視点」「9.教化学への提言」という表現をし、吉津・「やさしい宗学」では、「現実の社会的諸問題への具体的提言」をすべきであるとしている。
新たな「宗学」の提言者が、一様にこのような社会性を言っていることは、筆者には非常に興味深い。」(1)
(大田)この部分は特に異論はない。ただ、以下の考察のために「社会性」とは、教団、僧侶に直接貢献することではなくて、直接、または、間接的に、教団の外、すなわち、信者、檀家、教団を取り巻く社会へ貢献することであるという意味である、としておこう。その「社会性」の活動内容を、二種に区分したい。
- (1)教義に基づく社会性=開祖(道元)の教義にあって、それによって社会に貢献するもの。坐禅、苦の解決、悟り、など。
- (2)教義によらない社会性=開祖の教義になく社会に貢献する活動。たとえば、学問、在家の葬儀、道元の調節の教えではないボランティア活動(布施の一種ではあるが道元の主要な教義ではない)、などは、社会に貢献している。しかし道元の特徴ある教義ではないか、または、道元が認めないものによる社会貢献活動。
(角田氏)
「しかし、筆者の思うに、(A)宗学という学問自体は、社会的であるわけでも、社会的でないわけでもない。たとえば、宗学には、書誌的研究・歴史的研究・思想的研究等あるが、書誌的研究で、著作の撰述年代を考察したり、歴史的研究で道元禅師の両親は誰かというような研究をしたりする。これらはもちろん宗学であるが、必ずしも社会的であるとはいえない。
社会的でなければならないのは、宗学そのものではなく、宗学を研究する研究者であり、(B)研究者は時には、学問のための学問ではなく、社会に貢献するための学問を行わなければならないと思うのである。
松本・「批判宗学」が言うように、「本質的に、社会的でなければならない」というなら、「批判宗学」のみならず「仏教学」も「禅学」も「宗学」も社会的でなければならないであろうが、(C)学問は必ずしも社会的ではないと筆者は考える。また、「具体的提言」まで含めて「学問」であるのか、疑問である。(D)社会に対する具体的提言は、学者において、学問研究をもとに行われるべき社会的実践なのではないか。」
(大田)
(A)について。
たしかに、書誌的研究・歴史的研究・思想的研究等は、直接には、社会性を持たないが、しかし、ほとんど、すべての学者が、そういうことをしていて、社会性を持つ学問がなくていいのか。曹洞宗の宗学者が、百人いたとして、(1)教義に基づいて直接社会に貢献できる部分の学問をする人も少しはいるのか。直接、社会に貢献するのが学問ではないとしても、教団が社会性を持たない場合に、それを批判するのも学問ではないのか。そういう批判をする場合に、社会への貢献ということを開祖がどう考えていたかを研究しない学問では批判できない。そういう部分を専門に研究している学者はいないのか。いなくていいのか。
(B)(C)(D)について
この部分は、賛成したい。学者たるものは、たとえ、学問内容は社会性を持たないものであっても、学者は、一生のうちにいくばくかは、社会に貢献する学問をしなければならないという意味であろうか。次の(C)(D)の言葉とも関連する。「具体的提言」は、学問ではなく、そこまでやるかどうかは、学問ではなくて、社会的実践だというのであろう。たとえば、学問によって、道元禅師の思想は、「これこれ」であることがわかった、そこまでは「学問」だろう。この学問の結果から、今の教団は、それにあうことをしていない。教団は、こうするべきだ、というような提言であろう。それは、そうするべきであろう。そうでなければ、宗教という社会性を持つ領域の学問をした学者(とくに、「宗学」の場合、同時に自分でも僧侶である学者が多い)が生涯、社会に貢献できないことばかりをすることになる。実際、提言をしてきた学者がいる。自分の研究結果をもとに、何かを提言した時、もし、その研究成果が、自分の信仰や、独断・偏見に基づくものであった場合に、その悪影響は甚大である。学者の提言は、大学で学生に、書物をとおして教団の僧侶や社会人に伝えられるので影響が大きい。これまでは、現実の教団の行動を批判する学問は少なかった。「目的を持たない坐禅」という幾人かの僧侶の主張、それは社会から隔絶した禅思想であったが、それをささえる研究が多かったのは「昭和正信論争」でみるとおりある。「批判宗学」に至って、「坐禅は仏教ではない」として、そのような僧侶を批判する学問が脚光をあびた。その研究成果を学問だから正しいと受け入れる僧侶は、坐禅をしないことを正当化されて喜ぶであろう。しかし、初期仏教の研究者の研究成果によれば、坐禅は、釈尊も実践していた可能性が高い。「伝統宗学」もそうであったが、「批判宗学」の学者も過ちを犯している可能性がある。そうすると、学者による「提言」も慎重でなければならないことになる。
(角田氏)
「とにかく、(E)社会的であるべきは「仏教教団」であり、そして、「宗派」・・・「曹洞宗」である。仏教教団が、そして曹洞宗が社会的でないとしたら、これは問題である。」
(大田)
(E)について。
「仏教教団が、そして曹洞宗が社会的でないとしたら、これは問題である」というが、「伝統宗学」は、社会的でない思想である。しかし、「伝統宗学」を主張する人は、社会から恩恵を受けていたであろう。つまり、子供を学校に入学させ教育を受けさせ、自分と家族の生活のために、電気、ガス、水道、食料などの物、サービスを受けたに違いない。しかし、「伝統宗学」は「目的のない坐禅」をするというのであるから、社会には何の貢献もしない(世間の人々に説いて救済しない)ということを言明している解釈である。自分は社会から利益を受けながら、自分からは社会には何も与えないという我利、利己的な思想であった。社会には何も貢献しようとせず、ただ坐禅する、それが学問の成果であった。「昭和の正信論争」以来、それを主張する僧侶と学者が教団によって尊重された。今、それは「社会性」がないと、批判されるとは当然である。吉津氏や松本氏の「伝統宗学」への批判の意味はそこにもあるだろう。
角田氏も、ここまでの文では、それに賛同しているかに見える。しかし、(F)になると、そういう批判を骨抜きにしてしまう。
(角田氏)
「(F)これまでの「宗学」はむずかしいとか、社会にかかわっていないとか、そういうことはない。吉津・「やさしい宗学」では、これまでの「宗学」を「甘い宗学」と位置づけ、「道元だけを見つめて、一切衆生の立場、具体的には社会への諸問題への提言や取り組みが忘れられているようなことでは、「甘い宗学」の謗りも免れない」としているが、(G)道元禅師を見つめながら、深く信仰しながら、社会の現実問題とも大いに関わろうとし、実際に関わっている学者あるいは僧侶は大勢いる。吉津・「やさしい宗学」も、そういう人間の存在を見ているはずである。」
」(1)
(大田)
(F)について。
「これまでの「宗学」はむずかしいとか、社会にかかわっていないとか、そういうことはない。」といわれるが、これに反発されるようでは、吉津氏の批判の趣旨が理解されていないだろう。これまでの宗学とは、「伝統宗学」をさすのであろう。それは、面授嗣法と坐禅が悟りという説にささえられている。
師にあった時に、悟るということ(面授時脱落説)は、実にわかりにくい。苦悩する在家にとって僧侶に会うだけでは何の解決にもならず、人間の心理を無視してわかりにくい。修行もせず、師にあうだけで悟りとは、師を絶対視するカルト宗教のごとく、理解がむつかしい。また、道元の語録の至るところに、師にあって修行してから悟道することを重視する言葉が道元禅師の語録に多いのに、師にあった時悟るとか、わけもわからないで坐禅しても悟りという「伝統宗学」は、理解が困難である。「伝統宗学」は、決して、やさしくない。
次に、(G)で述べるように、社会性を持たない解釈である。利他をしない、できないでよい、つまり社会に出ていかなくてよい、という解釈である。ただ坐禅していればよい、それが悟り、最終目標であるから。社会の人々の苦悩は知らない。事実、在家には在家得度はあっても、在家には嗣法がない。そういう意味を含むことになる「伝統宗学」が、社会性を持ってきたといえるはずがないであろう。
(大田)
(G)について。
「道元禅師を見つめながら、深く信仰しながら、社会の現実問題とも大いに関わろうとし、実際に関わっている学者あるいは僧侶は大勢いる。」という、これが甘いというのが、吉津氏などの警鐘であろう。
「社会の現実問題とも大いに関わろうとし、実際に関わっている」のは、宗教教団としてはその教団が他の教団に併合されることなく独自に存立する意義があるというのならば、その独自の「教義」に基づいて、社会に関わることであろう。
角田氏が社会に関わっている学者、僧侶がいるというのは、道元禅師の独自の教義とは無関係な部分で社会性を持つように努力しているにすぎないだろう。
たとえば、詠歌講、葬儀、難民救済ボランティア、教育事業など、である。こういうことは社会性を持つ活動ではあるから、否定すべきではないが、このような活動自体は、在家でも他の教団でも行うから、道元禅師の宗教から出てくるものではない。その活動の中に、道元禅師の思想(重要な)が活かされているのであればまだよいが(たとえば、詠歌講、葬儀、教育の中で必ず坐禅の精神を組み込んでいるとか。その時に、目的がない坐禅というのでは、これも無用)。
「道元禅師を見つめながら、深く信仰しながら」というが、少数の宗門の僧侶や宗門に関係のうすい学者からは、「坐禅が悟り」というのは、自己の信仰独白におちたもの、独断・偏見といわれるような、道元禅師を真に探求したものではなくて、自分の浅い信仰によって道元禅師を浅く狭く閉じこめた「信仰」であったのではないか。もっとも、角田氏は、「坐禅が悟り」という「伝統宗学」の基本線を肯定している。
だが、「坐禅のみが悟りである」という伝統宗学からは、社会性は、出てこない。坐禅が社会の(坐禅していないところでも)現場でいかされるという(もし、そういえば、「伝統宗学」が崩壊する。坐禅していない時の生活の智慧などが生まれるということになり目的が出てくる)主張が「伝統宗学」にはない(それは道元禅師の問題ではなく伝統宗学者の解釈の問題であろう)。在家の職場や家庭での行動の時ではない坐禅だけを絶対視するから、社会性がない。今、社会には、種々の問題、苦悩が起きているが、「伝統宗学」では、全く、何も提言できない。実際に、道元の教義からの提言を何もしていない。
伝統宗学が社会に背を向けた思想であるので、社会から多くを受ける僧侶はひけ目を感じて、世俗の価値観によって、上記のような活動(詠歌講など)で社会性を持とうとしているのではないか。道元禅師の社会性の真意(坐禅は坐禅していない時の人間の真実、苦をも解明でき、慈悲行によって社会に貢献できる)が伝統宗学で解明されてはいないと考える。
(注)
- (1)角田康隆「宗学再考」(『駒沢短期大学研究紀要』第27号、平成11年3月)、98頁。以下、(角田氏)という引用文は同じ。
(8/21/2003>
(大田評追加)
「伝統宗学」も、「批判宗学」も、自分の信仰、自分の好き嫌いが先にあって、経典や語録の文字を自己都合で選び取り、自己の説に都合のよい解釈をしている。それは、佐橋法龍氏や宗門に直接関係のない学者から指摘されている。
次のように、宗教学者が、自己と厳しく対決していないと、哲学者がいっている。人種差別、飢饉、戦乱の中で苦悩する人が多かった時に、十二縁起の思惟のみ、ただ坐禅が悟りという宗教を、組織(教団にも大学にも)に頼らず自分一人で、始めてみると考えてみればよい。厳しい状況で生きている人々に向かって、自分の解釈する教えで説いて、人々をひきつけられたかどうか。そして、今、教団にも大学にも頼らず、一人で、人々に説いていくほどに自己自身と対決したかどうか。
宗教の学問における偏向を感じていた人は多い。吉津氏の警鐘は、ようやく、誠実な自己批判、内部告発(自分の教団組織の方針を教団に属する学者がまともに批判)が始まったのかもしれない。学者でない、幾人かの僧侶は、ずっと以前から、それを主張してきたのに、一部の僧侶が排除し、学者が、それに加担してきたようである。学問が、仏教や道元禅の真理を解明するのは、これからである。