「批判宗学」=松本史朗氏
??? 昭和・平成の宗学論争 ???
一部の学者から、「不毛の議論」をしていると酷評される禅の学問。昭和から平成の現代まで学者は何を論争してきているのか。
種々の学問方針が提案されてきた。角田泰隆氏(駒沢短期大学)がその主要な方針を整理した論文「宗学再考」があるので、それで禅の学問の歴史を概観したい。
松本史朗氏(駒沢大学)は、「批判宗学」を提案した。
「批判宗学」
「批判宗学」を松本史朗氏は、次のように説明する。
「批判宗学とは何か。
1.「いかなる対象も絶対視・神格化することなく。絶えず自己自身を否定しつつ、宗門の正しい教義を探求すること」
2.「いかなる対象」とは
”いかなる人物(宗祖)、テキスト(宗典、経典)、行(坐禅)、教義(縁起説)等”を意味する。
3.従って、批判宗学は、密教の否定である。
4.批判宗学は、宗祖無謬説に立たない。一切のguru(尊師)崇拝を排除する。
5.道元の思想的変化を認め、道元が目指そうとしたもの(正しい仏教)を、目指す。
6.批判宗学自身の見解は、縁起説であり、行は、縁起説にもとづく誓度一切衆生(自未得度先度他)の行である。
7.批判宗学は、本質的に、社会的(「誓度一切衆生」)でなければならない。
8.曹洞宗は、『弁道話』の見解と行、即ち、如来蔵思想(「仏性顕在論」)と、神話的密教的坐禅(「一寸坐れば、一寸の仏」を捨て、後期道元のものと思われる「深信因果」(縁起説)と「誓度一切衆生之坐禅」にまで、進むべきものと思われる。
(詳細は、『駒沢大学仏教学部研究紀要』56、『駒沢大学禅研究所年報』九の拙稿参照)」(1)
(注)
- (1)松本史朗「伝統宗学から批判宗学へ」(『宗学研究』40号、曹洞宗宗学研究所、1998年、18頁。
角田康隆「宗学再考」(『駒沢短期大学研究紀要』第27号、平成11年3月)、76頁。
(注)
「伝統宗学」は、「坐禅堂の中で坐禅することのみが悟り」「目標のない坐禅」「坐禅自身が目的」というが、それでは、他者の救済もなく、智慧も生まれない。これでは、「癡定」(おろかなる禅定という意味、『摩訶止観』が批判する)であり、初期仏教の重要な教義と矛盾することが多く、社会性(衆生の苦を救うという目的をも捨てる)を持たず、道元を仏教ではない(外道)ものに落とした解釈であることがあきらかである。
松本氏の問題提起は、従来の「伝統宗学」の偏向をうきぼりにした点で意味があった。しかし、松本史朗氏の提案は、第6で、縁起説を絶対視している。縁起説は、学会での位置づけが定説を見ていあに学問の現状であるのに、これを絶対条件とする。松本氏自身の解釈・知性を絶対視して、第一の提案と自己矛盾を犯している。この点について、釈尊の仏教は、縁起説で始まったのではない、という厳しい批判が三枝充悳氏、竹村牧男氏、奈良康明氏などからある。
こうした偏った(研究者の信念や選択がはいりこんだ)研究方針を批判して、道元の仏道を「批判宗学」で捉えるのではなく、角田康隆氏、吉津宜英氏などが別な宗学を提案している。
このほかに、昭和正信論争以来、一部の禅僧が、道元は「悟り」を強調した(それが白隠の見性体験と同じ可能性がある)と主張する説を支持する学者が少ないが、これは、重要な説である。鈴木大拙は、道元にも悟りの体験を認める。仏教の歴史を通して解脱、滅尽定、想受滅、無分別智、無生法忍、悟り、などの語が経典に頻出しているので、道元が悟りの体験を重視する言葉もあり、これとの異動を慎重に考察しないのは、仏教そのものを解明することにならないであろう。また、仏教を通して、大切なのは、思想や見解ではなく行為である、戯論寂滅、言語道断、縁起説でさえも仮説ということも言われることも真剣に考えなければならない。
このように、仏教や禅の学問(特に道元禅をめぐる学問)は戦国時代の様相を呈している。組織の中では、自分で選択した条件を絶対とする学説によって、静かな、激しい闘争・排斥・差別・言論統制が起こっているようである。学者が戯論している間は、社会において、苦悩からの自殺、エゴイズムによる犯罪はなくならない。この状況では、僧侶(禅宗ばかりではない)は、学問の成果に自分たちの修行方針を見出すことを期待することはできない。国民も、僧侶も、一人一人が自ら選択するほかはない。このような学問の現状をみると、一般の国民は、禅に苦の解決の道、エゴイズム批判の道を期待することはできない現状にあるということになる。だから、心を病む人が救われず自殺してゆき、エゴイズムを批判することについては、仏教や禅の学問は貢献できない。ほかにも、よき指導原理がなく、社会から苦やエゴイズムがなくならないようだ。