角田康隆氏の道元禅は「伝統宗学」の枠内
??? 昭和・平成の宗学論争 ???
一部の学者から、「不毛の議論」をしていると酷評される禅の学問。昭和から平成の現代まで学者は何を論争してきているのか。
種々の学問方針が提案されてきた。角田泰隆氏(駒沢短期大学)がその主要な方針を整理した論文「宗学再考」があるので、それで禅の学問の歴史を概観したい。
角田康隆氏(駒沢短期大学)は、「宗学」を確認した。新しいものではないという。その意味は、道元禅師の教えは「坐禅が悟りである」ということを堅持するということであり、いわゆる悟道(我空・法空を證得する)を認めないということである。
角田康隆氏の道元も「坐禅が悟り」
角田康隆氏の道元の禅の骨子は、次のとおりである。結局、悟りとは、坐禅である、というものである。
「後述するように私は、道元禅師の身心脱落とは「参禅は身心脱落なり」という信決定であり心決定であると確信している。つまり、「坐禅こそ身心脱落である」ということが、全身心を挙げて(身心)徹底的にわかった(脱落)ということが「身心脱落」であると信ずる。」(1)
「さて、最後に身心脱落の意義についてであるが、これを今、文献に基づいて明らかにすることは容易ではない。ただし、それが、道元禅師が如浄禅師のもとにあって、坐禅こそが身心脱落であるとの教えを受けて、それを信受しながらも、道元禅師が如浄禅師のもと、厳しい坐禅の修行のなかで、しだいに深め、ついに「正伝の仏法は坐禅である。坐禅こそが身心脱落である」と確信するにいたった、そのような機縁であったと思われることは、本稿において述べたとおりである。」(2)
(注)
- (1)角田康隆「道元禅師の身心脱落について」(『駒沢短期大学研究紀要』第23号、平成7年3月)、121頁。
- (2)同上、124頁。
信決定の時期は如浄に相見の時ではない
角田康隆氏の説のユニークなところは、「面授時脱落」説ではなくて、「叱咤時脱落」説である。道元は、如浄に出会った時に、「坐禅が悟り」だと悟ったという解釈を強く主張するのが、杉尾玄有氏、石井修道氏などであるが、角田氏は、これに反対して、如浄のもとで、しばらく修行してからであるとする。その根拠となる理由の部分は省略して、結論だけを引用しておく。
「私はさらに以下の理由から、身心脱落の宝慶三年説を主張したい。」(1)
「以上により私は、道元禅師の身心脱落は、宝慶三年、それは如浄禅師からの嗣書伝授に先だってのことと主張したい。その消息がいわゆる「叱咤時脱落」の話であるのかどうかは定かではない。しかし、それを否定すべき有力な論拠は何もないと私には思われる。」(2)
(注)
- (1)角田康隆「道元禅師の身心脱落について」(『駒沢短期大学研究紀要』第23号、平成7年3月)、118頁。
- (2)同上、124頁。
(大田注)
この角田氏の身心脱落の時期は、宝慶3年というのは、大田の説と同じである。だが、身心脱落の内容が「坐禅は悟りであると信決定」することであるという解釈には、同意できない。
それでも、角田氏が身心脱落の時期は如浄に面授した時ではないという説は、「伝統宗学」者の激しい反発を招いた。そのうち、星俊道氏の反論を掲載したい。
ここでは、大田から、「坐禅が悟り」というのは、浅薄で、偏った学説であるという疑問を表明しておく。「坐禅が悟りである」というのは、従来多くの僧侶、学者が強く主張してきたが、次のような浅薄な、あるいは、欠陥(社会人を救済しない)のある宗教である。もしそのような浅いものであれば、道元には中国禅僧を批判する資格などないであろう。道元がそうなのではなく、学者などの解釈がそうしているのである。
- 「坐禅が悟り」という説は、道元の坐禅以外の多くの他の言葉を捨てていて、認知療法でいう「選択的抽出」という「認知のゆがみ」という偏った行為なのである。
- 自我を残して、坐禅が悟りである、と了解し、信じているということは、大乗仏教が明らかにした、二空(我空、法空)でない。信ずる自己を残していて、我空ではない。結局、自我を残して我執も残っているので、涅槃(安楽)もない。自説に会わないことをいう人に怒りを覚え争論し排斥し、他の日常生活でも我執を出して、他者を苦しめる。
- 坐禅が悟りであるというから、そのような「法」を絶対化して、法執がある。大乗仏教は、法空も言うが、坐禅が悟りであると坐禅を絶対視して、法空でない。
- 結局、「坐禅が悟り」とか「仏教は十二縁起のみ」であるというような、一つの命題を絶対化することは法執であるが、そのことが法執であることを自覚しないと、それを死守することが批判されない。形だけ坐禅さえしていれば、あるいは、十二縁起さえ思惟し、講義できれば(その講義が自己満足で、聞く者に何の貢献がなくても)批判されない。こうして、社会への貢献を全く忘却してしまう。坐禅も縁起も元々、出家が探求したはずだが、何のための出家だったのか。苦悩する衆生を救いたい、そのためではないのか。それが、社会から隔絶してただ坐禅するだけに終る。ただ、縁起説を思惟するだけに終る。本当に、それが道元や釈尊の仏道なのか。
- 「坐禅」の真相だけを明らかにしようという思想であるから、「人間」「こころ」の真相を明らかにした教義ではない。従って、人の苦悩を解決するものではない。禅僧の坐禅行為のみを明らかにして、禅僧の自利、我利である。「衆生を忘れるな」と強調する道元の言葉と矛盾する。実際、僧侶には、嗣法制度があるが、在家には嗣法がない。在家を無視した解釈に基づいているためであろう。
- 「坐禅が悟り」というが、道元は修証一等ともいう。それならば、それを主張する者には、「証」すなわち、智慧が生まれているはずである。だが、「伝統宗学」を主張する禅僧は、智慧を自らの坐禅によって得ておらず、説法できない。教義さえ知らない(教義を学習するべきだというのではない。坐禅が悟りならば、それから生まれる智慧・教義を語れるはず)。何か説法する僧侶がいたとしても、学者の書物や臨済宗の僧侶の言葉に学んだもので説法しているようである。坐禅しないでも、読書から得られる知識である。たとえば、「こだわらない」「今に生きる」という禅僧が多いが、「坐禅が悟り」という宗学からは出てこないからである。坐禅していない時の、「今に生きる」は悟りの時ではないわけである。家庭や職場や教団の中で、いじめや争いが起きる。「こだわらない」でいれば起らないですむ争いが多い。そういう智慧も、「坐禅が悟り」という宗学からは出てこない。「こだわらない」ことが坐禅の内容であるとは「伝統宗学」からは出てこない。「坐禅が悟り」という命題を固執するのは、「坐」という行為だけを問題にしているから、実際には智慧がないのである。坐禅していない生活現場での智慧が坐禅から生まれるということもできない宗学である。なぜなら、智慧が生まれるといえば、「目的なく坐禅する」という宗学が崩壊する。また、「どのような智慧」をめざすかの議論が必要になる。そのような智慧の内容をこれまでの「伝統宗学」は明らかにしてこなかった(「批判宗学」は仏教は十二縁起のみとするが、それも経典でさえ、現代の仏教学でさえ解釈が種々あり定説はなく、自分の解釈に固執するのは法執、偏見である)。『摩訶止観』には「癡定」というものがあるという。坐禅の時、定はあるが、智慧が何も生まれない定である。行じるものが実質、涅槃も菩提も語れない無内容の坐禅ならば、それと同じではないか。
- 初期仏教は、苦からの解決を目標としたことは、平川彰氏、三枝充悳氏などの研究成果から明らかであるが、「坐禅が悟り」は、苦の解決には何も言及しないから、苦の解決の点で、初期仏教よりも劣ることになる。
- 坐禅のみが悟りであるから、坐禅していない時には、悟りはない。坐禅する主体が社会から逃避するような思想である。その上に、坐禅していない時は、悟りではないのだから、働く在家の生活現場には、悟りはない。それは、在家を捨てた宗教である。社会性の全くない、没社会的な思想である。そうであれば、社会内の教団として存在の意義もないであろう。
- 飢饉、戦さ、身分差別などあって人々の苦悩が現代よりも深かった時代に生きた釈尊や道元が、そのような没社会的な宗教を熱意を持って説いたと思うのだろうか。組織的に共同で宗教活動するのではなくて、自分一人でその宗教を初めて説くという身になって考えて、そのような宗教で、当時の社会の人々を救済できると思って釈尊や道元が説いたと思うであろうか。その宗教が他者を救済するのでないならば、何のために、坐禅するのか、何のために十二縁起を思惟するのか。
僧侶や学者は、社会の人々の苦悩について、どう考えているのであろうか。
- 「坐禅が悟り」あるいは「道元の仏道は十二縁起を思惟するのみ」という解釈は、道元の多くの言葉と矛盾するのであるが、ここでは省略する。ただ、智慧、および、社会性(他者の苦悩救済が中心)という点から、上記のような疑問を表明しておく。仏教や道元の仏道とは何だったのか、学問ではまだあきらかになっていない。だから、教団の僧侶も一般の社会人も、学問に期待しているはずであるが、学問の現状は、上記のような状況である。この延長線上では、苦悩する社会に提言できる偏見なき学問の成果が出てくるのは、百年も後のことであろう。
「伝統宗学」や「批判宗学」への批判も、上記では不足であり、今後多くの人の参画を得てすすめていくべき課題である。