「正信論争」以後=依然として自己の信仰を宗学とする
??? 疑問の説(1)=自分の「信仰的独白」を学問とする ???
竹林史博氏、正信論争を見直し
研究史
| 著者 |
書名 |
発行所 |
発行年 |
註 |
| 竹林史博編 |
「「曹洞宗正信論争[全]」 |
龍昌寺 |
2004年 |
(4)竹林氏 |
| 竹林史博 |
「昭和正信論争の新資料(三)」 |
曹洞宗宗学研究所 |
2002年 |
(1)竹林氏 |
| 竹林史博 |
「昭和正信論争の新資料(二)」 |
曹洞宗宗学研究所 |
2001年 |
(2)竹林氏 |
竹林史博 |
「昭和正信論争の新資料(一)」 |
曹洞宗宗学研究所 |
1997年 |
(3)竹林氏 |
(注)
- (1)竹林氏。「宗学研究44号」に収録の論文。副題「忽滑谷快天編「道元禅師聖訓」について」。ある意図をもって、正法眼蔵から言葉を抜き出して、ひとつの著作物を作成した試みがあった。それが、著名な道元研究者によって、なされたことを紹介している。竹林氏は、淡々とその歴史を紹介されている。私は、何かその研究者(忽滑谷氏)の我田引水(自分の好む宗教を作り、それを道元と称する)の意図を感じる。こういう試みは、その行う人の好み、見解で資料が選択され、つなぎあわされるので、原作(この場合、道元禅師)の意図をゆがめるおそれがある。
- (2)竹林氏。「宗学研究43号」に収録の論文。副題「曹洞宗安心問題論纂」について」。駒沢大学の忽滑谷快天氏と原田祖岳氏を中心に論争された「昭和正信論争」をまとめた資料として森大器氏によって、論争の関係した両派の論文を収録した「曹洞宗安心問題論纂」が発行された。従来、それはどちらの派にもかたよらず、公平・中立的な立場で編集されたとされてきた。しかし、竹林氏は、忽滑谷派に有利、原田派に不利な形で編集されている、とされた。学問の周辺に偏見があるという。
- (3)竹林氏。「宗学研究39号」に収録の論文。副題「忽滑谷快天派と原田祖岳派の宗乗論争再考」。論争の経過を説明。
- (4)森大器氏によって、両派の論文を収録した「曹洞宗安心問題論纂」が発行された。従来、それはどちらの派にもかたよらず、公平・中立的な立場で編集されたとされてきた。しかし、竹林氏は、忽滑谷派に有利、原田派に不利な形で編集されている、とされた。偏った意図をもって見捨てられた原田派の論文なども含めて、可能な限りすべての論文を発掘したという。これを参照すれば、学問の世界に偏見があるのではないかという問題を問う非常に貴重な研究となりそうである。
- ほかに、三枝充悳氏、森章司氏、伊吹敦氏などが、仏教学、禅学における独断、偏見を指摘されている。