「正信論争」への評価=佐橋法龍氏

??? 実践派が学問に圧迫を加えた ???
 昭和の「正信論争」について、佐橋法龍氏は、意外な評価をくだしている。

学者を圧迫するので、学問が停滞する?

 実参実究派と学究派とに分かれて論争したが、結局、両派とも、禅の解明には、実参実究が必要であることを認めた格好になっている、とする。
 この論争で現れた問題は、二つある、とする。    学問が停滞するのを、宗学者の「信仰的独白」におちるような心の弱さ、怠慢などの、責任とせず、実参実究者からの圧迫として、他に責任転嫁しているのであるが、これは意外な論理である。「不毛の議論」である。佐橋氏は、別の個所にもこう言っているので、本気にそう考えているのである。  この論争で現れた問題は、二つある、とする。  だが、この評価は奇妙である。別に述べるとおりである。

(注)