「正信論争」への疑問

??? 佐橋法龍氏の評価に疑問 ???

疑問1=両派は本質的に同じく実参実究を肯定
疑問2=実参実究派が学者を圧迫するから学問が発展しない


 昭和の「正信論争」について、佐橋法龍氏は、意外な評価をくだしている。実参実究を主張する実践派が、学者に不当に圧迫を加えたものであり、これが宗学の発展を妨げると評価する。すなわち、学問は「信仰的独白」に落ちたものばかりが目立ち、客観的な学問が発展しないのであるが、それは、実参実究者が、学者を圧迫するからだというのである。
 本当に、そうか?はなはだ疑問である。これを考察する。

学者を圧迫?

 実参実究を主張する実践派が、学者に圧迫を加えたものであり、これが宗学の発展を妨げると佐橋法龍氏は評価する。  この論争で現れた問題は、二つある、とする。  だが、この評価は奇妙である。次の点である。  原田派を支持する宗学者は、ほとんど現れなかった。佐橋氏は、仏教や禅の学問が発展していない、という。そういう学問の発展を妨げるものは、佐橋氏の指摘するのとは、ほかにあるはずである。 (注)

その評価への疑問

 佐橋氏の二つの評価は、疑問である。
 佐橋氏は、学究派も実参実究を肯定したことにあるという。
 「その性格を本質的に異にする二派の論争というよりも、両派は単に現象的な相違をもっていたにすぎないといえるのである。」

 学究派は、悟りという体験を認めないから、両派が本質的に同じという評価をするわけにはいかない。この相違によって宗門は、激しく論争し、互いを尊重せず対立してきたのは、酒井得元氏が指摘するとおりであるから。
 別に見るとおり、佐橋氏は、忽滑谷博士、榑林博士などの宗学を「信仰的独白」と批判する。実参実究による「悟道」を肯定せず、面授嗣法の立場を取り、信じればよい、とするのであるから、実参実究を肯定したとみるのは、無理があろう。事実、その後も、「悟道」の有無では、激しい対立があるのは、承知のとおりである。
 また、実参実究者が、学者を圧迫するから、学問の発展がない、という点であるがこれは、その前後の歴史を見ればあたらないであろう。ここでは、この評価についての疑問を考察したい。
 佐橋氏が批判するように、まだ学問が発展していなかった江戸時代に確立した「面授嗣法」の制度の背景になっている道元解釈を追認することを使命として「信仰的独白」になる学問では、宗門や大学の内部では尊重されても、外部の社会に受け入れられるはずがないのはもちろんである。さらに、その学問が「信仰的独白」であるから、禅や道元の思想の客観的に近い解釈でなくて、むしろ、実参実究者の方が真実に迫っているかもしれない(まだ学問的な解決をみていないが)としたら、学者はわかっていないと原田派が強く非難したのは当然とも言える。事実、西田幾多郎、鈴木大拙、秋月龍aなどの諸氏の道元解釈は、少なくとも「悟道」観については、実参実究者に親近している。学者が、それほどに「「信仰的独白」に落ちるのならば、やはり禅は実参実究しないと言えるかもしれないと、原田派にも一理あるとの同情を、佐橋氏が、全く示さないのは不審である。

学者が圧迫するから学問が発展しない?

 「即ち実参実究を誇る禅者の不当なる学者への非難圧迫と、−−この二点が当時の宗学はもとより、以後今日に至るまでの宗学研究における大きな障碍となっているのである。」という。
 実参実究派が、学問に圧迫を加えたから、宗学の発展が妨げられたという評価は再考の余地がある。宗門と大学の二つの組織の中で、別な心理が働いているのではないか。その理由は次のとおりである。
圧迫する者に迎合する意見を出す
 第一に、組織人に自由がなく、組織内で力(人事上、財政上)を持つ者から圧迫を加えられる場合、その組織の意見を代弁する研究者は、その圧迫を加える者の意向に迎合した学説を表明する傾向があるのは、「心理学」をもちだすまでもなく、常識である。原田派のような「悟道」を強調する者に全く受け入れられない学説ばかりが出てくる組織であれば、学者に圧迫を加えて、学問の発展をさまたげるものは、ほかにあると考えざるをえない。
その後外部の学界では仏教は原田派に親近した研究成果
 第二に、他の大学、研究機関には、いくつかの重要な点で、むしろ原田派が本来の仏教に近いことを示唆する研究があいついでいる。初期仏教でも大乗仏教でも、仏教は文字で思想、論理を理解するだけのものではなくて、修行が必要であり、文字の理解ではない「苦からの解放」「空、無相、無我の自己の自内證」「そこからの無分別智の会得」「他者救済」などが重要視されていたとする学説を主張する研究者が出てきた。これは「禅に悟道あり、苦の解決をめざす実践」という原田派の主張の側が妥当性を帯びてくるような研究成果である。仏教や禅(の一面)が、こうして、いくつかの大学の学問であきらかになってきた。もちろん、「実参実究」するものであるということを明らかにするという限界が学問にはあるかもしれない。学問だけでは得られないたぐいの宗教的安心、宗教的実践力が仏教の修行によってしか得られないものがあると、学問が学問の限界を肯定するかもしれない。
 このような修行、苦の現実解消、自己の真相の自内證による證得、救済行などの実践が仏教で重視されたのが仏教・禅であるという研究者が、禅の研究を主とする大学に、少なく、偏りがあるのは事実である。それなのに、宗学者は、悟道否定を激しく主張していて、実参実究者から圧迫を加えられるような状況ではない。悟道を否定する論文から見るに、逆である。実参実究者の圧迫ではなく、学問をさまたげる他の要因が組織の中にあるのは確実であろう。それは、昭和の「正信論争」の前後でも同じであったのだろう。なぜなら、学究派には、「信仰的独白」であり、臨済、白隠禅への対抗意識が、当時からあったからである。佐橋氏が指摘している。

実参実究派が二、三に分裂

 第三に、昭和の「正信論争」以後は、逆に、新しい実参実究派およびそれを支持する学者などが、自由な学問を圧迫する状況になったように見える。二つの展開がある。
 第一は、「実参実究」派が、幾つかに分裂した。一つは、沢木興道氏を中心として、「目的のない坐禅」を主張し「悟道」を否定して、多くの支持者が現れた。坐禅(という実参実究)のみが道元の仏道であると主張した。これなら実践しない学者にも容易に理解できるからか、多くの学者が支援してきた。たとえば、酒井得元氏は、宗門を代表する形の論文で、沢木興道氏のみを激賞し、悟道ありとする人々を侮蔑している(1)。そして、酒井氏は、原田祖岳氏以後は、もう、悟道ありとする主張をつぐ者はいないとしている。すなわち「実参実究」者からの圧迫はなくなった。それにもかかわらず、その後も宗学は発展せず、他の大学の研究者から、独断・偏見、「不毛の議論」と批判されるありさまであるから、学問の停滞の問題は、佐橋氏のいう実参実究者の圧迫によるものではないのであろう。
 もう一つの「実参実究」者の活動が見られる。「正信論争」以後、井上貫道、柏田大禅、原田雪渓、板橋興宗、井上希道などの諸氏(2)が、「宗学研究」などの論文や、著書で、おおよそ「只管打坐して苦悩を解決し悟道する。そして他者の苦悩救済に働く、これが道元禅である」という主張をしている(3)。このグループの存在は、上記酒井得元氏の論文では無視されている少数派であるから、宗学の発展を妨げるような圧迫を学者に加えることはできないであろう。このグループは、原田派が批判された公案禅ではなく、只管打坐で苦悩解決、悟道できる、とするので、昭和の「正信論争」の時の「実参実究」とは異なる面がある。臨済系の「公案禅」とは、指導法は異なるが、苦悩解消・悟道を肯定する。これは、外部者から見れば、道元の教説に近いように見えるから、道元を奉ずる宗門からは当然に尊重されてもよさそうに見えるのに、これを支持する宗学者は管見にはいらないほど未開拓である。
実践よりも学問の喜びを取る研究者
 第二に、戦後の高学歴社会、知性の偏重という社会現象と関係があろう。仏教・禅が大学の学問として研究されることが盛んになった。平成になると、「坐禅は仏教ではない」「道元さえも後期には坐禅を否定した」と、坐禅をも否定し、文字の思想偏重の学究派が現れた。自分の「仏教である条件」を経典の中から選択抽出して、それに会わない道元まで、思想を変えた、誤りを犯したと批判する。宗祖の選択眼よりも、学者としての選択眼を勝るとする。この傾向は、一つの教団だけにあるのではなく、仏教、禅の学者全体にあるようである。縁起のみで仏教を説明する学者が多く、それは誤解であると、三枝充悳氏などがいうからである。
 このように、信者や実参実究者が尊重する宗祖、祖師を相対化し、批判するのは、学者の己れの知性を誇ることとなり、学者としては痛快な喜びを感じるのかもしれない。佐橋法龍氏が「学問の喜び」に言及している(別に掲載)。だが、そういう学者の解釈し、喜ぶものは、本来の仏教からは、遠く離れている危険性がある。
 とにかく、その後の歴史的展開により、実参実究派は、大きく三つに分かれるだろう。  昭和の「正信論争」は(c)の実参実究者(仔細にみると(a)の人もいるが)と学者との二つに分かれての論争だった。最近では、宗学者も、「伝統宗学」のほかに「批判宗学」「新宗学」の提案もあって、大きな内容の相違があって、昭和の「正信論争」の時のように、単純ではなくなっている。

(注)

今後の課題

 実参実究者は、元来、不毛の論争を避けて(釈尊や道元がいうとおり)、自己究明と他者の救済の実参実究を尊ぶので、論文や著書などを発表することは少ない。一方、そのような実践をせず、思索すること、論文を書くことに長けた学者の論文ばかりが発表されることになる。宗門人や世間の人々は、学者側の主張ばかりを目にすることになり、大学で学生は、実参実究者の講義に接することは少ない。
 こうして、「道元禅師は、坐禅して苦悩を解決し、悟道することを強調した」という実参実究者は、「目的のない坐禅のみが道元禅」という禅僧グループと、二つの宗学者グループ(伝統宗学、批判宗学)から無視される形になったようである。佐橋法龍氏の昭和の「正信論争」の評価は、実参実究者が学問を妨げる、ということであるが、もう一度、見直す必要がある。
 「正信論争」の論文編集に、偏りがあるとする研究が、竹林史博氏によって発表されたが、さらにその研究の成果によっては、新しい展開をみるかもしれない。
 佐橋法龍氏が、宗学が「信仰的独白」におちていると指摘し、三枝充悳氏や森章司氏が、仏教の学問が、先入見、偏見によってゆがめられているとされているとおり、別なところに学問をさまたげるものがあるのかもしれない。これを解明するのが「仏教学・禅学の研究者の心理学」である。
「仏教学・禅学の研究者の心理学」
 すべて今後の課題であるが、今、予想される疑問をあげておく。一つは、すべての学者に起きる危険、すなわち、「学問の喜びによる偏見の心理学」である。宗門に属さない仏教学者にも、縁起思想偏重(実践をほとんど言わず思想だけで論じて仏教をわかったつもりでいて、実践を軽侮する)が多い(三枝充悳氏などの指摘)ことを考える時、さらに、別の危険・心の弱さが仏教学者にあるのではないか。佐橋法龍氏が「学問の喜び」に言及している(別に掲載)。さらに、学者は、大学や研究機関という組織にも所属している。組織人としての長老、先輩、他の組織の学者からの圧迫を感じるだろうし、学問の喜びを取るという学者全体の誘惑もある。
 また、学者として仏教が完全に解明できないというわけにはいかない、というコンプレックスがあり、それで実践でしかわからないことがあるとは、認めないという心理が働くかもしれない。小説の研究者が小説を書けなくてもよいのと同様に、仏教の研究の限界があってもよいのだが、学者(もちろん、一部の)は、そういう偏見の心理を持っている可能性がある。こういうことから学問が、先入見、偏見でゆがめられるかもしれない。
 エゴイズムの捨棄・苦の救済をめざす「中道」の坐禅や悟道を重視する(初期仏教や大乗仏教はほぼこの枠にあると小数の学者が明らかにしている)学者が少ない。思想ばかりで仏教を語る学者が多い。思想を重視し、好き嫌いが強く働き、感情的に激しく主張する長老学者がいる組織では、新しい意見主張や学問の自由は、保障されていない。
 二つ目の関心は、「組織人の心理学」である。宗門の学者は、「組織」に属する以上、「組織人の心理」が働く。組織人の多くは、組織の中で要領よく出世し、生き残るために、長老幹部への迎合、抑圧、深刻な問題は傍観して不利益を受けないように立ち回る、などの心理が働く。「組織人」の心理学や「偏見」は「心理学」で重要なテーマとして研究されている。だから、宗門に所属する学者には、組織の心理が当然に働く。
 組織内での己れの不利益をも顧みず、学問的真理を探究する人もいるだろうが、この誘惑に(無意識でも)負けることもあるだろう。佐橋法龍氏自身が、宗門人の学問に起こる三つの危険性を指摘したのである(別に掲載)。佐橋氏が「宗学者が陥りやすい三つの危険」を指摘したのは注目に値する。
 このようなわけで、私は「仏教学、禅学の研究者の心理学」の解明が必要だと提案している。研究者が、組織幹部や長老教授などの意向(人事的、財政的な処遇を期待し、あるいは、危惧し)に意識的にも、無意識的にも圧迫されていなくて、学問の自由が保証されていること、学問の喜びと宗教の安心・実践を混同した偏見がないこと、その好き嫌い・偏見による人事的・財政的圧迫がないこと、などを明らかにしない限り、仏教や禅が学問によって公平に解明されていると、国民が安心して、仏教を受けいれる日はこないだろう。今、日本の国民は宗教への関心を急速に減少させている。当然に、仏教への関心も減少しているだろう。仏教や禅の学問にさえも、独断・偏見・抑圧・差別があるのでは、国民の信頼を失うのは当然である。