道元は「見性体験」のようなことは認めていない
??? 疑問の説=杉尾玄有氏=道元は如浄に会った時に脱落した ???
杉尾玄有氏は、道元は如浄に会った時に身心脱落した、という説を強く主張する。
「叱咤時脱落」と「面授時脱落説」
山口大学の杉尾玄有氏が、「叱咤時脱落」と「面授時脱落説」を名づけたとされる。「叱咤時脱落」の話は、道元の悟りの様子を記したもので、道元の古い伝記『行状記』などに記載されている。
「道元禅師の「身心脱落」について、二つないし三つの意味を区別する必要があると思う。『宝慶記』に「参禅ハ身心脱落ナリ」といわれ「身心脱落トハ坐禅ナリ」といわれているようなばあいが一つ。坐禅を行ずることがそのまま身心脱落であり、真の坐禅人はかならず身心脱落している、という意味において、これを仮りに「坐禅人脱落」と呼んでおく。つぎに、『面授』の巻に「道元大宋宝慶元年乙酉五月一日はじめて先師天童古仏を礼拝面授すやや堂奥を聴許せらるわづかに身心を脱落するに面授を保任することあり日本国に本来せり」(特に句読点を除く)と記されているばあいが一つ。これを「面授時脱落説」と名づけよう。もう一つは、従来の多くの道元禅師伝に記載されてきたそれ、すなわち、坐禅中に坐睡する僧を如浄が激しく叱咤するのをかたわらに聞いて突如として禅師に起こったとされる身心脱落。これを「叱咤時脱落」と呼んでおく。」(1)
以下は、手元に原文がないので、石井修道氏による要約で杉尾氏の主張を概観する。道元には、悟りがあるのか、身心脱落というが、その時期はいつだったのか。
「この問題に初めて取り組まれたのが、山口大学の杉尾玄有教授である。「原事実の発見ー道元禅参究序説ー」(『山口大学教育学部研究論叢』第二六巻第一部、一九七七年三月)と「御教示仰ぎたき二問題ー「面授時脱落」のこと及び『普勧坐禅儀』の書風のことー」(『宗学研究』第一九号、同年月)の論文で問題提起されたのである。その主旨は、先に紹介した『行状記』の話を「叱咤時脱落」と命名し、その話は「伝記作者の誤解ないし虚構」と論断し、「面授」の巻に道元は「面授時脱落」の身心脱落を語っていると主張するものであった。」(2)
これに対する賛同者の一人が石井修道氏である。しかし、反対説も多い。しかし、杉尾氏は、その主張を変更されることなく、1999年に「正伝の仏法/「バツ身心脱落の消滅以後」という奇妙な題の論文を発表された。悟りを激しく否定し、「叱咤時脱落」という名をつけたために、そういう事実があったかのように誤解された。この命名を抹殺したいという。
「今から思えば、私が「身心脱落」を三つに区別し、その一つを「叱咤時脱落」
と呼んだ、その命名がいけなかったのであろう。その名に相当する事実がやはり道元にあったかのように、かなり多くの人びとに思われてしまったらしい。その失敗にかんがみ、今「叱咤時脱落」を「バツ身心脱落」と呼びなおそう。願うところは、この「バツ身心脱落」などという目ざわり耳ざわりな呼称が、二〇世紀末の現時点を最後にすっかり無用となって、新世紀からは七〇〇余年ぶりに唯一正しい身心脱落だけを通用させてほしいということ、それのみである。」(3)
「後述の烏石奥情報から宝慶元年三月中の道元天童入寺を明確に推定し、同年五月一日の面授の本来の意味(あの面授が正真正銘の仏法面授でなくてただの相見でしかなかったら、どうしてあの巻に《面授》と題することができようか)を回復し、かつ叱咤時脱落説を放棄して、たった一度の叱咤時脱落に代わる時々刻々、生涯持続の、『宝慶記』どおりの身心脱落こそ永平正伝の仏法の実相なることを確認・堅持するのでなければ、道元を道元として仰ぐことにならない。道元は永久に臨済の亜流程度に位置づけられ、曹洞禅は秋月氏の嘲笑(『道元入門』六九頁など)をまぬがれようがない。私は、叱咤時脱落は伝記作者の虚構であって、道元伝から除くべきだということを、一九七六年の宗学大会以来説いてきたが(『宗学研究』一九号)今なお諸家の賛否半ばする状況である。(以下略)」(4)
(注)
- (1)杉尾玄有「御教示仰ぎたき二問題ー「面授時脱落」のこと及び『普勧坐禅儀』の書風のことー」(「道元思想体系7」(思想篇 1ー道元禅の成立)同朋舎出版、1995年)、267頁。
- (2)石井修道「修行と悟りー身心脱落とは何か」(奈良康明監修「ブッダから道元へ」東京書籍、1992年、194頁)
- (3)杉尾玄有「正伝の仏法/「バツ身心脱落の消滅以後」(「宗学研究」四十一号、1999年、曹洞宗宗学研究所)8頁。
- (4)同上、8頁。
これに対する批判は、「反対意見」に掲載する。
(研究者の心理)
杉尾説は、坐禅を重視しての前提であったが、松本史朗氏から、坐禅は仏道ではない、縁起のみが「正しい仏教である」、道元も過ちをおかしたという説が出てからは、身心脱落の時期など問題にならなくなってきた。
ともあれ、杉尾氏の説のような面授時脱落のみが正しいというような道元の言葉は、管見によれば、少ない。むしろ、逆の言葉の方が多いということは、昭和正信論争以来、多くの禅僧たちが指摘してきた。しかし、その人たちは、実践者であり、研究者ではなくそれが無視され、研究者のあいだでは、悟りを否定する人たちが多かった。賛否半ばする状況であるといい、高崎直道氏、中世古祥道氏も面授時脱落説を認めないが、もし、そうだとすれば、「面授時脱落」の方がありえないこととなるが、杉尾氏は、その主張を変えることはなく、このように激しく自説が正しいという主張をされる。
上記のように、道元にかかわる学問の世界は、昭和正信論争以来、臨済宗への対抗意識、自分の信念による学説を唯一正しいという(こういうことを仏教は批判するはずだが)自説絶対主義、根拠となる文の選択的抽出と自説に都合のよい解釈、あれか、これしかないという二元観、感情的論理づけ、批判説をとなえることに対する激しい感情がゆきかう世界であるように見える。若い人は、自由な学問ができるのだろうか心配になる。
(6/08/2003、大田)