沢木興道氏=坐禅が悟り
??? 酒井得元氏の評価 ???
酒井得元氏は、沢木興道氏の高弟であり、沢木氏を高く評価する。
「前二者とはすこぶる対照的であるのは沢木興道(1880-1965)である。西有門下の笛岡凌雲によって、無所得無所悟(得るところなく、悟るところなし)の禅を教えられて開花した彼の一生の求道は、これを純粋に貫き通したものであったということができる。(中略)
かくして彼は天衣無縫、何の制約も受けることなく移動叢林と称して全国の有縁の人達の処に出向いて無所得無所悟の純粋なる禅を指導していた。彼の禅生活は寺院経営を背後に担っていないので、常に純一であり、大胆に只管打坐の無所得無所悟の本来の面目を明確に示し得たのである。
かくて彼は臨済看話禅の悟道と曹洞黙照禅のそれとは、全く異質なもの、即ちあたかも水と油程の違いのあることを明確にした。これは従上の人達のなし得なかったことである。その意味で永平門下の坐禅の純粋性を高揚したことは空前絶後と言ってよい。何らの妥協をも許すことなく純粋に「何にもならぬ」坐禅の行を、相手の顔色を伺うことなく推し進めて来たことは、教団の人がこれまで、誰れもなし得なかったことであるので、全く彼の坐禅は空前絶後であったと言わなければならない。彼は「なんにもならぬ」坐禅に生涯を捧げたのであるから、彼の一生には一片の世渡り上手がなかった。だから凡そ日本一世渡り下手な、普通に言えば損な一生を送ったと言えるであろう。しかし彼は曹洞禅界の一大明星であったと言わなければならないであろう。(中略)
彼は全国有縁の人達に坐禅指導する移動叢林を生涯としたので、彼ほどに多くの人に禅を、しかも純粋な形で弘めた人はいない。彼の遷化後も、駒沢大学をはじめ曹洞宗内のあらゆる場所に、彼の影響は浸透している。彼の門下と称する人達はそれぞれの城において、彼の禅風を地道に継承している。」(1)
(注)
- (1)酒井得元「禅界の現状とその問題(曹洞宗)」(『講座・禅』筑摩書房、昭和432年)147頁。
(大田評)
「彼の遷化後も、駒沢大学をはじめ曹洞宗内のあらゆる場所に、彼の影響は浸透している。彼の門下と称する人達はそれぞれの城において、彼の禅風を地道に継承している。」と酒井得元氏が言うように、曹洞宗の僧侶、学者は、沢木興道氏を絶賛する風が続いてきた。しかし、松本史朗氏の「批判宗学」に発する宗学論争以来、沢木興道氏の主張は、仏教ではない、沢木氏の信仰であり、道元禅師のものとは違うと批判されることも多くなった。
「無所得・無所悟」を、道元禅師とは異なる意味に受けとめて、坐禅のみに留まる修行になって、ただ、「駒沢大学をはじめ曹洞宗内のあらゆる場所」、つまり、宗門や駒沢大学内でのみ賞讃されるが、世間の苦悩する人々には「なんにもならない」と言って、坐禅によって救済される道を遠ざけてしまったであろう。今では、学者や僧侶さえも、坐禅しなくなった。
(9/17/2003、大田)