面授時脱落説とは
??? 道元は如浄に会った時に脱落した。見性体験は無い ???
道元は、「身心脱落」という。この語は、種々の意味で用いられている。悟りの意味でも、坐禅の意味でも、他の意味でも使う。が、とにかく、道元に大きな転機があり、それを「身心脱落」(必ずしも、白隠禅師などがいう見性体験ではない、とする)があったとして認めるが、それが、如浄に出会った時であるという説(面授時脱落説=めんじゅじだつらく)がある。もう一つは、修行を開始してしばらくたってから、坐禅中にとなりの僧侶が叱られた時に、道元は脱落した(叱咤時脱落説=しったじだつらく)という説がある。
これは、時期だけの問題ではなくて、面授時脱落説は、いわゆる見性体験、悟り、を否定する。それは釈尊の成道の意義までにも及ぶ。仏教とは何かという問題まではらむ。白隠禅師、はては、盤珪、良寛、など多くの僧が悟道したというが、そういう悟道(見性体験)を否定することになる。
悟り、脱落の意味内容が異なる。道元は「見性」を否定したというのである(1)。
「叱咤時脱落」と「面授時脱落説」
「叱咤時脱落」
道元が、天童山の如浄のもとで修行していた。みなで坐禅していた時に、たまたま、一人の僧侶が眠っていたのを如浄が叱った。その時に、道元は悟ったという。道元の古い伝記などに記載されている。杉尾玄有氏が「叱咤時脱落」と名づけた。これは、自己を忘れるとか、主観も客観もない人無我、法無我の実際体験である。
「面授時脱落説」
杉尾氏は、「叱咤時脱落」は、伝記作者の虚構だとして否定した。
では、道元は「脱落した」というが、いつ脱落したのか、それは道元が如浄に会った時に脱落したのだ、という解釈をするのが杉尾玄有氏である。修行もしないで、如浄の顔を見た途端に脱落した、悟った、という説である。杉尾玄有氏が「面授時脱落説」となづけた。古くは、衛藤即応氏が主張した。石井修道氏が賛同した。
悟った、脱落したというが、見性体験ではないのである。思想的な確定にすぎない。
論争が続くが、悟り否定の学者が多い
こういう二説があって、曹洞宗では、見性体験を否定する僧侶が多く、一部の学者が、それに強く賛同してきた。昭和正信論争では原田祖岳氏側が「叱咤時脱落」をとって、多くの学者が、「面授時脱落説」、ないし、悟道否定にまわった。
平成になっても、議論だけが続き決着がつかず、一般人は、どちらを信じるべきかわからない状態が長く続いた。そんな議論を吹き飛ばす説も出てきた。そもそも、坐禅は仏教ではない、道元も仏教ではないことを説いて誤りを犯した、という袴谷憲昭氏、松本史朗氏などの説が出てきた。仏教は十二縁起説のみである、という。坐禅は仏教ではない。いつ脱落したかなど問題にならない。道元は仏教ではないものを説いた、誤りを犯した、外道だというのである。
いよいよ、道元の仏道、いや、そもそも仏教とは何かということが学問では、わからなくなってきた。これが道元学界、仏教学界の学問の状況である。人々は学問の何を信じてよいかわからない状況である。
しかし、坐禅すれば、悟ることができる
しかし、大田の見るところでは、師に会った時に脱落するという「面授時脱落説」の論拠とされる文はわずかである。しかし、修行の後、悟るという意味の文は、道元の著作に無数にある。道元の『宝慶記』や『正法眼蔵』を広く検討すれば、「面授時脱落説」したはずがない。如浄のもとでしばらくたってから悟ったというべきである、というのが、鈴木大拙氏、秋月龍a氏、竹村牧男氏などである。大田も、これをとる。
松本史朗氏などの仏教は十二縁起説のみ、というのが偏見であるというのは、他の大学の研究者から厳しく批判されている。
ここでは、面授時脱落説を概観する。
(注)
- (1)道元は、唯識説でいうような根本無分別智を始めて体験すること、大乗仏教の無生法忍にあたる「見性体験」を否定した、という学者が多い。だが、道元はそのようには断定していないことを論証する。道元は三教一致説でいう「見性」を「仏法の要にあらず」としただけであり、道元が見た六祖壇経では、「見性」が、後代の「見性体験」ではないものに使用されている。だから、道元が「見性」という時には、「悟り」「無生法忍」などとは異なる内容である。そういう「見性」を道元は仏法の要にあらず、と言ったのである。
石井氏などの思い込みが強いせいで、見性体験を否定したと都合よく受け止めただけである。大乗仏教でいう「無生法忍」にあたる見性体験を道元は否定していない。別に批判する。