松本史朗氏(4)
??? 疑問の説(4)=同時的因果関係など存在しない ???
=根拠は、仏典の他の教説との関連を深く考察する学問的手法によらず、自分の哲学・信仰から
自分の信仰・哲学の方を重視し、経典の多くの言葉を否定する
松本氏は、自分の仮説に合わないから、次のように、縁起説まで、「致命的な困難を内含している」と否定する。縁起説については、平川彰氏、三枝充悳氏、森章司氏などが、否定せずして、その意義が解明されつつある。それが着実につみかさねられてきた学問の成果である。
だが、松本氏は「致命的な困難を内含している」と感じるという。自分の「縁起説」や「無明」の解釈や仮説がおかしいからとは思わない。それほど、自分の哲学・信仰を重んじて、経典を軽んじている。経典の文字の選択的抽出、独自の解釈によって、新興宗教を起こす「宗教者」ならご随意に(三枝充悳氏の批判))であるが、学者としてはふさはしくないとされる。
次が、十二支縁起説に対する松本史朗氏の解釈である。
松本氏の独自の主張を箇条書きにすると、ここでは、次の諸点であろう。
- ”仏教”とは、一個の知的な哲学あり、信条であり、信仰に他ならない。(松本氏は、こうして、八正道などの修行・実践も否定する=別に引用する予定。仏教の中道の実践・修行には、偏見やエゴイズムなどの捨棄も含まれているのだが、松本説では、これも否定される。それによって、松本氏は、十二支縁起説のみを選択して信じ、実践・修行を実質否定した。天台本覚思想は別な論理で修行を否定して堕落したが、松本氏は別な論理で、「仏教は哲学、信条である。私は、十二支縁起説を信じて生きてく」、といって、戒定慧、八正道などの修行を否定するのであり、天台本覚思想が落ちたのと同様に、他者を苦しめる偏見、破戒・煩悩まみれの堕落を肯定する思想に落ちていることに自覚がない。実際、松本氏の論文のあちこちに、経典から離れた論(経典に即していない独断・暴論)が展開されていて、新しい解釈・哲学(新興宗教的)となっている。多くの研究者から批判があるので、少しづつ掲載していきたい。)
- 十二支縁起説のみが、仏の正しい言葉である。「律蔵」「大品」または「ウダーナ」を根拠とする。(大田注:仏典には、四聖諦、八正道の言葉もある。「律蔵」「大品」または「ウダーナ」を根拠とするのは学問ではないという批判がある。)
- 無明と行とは、因果同時ではなく、因果異時であり、同時的因果関係など存在しない。他の支も異時しかない。(大田注:十二支縁起には「因果同時」の関係もあるというのがこれまでの説。人間の「苦」が起こる時には、支が同時と考えるのは実際的である。たとえば、偏見(十二支のうちの「取」)がある人は、何かを見た時、偏見の思考・判断を起こし、苦悩し、偏見の言葉を発し、差別・暴行などの行為をする。)
- 「悟りとか体験とか瞑想とか、はたまた禅定とか精神集中とか純粋経験とか、これら一切は仏教と何の関りもない。」(大田注:戒定慧など実践修行と悟りの否定。これらが仏教とは関係ないというまさに革新的な解釈。こういう実践なしに仏教の目標は達成されるものとする。)
- 「縁起説といえども、ある致命的な困難を内含しているのではなかろうか。」「結論は、縁起説とは要するに、一個の哲学であり、信仰であり、あるいはひとつの明確な生きる態度とでも言うべきものにしかすぎないということであった。」(大田注:松本氏の眼から見た初期仏教の目的は何か??。苦の滅という現実的な目標があるのではないのか。)
松本氏は、初期仏教経典の教説を、これまでの学会の積み重ねを無視して、自分の信仰・哲学によって、否定する。それでも自分では「仏語」を重視する態度だとみておられる。これは、十二縁起説に関連する独自の解釈である。まず、これについて、学会の積み重ねによるおおかたの誠実な研究者による通説からの反論を簡単にみておく。
- 初期仏教は「四聖諦・八正道を重視」した、十二縁起は、一部にすぎないという研究からの批判
- 釈尊の成道の研究成果から
- 十二縁起説の位置=諸研究者の解釈
(松本氏の説への批判となる方たちの学会の積み重ねを、今、確認しています。次のテーマの研究からも、松本説が偏見であることが明らかになります。)
- 十二縁起説の成立過程の研究成果から=三枝充悳氏
- 「因果同時」について
- 修行論の研究から
(以上のテーマは、多くの研究があり、釈尊は十二縁起を悟ったのではないというのが定説のようなものです。特に三枝氏は、このテーマの詳細な研究により松本氏のような十二縁起説偏重を激しく批判しています。それでも、松本氏は、それを受け入れないでしょうが。だから、「不毛の論争」が続くわけです。その間に、権力を持ち自分の考えを固執する人によって、弱い人が差別され、いじめられ、争いが起こり、心を病み、自殺します。仏教は「苦」を救うものではないのですか。十二縁起説を思惟し、論争し、それに同意しない人を排斥することなのですか。
対立する学説は、少しづつ、整理して掲載します。大学で、学界で何が行われているか、多くの人が知るべきです。)
(注)
- (1)松本史朗「縁起と空」大蔵出版、1989年、56頁。
- (2)同上、158頁。
- (3)同上、160頁。
- (4)同上、22頁。