松本史朗氏の疑問の説(1)への批判1
??? 疑問の説(1)=十二縁起を思惟することのみが仏教 ???
批判4=釈尊は十二縁起を悟ったのではない=平川彰氏
松本氏は、『律蔵』「大品」を根拠にして、釈尊は、十二支縁起説を悟ったのだと主張されるが、平川彰氏は別な解釈であった。松本説とは異なる。
成道の経過の種々の説
釈尊の成道については、種々の説があるが、重要な学説は、「四禅三明」によるとなす説、十二縁起によるとなす説、「四諦説」によるとなす説の三が重要である。しかし、平川彰氏は詳細に検討すると、次のとおりであるとされる。
- 「パーリ「律蔵」の「大品」や「五分律」の「仏伝」及び、「根本説一切有部毘奈耶破僧事」の「仏伝」、大衆部の「大事」等に説かれている釈尊の成道の経過によれば、「十二縁起を観じたのは、成道後七日とされており、即ち成道そのものではない。」(1)
- 「四禅三明で悟ったという説は、重要な意味を持っていると考える。」(2)
- 「四分律」でも、「十二縁起で悟ったとなしているのではない。悟りの内容を十二縁起によって観想したのである。」(3)
- 「根本説一切有部毘奈耶破僧事」では、「「三明」にさらに三種の智を加えて「六通」を得たことを言うが、重要なのは最後の漏尽通である。この智によって、漏を滅して証悟を得たのである。」その後に十二縁起を順逆に観じたことを述べている。(4)
- 宇井伯寿氏が、釈尊は四聖諦で悟ったことを示しているとされた。(5)
- 漢訳「長阿含経」に毘婆し仏が、十二支縁起を観じて成仏したという(6)。
「証」の後に、十二縁起を観じて阿耨多羅三藐三菩提を成じたという。(大田注:これは見性[無分別智の体験]と大悟[後得智]の二段階をいうのかもしれない。今後の研究課題であろう。)
- パーリの阿含経でも、四禅三明によって解脱を得たことが説かれている。(7)
以上のことから、十二縁起を観じたのは、成道後七日とされており、即ち成道そのものではない。釈尊は、四禅という禅定の後に成道して、漏尽通などの三明という智慧を得た、というのが有力である。
(注)
- (1)平川彰「法と縁起」春秋社、1997年、437頁。
- (2)同上、438頁。
- (3)同上、438頁。
- (4)同上、438頁。
- (5)同上、439頁。
- (6)同上、441頁。
- (7)同上、440頁。
四禅三明と十二縁起説との関係
上記の考察の後、平川彰氏は、次の問題提起をされた。
「四禅三明による成道が説かれながら、さらに十二縁起の順逆の観法が説かれたのは何故であるか。」(1)
以上はいいのであるが、最後の次の言葉は、わかりにくい。悟ったのは「縁起」であるとされている。一見、上記と反対の解釈のようである。
「そのとき悟ったのは「縁起」であったことを示すために、改めて十二縁起の順観と逆観とを観じたことがつけ加えられたのであろうと思われる。」(2)
上記のように、平川氏が「十二縁起を観じたのは、成道後七日とされており、即ち成道そのものではない。」というのと、矛盾するような言である。このような平川氏を矛盾だと言わないとすれば、「縁起」と「十二縁起」は、別であり、「縁起」を体験することが「成道」というのであろう。成道体験の悟りが「縁起」であるといっても、それは十二縁起ではないのである。だが、「縁起」の内容が問題となる。龍樹は「八不の縁起」という。「縁起」を言語でいえば、すべて仮説であるが、言語で表現できない「縁起」を悟るのが成道である(3)。平川氏は、悟りは修行しないと得られないと解釈するから、この矛盾するような言葉は、こういうような解釈であろうか。
(注)
- (1)平川彰「法と縁起」春秋社、1997年、440頁。
- (2)同上、441頁。
- (3)この点について、竹村牧男氏の考察がある。「仏教は本当に意味があるのか」大東出版社、1997年、111頁。
十二縁起は初期仏教の実践者にとって解脱・成道説に必須ではない
十二縁起説は、現代でも研究者が理解できるように、修行しないでも、成道しないでも、言葉で仮説した「有支縁起」は理解できる。だが、それは、学解であり、実相、体得ではない。自己自身の「無明」は、十二支縁起説を知らないことではない。自己自身が「(言語によらない)縁起」を実現していないのである。特に、「識」を超えた「行」「無明」の部分の実際を自己自身には證得していないのである。だから、解脱しない人は、いかに、「有支縁起」説を正確に理解しても、実際の(言語によらない)縁起を證得も、成就もしていない。だから、「無明」も「明」も実際を知らないのである。
成道しない前には、「無明」は晴れていない。しかし、成道して、「無明」が証された。それで、「明」が達成されたことを、十二縁起で観じ、説明しようと決意したという説示になっていると思われる。しかし、十二縁起を釈尊の成道に結びつけたのは編纂者の粉飾のようである。
平川彰氏は、「無明とは四諦に対する無知」と解釈できる経典もあり、これは十二縁起説を重視していない。
「この場合としては、四諦を正しく学べば無明はなくなるのであり、十二縁起は必要でなくなることになろう。十二縁起観によって、無明を見出したとしても、その無明は四諦説によらねば解消できないというのであれば、十二縁起は四諦説に依存して存在しうるのであり、独立の教説とはなりえない。そしてまた無明を滅するためには、最初から四諦を学べば足りるのであり、十二縁起を学ぶ必要はなくなるであろう。(十二縁起観で、「無明」を見出したことに重点を置くべきであると思う。)」(1)
これは、大乗の六波羅蜜の修行や、中国や日本の「禅」でも、無明を滅することができる修行があいえる。最初から、それを学べばよいということに発展するであろう。
「四禅三明」は、禅定によって成道して、三つの智慧を得たというものであり、修行や悟りの肯定の説である。また、「三明」は、「明」というからには、「無明」の滅した智ではないかと思う。四禅によって智慧が證得されるというのではないか。今後の課題である。
(注)
- (1)平川彰「法と縁起」春秋社、1997年、470頁。