松本史朗氏(5)

十二支縁起を思惟することのみが仏教

 「基体説」
(参照) 三枝充悳氏、仏教は「アートマンを論じなかった」 4部「無我説」
  • 自分の仮説・理解の方を重視し、経典を否定する
     松本氏は、自分の仮説に合わないから、次のように、縁起説まで、「致命的な困難を内含している」と否定する。縁起説については、三枝充悳氏、森章司氏などが、否定せずして、その意義が解明されつつある。松本氏が「致命的な困難を内含している」と感じるのは、自分の「縁起説」や「無明」の解釈や仮説がおかしいからとは思わないのだろうか。それほど、自分の仮説に執著し、経典を軽んじていいのだろうか。経典の文字の選択的抽出、独自の解釈によって、新興宗教を起こすのならやむをえないが、それが、正当な学問なのか。  松本氏は、初期仏教経典のあちこちを矛盾として否定する。次のように、「わが心解脱は不動なり。これは最後の生なり。最早、再生はなし」という言葉は、釈尊を粉飾したものだと松本氏は、いうのである。あるいは、確固とした證得されたものを、釈尊の「信仰」におとしめる。自分の仮説(仏教は縁起説のみ)に合わない経典の言葉は、みな、否定していく態度である。これでは、仏教はあきらかにならず、松本氏の仮説にあうもののみを肯定し、合わないものは、経典にも致命的な欠陥がある、仏教ではないものがはいりこんだもの、あるいは、信仰、哲学ということにしてしまう。このように、自分の仮説を重視し、資料自身を軽視する方法では、伊吹敦氏から「社会的影響力は皆無」と酷評されるように、おそらく、誠実な研究者からは、相手にされないだろう。  松本氏の解釈には、多くの独断、恣意を感じるが、今は、一々、批判する余裕がない。他の研究者が、縁起説の偏見がある、という形で、批判している。
  • 解脱とは、無我の認識である、「我論」ではない
     資料からは、松本氏のような解釈が出てこないことは、多くの初期仏教の研究者の成果のとおりである。二、三確認しておく。
     「般若」は、解脱した人が得る智であるが、初期仏教でも、西義雄氏らの「般若」についての詳細な研究がある。平川彰氏は、般若は、無我の認識だという。つまり、我の否定である。解脱して得る智慧も、実体としてのアートマンの否定では貫かれているが、それを思想や文字でいわず、ある種の定体験によって、證得することを「生が尽きた」という言葉で表現している。「生が尽きた」というのは、信仰や哲学ではない。  何から解脱するかということについて、たとえば、雲井昭善氏は、「原始仏教における解脱」を論じて、資料に基づいて、次のように考察する。  このように、経典をすなおに読めば、仏教は、非アートマン、我論などを論理的に理解するというものではなくて、人格的な向上、すなわち、偏見、先入見などを含む漏(煩悩)からの解脱である。それには、自我に執著する漏からの解脱のために、ある思想などに固執して他者を害する先入見も捨棄されるべきである。そのためには、「生が尽きた」つまり、我がないという定を證得することが必要とされた。それによって、思想の執著もなく、人格的な煩悩もなくなるからである。寂静解脱、滅尽定、想受滅などと表現される定によって、「生がつきた」という証明になり、輪廻するアートマンがあるのではないかという苦悩という漏からも解脱する。そのことを表すのに、最初期仏教では、思想的には説かれず、「滅尽定」「寂静解脱」「生が尽きた」という体験的な表現が多い。後には、無我、アートマンの否定の言葉の形で多く説かれる。
     従って、初期仏教の「解脱」は、アートマンの否定、無我という側面をも通貫している。しかし、苦悩、害する心を捨てること、人格的な側面、漏からの解脱という側面で多くの言語表現がある。松本氏の「解脱」の定義、解釈は、初期仏教の経典を離れて、先入見を持ち、氏独自の哲学、解脱論になっている。だから、三枝充悳氏、伊吹敦氏のような、辛らつな批判が出るのである。

    「行」は、身体の空間移動