酒井得元氏

??? 疑問の説=坐禅するのみで衆生を救うとか目標はない ???

 高崎直道氏の言葉が禅僧の世間での積極的な救済を怠る口実に利用された可能性がある。道元の坐禅は目標がないということを誇りとする禅僧も、世間の人々の苦悩の援助を積極的に行うことをしない思想と通じるものがあるだろう。
 自分が坐禅することが利他であるというが、利他をしない自己弁護ではないか。

酒井得元氏=坐禅するのみで衆生を救うとか目標はない

 酒井得元氏は、他者を救うことなく、自分で坐禅することが「化他」である、と解釈される。坐禅には「目標がない」という。だから、他者を救うという目標がない。通常、「化他」といえば、自分の救済ではなくて、仏教修行で得たもので、苦悩する他者に説くことであるが、酒井氏は、説法(誇示)不要とされた。「潜行密用」ただ、坐禅するだけでよい、坐禅するのが化他だというのである。  著名な禅僧、沢木興道氏も、目的を持たない坐禅を主張した。酒井氏は、それを絶賛している(2)。ここにも、苦悩する在家は見えない。世間に積極的に出ていこうという大乗の慈悲行の実践的・現実的思想はない。

(注)